作品タイトル不明
身体が覚えている
道の先に、騎士が立っていた。
影の鎧。影の剣。影の兜。記憶の街のNPCたちとは違い、装備の細部まで精巧に作り込まれている。兜の奥に目は見えないが、こちらを見据えている気配がはっきりと伝わってくる。
【影読み起動】
【忘却の騎士(Lv82)】
【HP:200,000】
【特性:対象のスキルを一時的に奪い、自身の力に加算する】
【奪ったスキルは、騎士の撃破で返還される】
「スキルを奪う、か」ゼクスが剣を構え直した。「面倒な相手だな」
「奪われたスキルが騎士の力に加算される。つまり、こっちが強いほど、相手も強くなる設計だ」
「それなら、スキルの少ないトワが有利じゃないか」
「そうなればいいんだが」
忘却の騎士が、剣を上げた。
空気が変わった。
◇
最初の一撃は、ゼクスに向かった。
影の剣がゼクスの足元の影を切り裂いた。ゼクスの影が、一瞬だけ白く光って、騎士の方に吸い込まれた。
【ゼクスのスキル「影潜り」が奪われました】
【忘却の騎士のATK+15%】
「影潜りが使えない……!」ゼクスが足元を見た。影に潜ろうとしても、身体が沈まない。
次はセレスだった。騎士の剣が、空気を切るように振られた。セレスの角の輝きが、一瞬消えた。
【セレスのスキル「月光」が一時封印されました】
【忘却の騎士のATK+20%】
「セレスの、つき、でない……!」セレスが角を振っても、月光が出てこない。
ルーナの月光の篭手も封印された。メブキの根の操作も。タマキの薬効果も。一人ずつ、順番に。
【ルーナのスキル「月夜の篭手」が一時封印されました】
【メブキのスキル「根の操作」が一時封印されました】
【タマキのスキル「薬効付与」が一時封印されました】
【忘却の騎士のATK+80%、DEF+60%】
「全員のスキルが奪われた……」タマキの手にある薬瓶の光が消えていた。「わたしの薬、効果が出なくなってます」
「セレス、つきがない。つきが、どこにもない……」セレスが角を撫でて、泣きそうな声を出した。
「メブキの、ねっこ、うごかない……ぴこぴこ……」メブキの双葉がしおれかけていた。
「……わたしの篭手も、影に沈んだまま動かない」ルーナが影の中で呟いた。
全員のスキルが封印されて、騎士のステータスが跳ね上がっている。
騎士が、次にトワを見た。
剣が振られた。
【トワのスキル「見聞録」が一時封印されました】
【トワのスキル「影読み」が一時封印されました】
【トワのスキル「光影調節」が一時封印されました】
【トワのスキル「光影連弾」が一時封印されました】
【トワのスキル「月影」が一時封印されました】
【トワのスキル「道具通」が一時封印されました】
【トワのスキル「旅路の極意」が一時封印されました】
【忘却の騎士のATK+95%、DEF+75%】
「全部、持っていかれたな」
トワのステータス画面から、スキル欄がすべて消えていた。見聞録も、影読みも、道具通も、旅路の極意も。Lv1の旅人から、スキルを全部取り除いた状態。
残っているのは、旅立ちの剣と、初期装備と、Lv1のステータスだけだった。
「トワさん……!」タマキが悲鳴に近い声を出した。
「大丈夫だ」
「大丈夫って、スキルが全部ないんですよ!」
「スキルはない。だが、俺の手足はある」
旅立ちの剣を構え直した。月光の鋏じゃない。スキルの乗らない、ただの旅立ちの剣。BCOを始めた日に渡された、最初の武器だった。
「見聞録がなくても、目がある。影読みがなくても、耳がある。道具通がなくても、薬は飲める。旅路の極意がなくても──一万時間、歩いた足がある」
忘却の騎士が、強化された剣を振り下ろした。
トワは、目で見て、避けた。
