作品タイトル不明
影の街
眠り姫の部屋を出ると、森の奥に新しい通路が開いていた。
通路の入口に、木でできた古い扉があった。眠り姫の鍵が、扉に近づくと淡く光る。
「鍵が反応してます」タマキが扉に近づきながら言った。「鍵穴の形と、鍵の形が合ってますね」
「ぴったり、ってことか」
「ぴったりです」
タマキが少し誇らしげに頷いた。鍵の形を一目で見抜いたのは、薬師として細かい部品の形に慣れているからだろう。
「セレス、扉の向こう、わかるか」
「むこう、くらい。でも、こわくは、ない。なんか、なつかしい、いめーじ」
「懐かしい?」
「セレス、はっきりは、わからない。でも、はじめてのばしょ、なんだけど、しってる、みたいな」
「既視感だな」
「きしかん。むずかしい、ことば」
「セレスの感覚を一言で言うと、こうなる」
「セレス、またことば、おぼえた!」
ルーナが影の中から呟いた。
「……トワ。わたしも、扉の向こうから、似た感覚を受けてる。馴染みがある、というか」
「ルーナもか。何かが、馴染んでるな」
「くるくる!」メブキが頭の上で双葉を一度揺らした。「めぶき、ねっこ、はってみる!」
メブキの根が地面を伝って、扉の向こうへ少しだけ伸びた。すぐに引き戻される。
「ねっこの、さきに、なにか、つたわってきた! ひと、たくさん! でも、おもさ、ない!」
「重さがない人?」
「たぶん、かげ。ひとの、かたちの、かげ、いっぱい」
「人型の影が大勢いる、ってことだな」
ゼクスが扉に手を添えた。
「ここは慎重に行きたいな。──開けるぞ」
「ゼクス、扉の向こうがどんな状況でも、まず一歩だけ踏み出して、引き返せるようにしてくれるか」
「了解。──いくぞ」
扉が、内側に開いた。
◇
扉の向こうは、街だった。
石畳の通り。両側に並ぶ建物。屋根の形。看板の位置。トワは、その景色を知っていた。
「これ……リベルタですよね?」タマキが息を呑んだ。「わたしたちの、街のリベルタです」
「中央通りから、東に折れた角だ。──薬師ギルドの近く」
「はい。わたしのギルドの方向、間違いないです」
だが、おかしい。
街全体が、影でできていた。
石畳は、影の濃淡だけで描かれている。立体感はある。だが、本来あるはずの色がない。建物も、看板も、すべてが灰色から黒の階調だけでできている。空に色がない。空という概念が、ここにはない。
【宵闇の回廊・第五区画「記憶の街」を発見しました】
【あなたが最初の到達者です】
【環境効果:このエリアは影の記憶で構築されています】
「記憶の街……」
タマキが街を見回した。
「リベルタが、影だけで再現されてる。──こんな場所が、宵闇の回廊にあったんですね」
「リベルタは、現BCOの拠点都市だ。プレイヤーの記憶が一番濃く焼き付いてる場所、と言える」
「だから、影が記憶を写し取って、ここに作った……ってことですか?」
「順序はわからない。だが、ここの影が俺たちの街を真似てるのは確かだ」
ゼクスが街の角を覗き込んだ。
「……人がいる」
影の通りを、影の人々が歩いていた。シルエットだけが動いている。顔の造形はない。だが、歩き方や仕草が、見覚えのあるものだった。
「あれ、薬師ギルドの受付の人の歩き方ですよ」タマキが指差した。「肩を揺らす癖まで、そっくりです」
「俺の見た人かもな。──あの太った人、武器屋の店主だ」
「影だけど、誰の影かわかるんだな」ゼクスが眉を上げた。「観察してる側の記憶が、影の動きに乗ってる、ってことか」
「俺たちが見た人の影が、ここで動いてるんだろう。──観察者の記憶を素材にしてる」
「記憶の街、って名前にぴったりだ」
◇
街を歩いた。
影のNPCたちは、トワたちには気づかない。すれ違っても会釈もしないし、視線も合わない。彼らはそれぞれの「記憶」をなぞって動いている。
広場に出た。
広場の中央に、誰かが立っていた。影のシルエット。背格好に見覚えがある。
