作品タイトル不明
世界の糸
暗闇の中で、宵が語り始めた。
「最初は、何もなかった」
静かな声だった。暗闇に慣れた声。長い時間を一人で過ごしてきた声。
「暗闇だけがあった。光も、音も、形もない。時間すらなかった。あったのは、ただ暗闇と、わたしだけ。わたしは、暗闇の一部だったのかもしれない。自分と暗闇の区別がつかなかった」
「それが、原初の暗闇か」
「うん。──そこに、紡世者たちが来た」
「紡世者は、何人いたんだ」
「分からない。たくさんいた。彼らは暗闇に手を入れて、糸を紡ぎ始めた。暗闇の中から、何かを引き出して、撚り合わせて、糸にした。その糸で、世界を編んだ」
「暗闇から、糸を作った」
「そう。暗闇は、何もないように見えるけど、実は素材の塊だった。紡世者たちは、暗闇から素材を取り出して、世界の部品にした。地面も、空も、水も、風も。全部、暗闇から紡がれた糸で作られている」
セレスが肩の上で、角を揺らした。
「セレスのつきも、くらやみから、つくられたの?」
「月の光は、暗闇がなければ輝けない。月は、夜の中でこそ光る。あなたの月光は、暗闇から紡がれた糸の一本だと、わたしは思う」
「セレスの、つきは、くらやみの、いちぶ……」
「怖いことじゃないよ。暗闇から生まれたからこそ、消えないんだと思う。ここでもあなたの光が消えないのは、そういう理由」
セレスが、自分の角を見つめた。月光が、暗闭の中で揺れている。消えない光。
「セレス、こわくない。むしろ、うれしい。セレスのつき、くらやみのなかま、だったんだ」
「なかま。──うん、そうかもしれない」宵が微笑んだ。
◇
「紡世者たちが世界を作った後、何があったんだ」
「世界はうまくいっていた。しばらくの間。糸が編まれて、形になって、生き物が生まれて、プレイヤーが来て。世界は回り始めた」
「プレイヤーが来る前から、世界はあったのか」
「うん。NPCは、プレイヤーが来る前から存在してた。紡世者が最初に作ったのは、NPCたちの世界。プレイヤーは、後から来た存在」
「NPCの方が先だったのですね」タマキが驚いた。「わたしたちプレイヤーが後から入ったゲーム世界、みたいな……」
「そうだね。プレイヤーが来ることで、世界に新しい糸が加わった。レベル、スキル、装備。それは紡世者が用意した仕組みだけど、糸を紡ぐのはプレイヤー自身。プレイヤーが努力して、糸を太くしていく」
「そこまでは、うまくいってたんだな」ゼクスが顎を撫でた。
「うまくいってた。──でも、紡世者の中に、考え方が変わった者たちが出てきた」
「『紡世の徒』か」
「うん。彼らは、プレイヤーの糸を見て、気づいた。プレイヤーの糸は、紡世者の糸とは質が違う。紡世者は世界を作ったけど、プレイヤーは世界の中で自分の糸を紡いだ。その糸には、努力と時間と感情が染み込んでる。紡世者の糸より、ずっと濃い」
「プレイヤーの糸の方が、濃い……」
「だから、紡世の徒は考えた。プレイヤーの糸を集めれば、紡世者よりも強い力が手に入る、と。世界を作る力を超える力が、プレイヤーの糸の中にある、と」
「プレイヤーの努力を、奪おうとした」
「奪って、自分のものにしようとした。糸を断って、回収して、自分に編み直す。そうすれば、紡世者を超えられる」
「だから、追放されたのか」
「中には例外的に追放された者もいたけどね」
「アルダのことか……」
「アルダ……そんな名前を聞いたことがある気がする。――ともかく紡世者たちは、糸を断とうとした者たちを追い出した。世界の外に。──でも、追放された者たちは消えなかった。世界の端っこで、じっと機会を待ってた」
トワは、石板のメッセージを思い出した。「追放された者たちは、自らを紡世の徒と呼んだ。プレイヤーの糸を奪い、再び力を取り戻そうとしている」。宵の語りと、一致していた。
「宵。紡世の徒は、今、何をしている」
宵の表情が、少しだけ変わった。淡々とした語りの中に、初めて感情が混じった。
