作品タイトル不明
世界を紡いだもの
扉の前に立った。
眠り姫の鍵が、手の中で強く脈打っている。鍵穴に差し込む前から、扉の向こうの気配が鍵を通して伝わってくる。暗くて、深くて、古い場所の気配だった。
「この先が、記憶の街の最深部だな」
「鍵を使うのはこれで最後かもしれませんね」タマキが扉を見上げた。
「めぶき、ねっこで、むこうの、くうき、よんだ。むこう、せまい。へやくらい」
「部屋か。──行くぞ」
鍵を差し込んで、回した。かちりと音がして、扉が内側に開いた。
◇
部屋だった。
記憶の街の通りや広場とは違う、小さな空間。六畳ほどの石造りの部屋。天井が低い。壁に灯りはないが、床に敷かれた石が淡く光っていて、薄暗い中でも輪郭が見える。
部屋の奥に、椅子が一つあった。椅子の前に、石の台がある。台の上に、何も置かれていない。
そして、椅子に──影が座っていた。
見覚えのある影だった。
「……巌路か」
巌路――もといグラン。影の底の住人。宵闇の回廊の入口は、巌路の影の中にあった。トワたちがこの長い旅を始めるきっかけを作った存在。
影の巌路は、動かなかった。ただ、椅子に座って、こちらを見ていた。
【隠しイベント「影の巌路の部屋」を発見しました】
【このイベントは、旅人クラス専用です】
【パーティメンバーの同行は許可されています】
「旅人クラス専用……」ゼクスが首を振った。「また、トワ限定か」
「仕方ないな。旅人の道を歩いてきた結果だ」
影の巌路が、ゆっくりと口を開いた。声は巌路のものだった。低くて、乾いた声。
「来たか、旅人。──お前が来ることは、分かっていた」
「巌路。これは記憶か、本人か」
「記憶だ。だが、本人が残した記憶だ。本人と同じだけの言葉を、持っている」
「話を聞かせてくれるか」
「聞くだけでいい。──だが、先に、台の上に置いてほしいものがある」
石の台を見た。何も置かれていない台。だが、台の表面に、三つの窪みがあった。丸い窪みが一つ、角のような窪みが一つ、砂のような模様の窪みが一つ。
「これは──」
腰の荷物袋から、三つのアイテムを取り出した。
月蝕の核。覚醒の角片。記憶の欠片。
旅人専用素材の、1/3、2/3、3/3。
「三つ揃ったか」影の巌路が頷いた。「ならば、台に置け。順番は、お前が歩いた順でいい」
月蝕の核を、丸い窪みに置いた。逆月の湖で手に入れた素材。月光と夜が重なる場所で生まれた力の結晶。
覚醒の角片を、角のような窪みに置いた。眠りの森で手に入れた素材。夢から覚めた守護者の角。
記憶の欠片を、砂の窪みに置いた。記憶の街で手に入れた素材。7000時間の旅を直視して受け入れた証。
【旅人専用素材(3/3)を台に設置しました】
【統合を開始します】
三つの素材が光った。光が台の上で渦を巻いて、一つの形に収束していく。
光が消えた。台の上に、小さな石板が一枚残っていた。掌に収まるほどのサイズ。表面に、文字が刻まれている。
【新アイテム「旅人の石板」を入手しました】
【旅人クラス限定。詳細は記載された文字を読むことで判明します】
「石板……」
「読め」影の巌路が言った。「声に出して。全員に聞こえるように」
石板の文字を、トワが読み上げた。
「世界を紡いだものたちへ。
この世界には、糸がある。
全てのものは糸で繋がっている。
レベルも、スキルも、装備も、記憶も。
それらは全て、一本一本の糸だ。
糸を紡いだのは、我々だ。
我々は、この世界の設計者であり、管理者であり、観察者だった。
我々の名は──紡世者。