スキルの補助がない。パターン読みがない。見聞録のスキャンデータもない。だが、一万時間の戦闘で叩き込まれた身体の記憶がある。剣の軌道を、目で追う。振り下ろしの角度から着弾点を予測する。横に一歩踏み出す。剣が空を切った。
「避けた……目視だけで……」ゼクスが息を呑んだ。
騎士が二撃目を振った。横薙ぎ。トワが身を屈めた。剣が頭上を通過した。三撃目、突き。旅立ちの剣の腹で逸らした。
四撃目、五撃目、六撃目。連続の斬撃を、目と身体だけでさばいていく。
「トワ、すごい……」セレスが肩の上から、声を震わせた。「つきも、スキルも、なにもないのに……」
「スキルは、俺が旅人になってから覚えたものだ。だが、動き方は、もっと前から知ってる。BCOを始めた日から、ずっと身体に教え込んできた」
トワが踏み込んだ。騎士の剣の間合いに入る。旅立ちの剣を、騎士の鎧の隙間に突き込んだ。
【トワの攻撃:旅立ちの剣・通常攻撃】
【忘却の騎士にダメージ:34】
「30……」
「低いな」ゼクスが唸った。「スキルが全部ない状態のLv1だ。攻撃力がほぼ初期値しかない」
「だが、当たってる。一撃の威力が低くても、当て続ければ削れる」
忘却の騎士のHP、200,000。34ダメージで何回かかる計算になるか。約5,900回。
「5900回殴るのか、トワ」ゼクスが冷静に計算した。
「そのつもりだ」
「気が遠くなるな」
「ゼクスも、スキルなしで剣は振れるだろう。一緒に殴ってくれるか」
「……了解。付き合うよ」
ゼクスが影潜りのない状態で、短剣を構えた。正面から騎士に斬りかかる。
【ゼクスの攻撃:短剣・通常攻撃】
【忘却の騎士にダメージ:1,280】
「俺はLv90だからな、素のステータスがある。スキルなしでも、トワよりはマシだ」
「ありがたい。ゼクスが1280出せるなら、二人で削れば早い」
タマキが薬瓶を構えた。スキルは封印されているが、瓶を投げることはできる。
「わたしの薬の効果は出ませんけど、瓶を投げて当てることはできます。ガラスの破片ダメージだけですけど」
【タマキの攻撃:薬瓶投擲(物理)】
【忘却の騎士にダメージ:45】
「45か」
「ごめんなさい、これが限界です」
「いい。当てたことが大事だ。タマキも戦ってる」
「……はい!」
セレスが角でつついた。
【セレスの攻撃:角突き(物理)】
【忘却の騎士にダメージ:12】
「12! セレス、がんばった!」
「よくやった、セレス」
「セレス、つき、なくても、つの、ある! つので、つっつく!」
ルーナが影から伸ばした手で、騎士の足を掴んだ。月光の篭手が使えなくても、夜の精霊としての身体はある。
「……わたしも、手はある」
【ルーナの攻撃:掴み(物理)】
【忘却の騎士にダメージ:28】
メブキが、根が動かない代わりに、自分の双葉で騎士の兜を叩いた。
「めぶき、ねっこ、うごかない! でも、はっぱ、ある!」
【メブキの攻撃:双葉叩き(物理)】
【忘却の騎士にダメージ:3】
「3ダメージか」ゼクスが笑った。
「めぶき、ちいさいから! でも、やった!」
全員が、スキルなしで殴り続けた。
34、1280、45、12、28、3。一撃ごとの数字は小さい。だが、全員が止まらずに殴り続けた。
忘却の騎士は、スキルを大量に奪って強化されたはずだった。ATK+95%、DEF+75%。だが、その強化は「奪ったスキル」に依存している。スキルで殴り返してくる攻撃を、スキルなしのトワが目視でさばいている。
騎士の剣が振られるたびに、トワが紙一重で避ける。ゼクスが隙を突いて斬る。タマキが瓶を投げる。セレスがつつく。ルーナが掴む。メブキが叩く。
小さな数字が積み重なっていく。
