作品タイトル不明
虚像の商人
記憶の街を歩いた。
影のリベルタは、歩くほどに精度が上がっていく。薬師ギルドの隣にあった雑貨屋の看板、中央通りの石段の欠け方、広場の東にある噴水の形。全部、記憶通りだった。自分たちが、普段どれほど細かくリベルタを見ていたか思い知らされる。
「トワさん、あそこに何かあります」
タマキが指差した先に、影の建物が一軒だけ、他と様子が違っていた。入口に灯りがある。この街では初めてだ。影だけで構成された世界に、灯りの暖かさがあるのは明らかに異質だった。
「店だ」ゼクスが眉を上げた。「看板に……『旅人の道具店』と書いてある」
「旅人の道具店? リベルタにそんな店はなかったはずだが」
「つまり、記憶にない店が、ここにある」
影読みでスキャンした。
【影読み起動】
【店舗内に1体の反応】
【虚像の商人(記憶の街固有NPC・Lv???)】
【敵性判定:不明】
「虚像の商人。敵かどうかも、はっきりしないな」
「でも、紙に書いてあった三体のうちの一つですよね」タマキが思い出した。「番人、商人、騎士。その商人じゃないですか」
「そうだろうな。──入ってみるか」
「罠の可能性は」ゼクスが慎重な目をした。
「あるだろう。だが、出てくるのを待ってても始まらない。ルーナ、影の中で周辺を見張っていてくれるか」
「……うん。何か動いたら、すぐ知らせる」
「メブキも、根を店の外に張って、出入口を押さえておいてくれ」
「くるくる! めぶき、みはり、できる!」
◇
店に入った。
内装は、影のリベルタの雰囲気とは少し違っていた。暖色の灯りに照らされた棚。棚には装備が並んでいる。剣、盾、靴、腕輪、薬瓶。どれも実体を持っているように見えた。
カウンターの奥に、影の人物が立っていた。顔はない。だが、口元だけが薄く光っていて、声が出る。
「いらっしゃい、旅人さん。遠いところからよく来たね」
声は穏やかだった。客商売の声。
「ここで何を売ってるんだ」
「この街に来た人たちが求めるもの。見聞すればわかるよ。──好きなものを、手に取ってみて」
棚に並んでいる装備を見た。
一つ目。剣。
【影銀の太刀・極】
【ATK+500、クリティカル率+30%、全属性耐性+50%】
「ATK+500、クリティカル率+30%、全属性耐性+50%……」
ゼクスが目を丸くした。
「そんな数値の武器、今のBCOに存在するのか」
「しないな。ATK+500はともかく、クリティカル率+30%、全属性耐性+50%は、最強クラスの廃プレイヤー装備でも見たことがない」
二つ目。靴。
【星巡りの靴・覚醒】
【移動速度+80%、空中浮遊、全フィールド走破、耐久無限】
「空中浮遊、全フィールド走破……」タマキが首を傾げた。「トワさんの星巡りの靴の上位版、みたいな名前ですけど」
「俺の靴は移動速度+15%だ。+80%の靴は存在しない。空中浮遊もない」
三つ目。セレスの角を模した装飾品。
【月光精霊の角飾り・究極】
【月光出力10倍、全精霊スキル解放、装備者のHP10倍】
「セレスの、つの!」セレスがトワの肩から身を乗り出した。「セレスの、つのの、こうかりつ、10ばい! すごい! セレスが、10にん、ぶん!」
「セレス、落ち着いてくれ。よく見ろ」
「え?」
「月光出力10倍。全精霊スキル解放。HP10倍。──セレス、そんな装備があったら、世界のバランスが崩壊する。こんなものは存在しない」
「そんざい、しない?」
「しない。全部、偽物だ」
セレスの角飾りが、少しだけ元気をなくした。
「セレスの、つの、10ばいに、なれなかった……」
「ならなくていい。セレスは今のセレスで十分だ」
「……セレス、いまのセレスで、いい?」
「いい。十分すぎるくらいだ」
「……えへ」
セレスが角を撫でながら、少しだけ嬉しそうに揺れた。
◇
虚像の商人は、トワたちが棚を眺めている間、ずっと黙って笑っていた。
「見聞録で、全部調べさせてくれ」
「どうぞ、お好きに」
見聞録を起動した。棚の装備を一つずつスキャンする。
【見聞録・鑑定起動】
【影銀の太刀・極:鑑定結果──虚像。実体なし。装備した場合、逆にATK-100の呪いが発動】
【星巡りの靴・覚醒:鑑定結果──虚像。実体なし。装備した場合、移動速度-50%の呪いが発動】