「動き始めてる。わたしはここにいるから、直接は見えない。でも、暗闇の底にいると、世界の糸の震えが伝わってくる。糸が、集められてる。どこかの場所に、大量に」
「プレイヤーの糸が集められてる、ということは──レベルやスキルが、どこかに吸い取られてるってことか」
「そう。でも、力ずくで奪ってるんじゃない。プレイヤー自身が、自分から差し出すように仕向けてる。賭けさせたり、交換させたり。同意の上で糸を渡させれば、紡世者の作ったルールに引っかからない」
「同意の上で差し出させる……」ゼクスが眉を寄せた。「巧妙だな。力ずくなら紡世者が止められるが、プレイヤーが自分で手放すなら、ルール違反にならない」
「紡世者たちのルールには穴がある。──プレイヤーの自由意志を尊重する、というルールが、逆に利用されてる」
タマキが、小さく拳を握った。
「それは、ずるいです。自由意志を尊重するっていうルールを悪用するなんて」
「ずるい。でも、そうやって糸を集めてる。もう、かなりの量が集まってるはず」
「それが、これから起きること、か」
「うん。紡世の徒が、集めた糸を使って、何かをしようとしてる。何をするかは、わたしにも分からない。でも、世界の糸の震えが、日に日に大きくなってる」
◇
宵が、話を止めた。
暗闇の中の沈黙が、少し長かった。
「旅人」
「トワでいい」
「トワ。──わたしから、渡したいものがある」
宵が、手のひらを開いた。掌の上に、小さな光があった。月光ではない。セレスの光とも違う。暗闇の中から生まれた、暗闇の色をした光。矛盾しているようだが、暗さそのものが光っていた。
「これは、原初の暗闇の欠片。わたしの一部。糸じゃないもの。──糸で作られた世界の中で、糸じゃないものは、糸を断つ力に抵抗できる」
「糸を断つ力に抵抗できる……」
「紡世の徒が糸を奪おうとしても、これを持っていれば、あなたの糸は守られる。完全じゃないけど、簡単には断たれなくなる」
【「原初の欠片」を入手しました】
【効果:糸の奪取に対する耐性を付与】
【※詳細な効果は、糸の奪取が発生した際に判明します】
「ありがとう、宵」
「ありがとう、は、わたしの方。──ずっと一人だった。言葉を持っていても、話す相手がいなかった。あなたたちが来てくれて、初めて話せた。それだけで、わたしは十分」
セレスが、角からほんの少しだけ月光を放った。宵の手のひらに向けて。暗闇の欠片と月光が触れた。二つの光が重なって、一瞬だけ、暗闇の中に星のような輝きが生まれた。
「きれい……」宵が呟いた。
「セレスのつきと、よいの、くらやみ。ふたつが、まざると、ほし、みたいに、なる」
「星。──わたしは、星を見たことがないけど、きっとこういうものなんだね」
「セレス。こんど、そとのほしを、みせにくる」
「……本当に?」
「ほんとう。セレスは、やくそくする」
宵の暗い紫の瞳が、少しだけ潤んだ。
「……待ってる」
◇
「宵。最後に一つ聞いていいか」
「うん」
「宵闇の主、という存在がいると聞いた。この先に、いるのか」
「いる。宵闇の回廊のエリアボス。──わたしとは違う。わたしは下地の住人だけど、宵闇の主は、紡世者が回廊を守るために置いた番人」
「紡世者が置いた番人……か」
「うん。宵闇の主を超えないと、ここから先には進めない。──でも、あなたたちなら、超えられると思う」
「根拠は」
「根拠はない。ただ、ここまで歩いてきた足を見れば、分かる」
宵が、トワの足元を見た。星巡りの靴の銀色の光。
「その靴の足跡は、暗闇の中でも消えない。──歩いた道を、光で残していく。そういう旅人は、どこまでも行ける」
「……ありがとう、宵」
「行って。──そして、できたら、また来て」
「来る。約束する」
宵が微笑んだ。今度は、はっきりと。
トワたちは立ち上がった。暗闇の中を、奥に向かって歩き始めた。
宵は、座ったまま見送っていた。セレスの月光が遠ざかっていく。宵の周りが、また暗闇に戻っていく。
でも、宵の手のひらには、さっきセレスの月光と暗闇の欠片が触れた場所に、小さな星の光が残っていた。
消えない光。
宵が、その光を胸に抱えた。