200,000が、190,000になった。180,000。170,000。
長い戦闘だった。
「……トワさん、疲れませんか」
「疲れるな。だが、止まったら負ける」
「わたしも、止まりません」
「ゼクス、まだいけるか」
「いける。こういう泥臭い戦いも、たまにはいい」
150,000。120,000。100,000。
騎士の動きが鈍り始めた。奪ったスキルの維持コストが、騎士自身の体力を削っているらしい。大量のスキルを抱え込みすぎた結果、自分の身体が重くなっている。
「動きが遅くなってる。スキルの維持が負担になってるんだ」
「なら──押し切れるか」
「押し切る」
トワが旅立ちの剣を両手で構えた。BCOを始めた日、初めて振った剣の構え。
騎士の剣が振り下ろされた。トワが半歩右にずれて、剣の腹で逸らした。そのまま踏み込んで、騎士の鎧の首元に──旅立ちの剣を突き入れた。
【トワの攻撃:旅立ちの剣・三連斬】
【忘却の騎士にダメージ:34+34+34】
「三連斬……旅立ちの剣の、初期スキルだ」
三連斬はスキルではない。旅立ちの剣に最初から付いている、武器固有のモーション。だから封印されない。
「見落としてたな。武器のモーションは、プレイヤーのスキルじゃない。装備の性能だ」ゼクスが目を見開いた。
「ああ。騎士が奪えるのはプレイヤーのスキルだけだ。装備固有の効果は、奪えない」
旅立ちの剣の三連斬を、繰り返し叩き込んだ。
80,000。60,000。40,000。
騎士の鎧が、ひび割れ始めた。
20,000。10,000。
「最後だ」
旅立ちの剣を、騎士の兜の正面に振り下ろした。
【トワの攻撃:旅立ちの剣・三連斬・クリティカル・弱点ダメージ!】
【忘却の騎士にダメージ:1,020】
【忘却の騎士を討伐しました】
騎士が、膝をついた。
鎧が割れて、中から光の粒が噴き出した。奪われたスキルが、持ち主のもとに帰っていく。
【全スキルが返還されました】
【ドロップ:忘却の剣(装備品)、記憶の砂×5】
セレスの角に、月光が戻った。
「セレスの、つき、かえってきた!」
「ぴこぴこ! めぶきの、ねっこ、うごく!」
「……わたしの篭手も、戻った」
「わたしの薬も効果が出てます!」
「影潜り、復活。──やっと潜れる」
全員のスキルが戻った。だが、スキルなしで戦い抜いた時間は消えない。
「トワ」ゼクスが剣を鞘に戻しながら言った。「34ダメージで削り続けるやつを、初めて見た」
「5900回は殴れなかったが、三連斬があった分、少し楽だった」
「楽、って言うか。──あの状況を楽と呼ぶのは、化け物だけだ」
「化け物じゃない。ただの旅人だ」
「ただの旅人が一番怖い、って話だ」
タマキがトワの手を見た。旅立ちの剣を握りすぎて、手のひらが赤くなっている。ゲームの中のアバターでも、長時間の戦闘は身体に跡を残す。
「トワさん、手」
「ああ……少し握りすぎた」
「はい、これ」
タマキが回復薬を差し出した。スキルが戻ったから、効果がちゃんと発揮される。トワの手の赤みが引いていく。
「ありがとう、タマキ」
「いいえ。──トワさんの手は、わたしが守ります」
少し間があった。
「……それは、ゲームの中の話か」
「ゲームの外でも、です」
タマキが、小さく笑った。
ゼクスが背を向けた。
「聞こえてないことにしておく」
「セレス、きこえた!」
「セレスは聞かなかったことにしてくれ」
「セレスは、きいちゃった! きおくに、のこった!」
「……記憶の街で、また一つ記憶が増えたな」
「くるくる……めぶきも、おぼえた」
道の先に、最後の扉が見えた。鍵穴がある。眠り姫の鍵が、光っている。
「次で、最後だ。紡世者のメッセージ、とやらがあるらしい」
全員が、扉に向かって歩き始めた。