【月光精霊の角飾り・究極:鑑定結果──虚像。実体なし。装備した場合、月光出力が1/10に低下】
「全部、虚像だ。装備すると逆効果になる」
「呪い付きかよ」ゼクスが顔をしかめた。「触ったら終わりだったのか」
「触るだけなら大丈夫だ。装備判定が入るのは『装備する』を選んだ場合だけだろう。だが、知らずに装備したら致命的だった」
「見聞録がなかったら、やられてたかもしれないですね」タマキが冷や汗を拭いた。
「見聞録がなくても、性能で分かる。この武器の性能は、BCOの設計上ありえない。一万時間遊んでいれば、数字の上限感覚は身につく」
「数字の上限感覚……」ゼクスが呟いた。「それは、長くやってないと分からないな」
「もしも新規プレイヤーが最初にこの店に入ったら、喜んで装備して全ステータスを失うだろう。──これが、記憶の街の商人の手口か」
虚像の商人が、口元を歪めた。
「見抜いたか。──さすがに、旅人の名は伊達じゃないね」
「最初から、偽物を売るつもりだったのか」
「売る、というのは正確じゃないな。『欲しいものを見せて、手を伸ばさせる』。これが、わたしの役割だ。記憶から、相手が一番欲しいものを読み取って、それを並べる」
「俺たちの記憶から、欲しい装備を作り出した」
「そう。──だけど、あなたは手を伸ばさなかった。よく中身を見て、数字がおかしいと気づいた。わたしの虚像を見破ったのは、あなたが初めてだよ」
虚像の商人が、一歩下がった。影の輪郭が薄くなっていく。
「見破った者には、本物を渡す決まりだ。──これは、虚像じゃない」
カウンターの上に、小さな袋が置かれた。
【虚像の商人を看破しました】
【報酬:記憶の砂×10】
【報酬:鑑定の眼鏡(装備品・旅人クラス限定)】
【鑑定の眼鏡:見聞録による鑑定精度が+50%。虚像・幻影への耐性付与】
「鑑定の眼鏡か……か」
メブキが店の外から双葉を揺らした。
「めぶき、ねっこで、かんじた! いまのさいごに、ほんもののおもさ、でた! ほんもの!」
「メブキの確認も入った。これは本物だ」
虚像の商人が、完全に薄くなって消えた。店の灯りも消えて、影の建物に戻った。
◇
店を出た。
「自分の判断で攻略する敵か」ゼクスが腕を組んだ。「力任せの俺では、太刀打ちできなかったな」
「ゼクスでも、影属性の短剣を出されたら心が動いただろう」
「正直、少し動いた。性能は嘘だと分かっても、見た目がかっこよかった」
「見た目で選ぶのは大事だが、効果欄を確認してからにしてくれ」
「次からはそうする」
タマキがトワの隣に並んだ。
「トワさん、すごかったです。偽物の数字を見た瞬間に、おかしいって気づいてましたよね」
「長くやってると、勘が育つんだ。あの性能を見た瞬間、頭の中で警告が出る。そんな武器は、この世界で一度も出ていない」
「経験が、鑑定スキルの代わりになってるんですね」
「経験は裏切らない。──でも、タマキの薬学の知識も、偽の薬瓶に気づく役には立つだろう」
「あ、はい。実は、棚に並んでた薬瓶の一つ、ラベルの書き方がBCOの薬品規格と違ってたんです。わたし、もう少しで指摘しようとしてたところでした」
「先に言ってくれてもよかったぞ」
「トワさんの方が早かったんです。わたしが口を開く前に、もう全部言ってくれたので」
「次は、タマキが先に気づいたら遠慮なく言ってくれ。二人で見れば、見落としが減る」
「はい!」
ルーナが影の中から呟いた。
「……トワ。街の奥、また別の反応が動いてる。さっきの商人とは違う種類の影」
「番人か、騎士か」
「……分からない。でも、さっきより重い。足音が、地面を踏みしめてる」
「足音がある、ということは、実体寄りの敵だな。次は戦闘になるかもしれない」
「セレス、じゅんび、できてる!」
「セレスは、いつも準備できてるな」
「げんてーひんのせいれい、いつでも、じゅんびまんたん!」
「まんたん……か。ところどころ怪しいが、セレスの語彙は、着実に増えてるな」
「セレス、まいにちいっこ、おぼえてる。きょうは、まんたん。きのうは、ろーひ」
「確かに増えてるな」
影の街の奥から、金属が擦れるような音がした。鎧の音。
次の試練が、近づいていた。