だが、我々の中に、糸を断とうとした者がいた。
断たれた糸は、二度と元には戻らない。
糸を断った者たちは、追放された。
追放された者たちは、自らを「紡世の徒」と呼んだ。
彼らは、プレイヤーの糸を奪い、再び力を取り戻そうとしている。
旅人よ。
お前が歩いた道は、糸を辿る道だった。
お前が見た記憶は、糸が記録した記憶だった。
お前が繋いだ仲間は、糸で結ばれた存在だった。
紡世者の名を覚えておけ。
これから先、お前は糸を巡る旅に出ることになる。」
部屋が、静まり返った。
「……紡世者」タマキが呟いた。「世界を紡いだもの……眠り姫が言ってた」
「そうだ。眠り姫が言っていた『世界を紡いだものの名残』が、この石板だったんだ」
「紡世の徒、という連中もいるのか」ゼクスが腕を組んだ。「糸を断とうとした者たち。追放されて、プレイヤーの糸を奪おうとしている」
「まだ詳しいことは分からない。だが、名前だけは覚えておく」
影の巌路が、椅子から立ち上がった。
「旅人。石板に書かれた言葉は、この宵闇の回廊を作った者が残したものだ。宵闘の回廊そのものが、紡世者の遺産だった」
「巌路は、それを知っていたのか」
「知っていた。だが、石板を読めるのは旅人だけだ。俺には読めなかった。──お前を待っていた」
「ありがとう、巌路。待ってくれていて」
「礼は要らん。お前が歩いてきた道が、俺の待った時間に意味を与えてくれた。それで十分だ」
影の巌路が、ゆっくりと薄くなっていった。記憶としての役割を果たし終えて、消えていく。
「セレス、ぼーせーしゃ、わすれない」セレスが肩の上で角を震わせた。「セレスのつきも、いとなのかな」
「かもしれないな。セレスの月光も、誰かが紡いだ糸の一つ、なのかもしれない」
「セレスのいとは、トワに、つながってる?」
「繋がってる」
「じゃあ、セレス、ぜったいきらない」
「ああ、俺も切らない」
ルーナが影の中から呟いた。
「……紡世の徒。糸を奪う者たち。──わたしたちの夜の力も、狙われるかもしれない」
「可能性はあるな。だが、今すぐ何かが起きるわけじゃない。まず、宵闇の回廊を最後まで歩こう」
メブキが双葉を揺らした。
「めぶきの、ねっこも、いと? ねっこは、じめんに、つながってる。いとも、つながってる。にてる!」
「メブキの根と糸、確かに似てるな」
「ぴこぴこ! めぶき、いとの、なかま!」
◇
部屋の壁に、もう一つの扉があった。巌路が消えた後に、現れた扉。
【宵闇の回廊・第六区画「原初の淵」への接続通路が開放されました】
【最終エリアです】
「最終エリア……」タマキが息を呑んだ。「もう、最後なんですね」
「ああ……宵闇の回廊の、一番奥だ」
「【原初の淵】。影の浅瀬から始まって、黄昏の渓谷、逆月の湖、眠りの森、記憶の街――そして原初の淵。六つ目の区画だ」ゼクスが指折り数えた。
「長い道だった。だが、まだ終わりじゃない」
旅人の石板を、荷物袋にしまった。石板の文字は読み終えたが、今後も何かの役に立つかもしれない。
「セレス、行けるか」
「セレス、いく。トワのかたで、さいごまで、いく」
「ルーナ」
「……うん。行く」
「メブキ」
「さいごまで、いく!」
「テン」
テンがブーツの上で、三回明滅した。了解の合図。
「タマキ」
「はい。最後まで、一緒に」
「ゼクス」
「聞くまでもないだろう。──行くぞ」
扉を開けた。
暗い通路が、下に向かって伸びている。光がない。音がない。記憶の街よりもさらに深い場所へ、道が続いている。
原初の淵。世界の一番深い場所。
宵闇の回廊の、最後の旅が始まる。