「あれ……トワさんじゃないですか?」タマキが首を傾げた。
影のシルエットは、トワとほぼ同じ体格だった。同じ姿勢で立っている。腕の動かし方も同じ。
「俺の影だな」
「自分の影が、自分と関係なく動いてるって、変な気分です」
「変な気分だ」
影のトワが、ゆっくり剣を抜く動作をした。剣の影が空中に伸びる。誰もいない場所に向かって、剣を振り下ろした。
次の瞬間、影のトワの目の前に、別の影が現れた。長い首と、大きな尾を持つ影。竜の形。
「……」
タマキが両手で口を覆った。
「あれって、わたしたちが去年戦った、レイドボスの竜じゃないですか?」
「あの戦闘の場面が、影で再演されてる」
影のトワが、剣を振った。影の竜が、ブレスを吐いた。剣と炎が、影でぶつかった。誰かが見ていた、あの日の戦闘の記憶が、影だけで再現されていた。
「これ、わたしの目で見た記憶ですよね」タマキが小声で続けた。「あの日、わたし、後方からトワさんと竜の戦いを見てたんです。あの角度から見たトワさんが、いま、影として再演されてる」
「タマキの記憶が、再現されてる」
「えっ、わたしの記憶?」
「他の誰の目から見たアングルでもない。──竜の右脇、後方から見上げる角度。タマキが立ってた位置だ」
タマキが、頬を赤くした。
「あの時、わたし、ずっとトワさんを見てましたから……あ、あのっ……少し恥ずかしいというか……」
「セレス、いいばめん、きた!」セレスがトワの肩で歓声を上げた。「このあと、セレス、かつやくする!」
「セレス、ちょっと黙っててくれないか」
「セレスはせいかくに、ほうこくしただけ!」
広場を周ると、別の影の場面があちこちで再演されていた。
影の 蓮(オーレン) がギルドメンバーと打ち合わせをしている影。影のゼクスが影潜りを練習している影。タマキが薬を調合している影。それぞれが、誰かの記憶のひとコマだった。
「俺の練習風景、誰が見てたんだ」ゼクスが眉を寄せた。「俺は隠れて練習してたぞ」
「隠れて練習してても、結局誰かに見られてる、ってことじゃないか」
「監視されてた気分だな」
「リベルタには人が多い。誰の目があってもおかしくない」
「……トワ」ルーナが影の中から呟いた。「街の奥、空気が違う」
「奥に何かいるのか」
「……影の中に、混ざってる別の影がある。形が、街の住人の影とは違う。──敵じゃないか」
ゼクスが頷いた。
「俺も気配を感じる。影潜りの先に、別の影が動いてる」
「影読みでスキャンするか」
影読みを起動した。
【影読み・記憶の街・スキャン】
【街の影:観察者の記憶を演じる影(無害)】
【別系統の反応:複数体】
【???(種別不明・記憶の街固有モンスター)】
【現在の状態:監視中】
「監視中、って書いてあるな」
「街の中の、住人ではない誰か、ってことか」
「街の影に紛れてる。今すぐに襲ってくる感じじゃないが、油断はできない」
◇
広場の片隅に、椅子があった。誰も座っていない。だが、椅子の周りに影が淡く揺れている。
「あの椅子、なんか変じゃないですか?」タマキが指差した。
「影の濃さが、周りより薄い。──誰かが座ろうとしてる影が、消えかけてるみたいな」
近づいた。
椅子の上に、紙が一枚落ちていた。影でできた紙ではない。実体のある紙。
拾い上げて、開いた。文字が書かれていた。
「ここは、見られた者たちの場所。
観察者の記憶が、影として残り、演じ続ける。
だが、影の中には、ただ演じるだけではない者もいる。
番人、商人、騎士。彼らは、観察者の記憶を試す。
心して進め。」
「警告だな」
「番人、商人、騎士……」ゼクスが繰り返した。「三体の敵性NPCがいる、ってことか」
「種類の違う相手だ。次に何が来るか、構えとくか」
「セレス、しんぱいなし! セレス、いるよ!」
「セレスは何があっても、自信満々だな」
「えらいせいれい、だから。ふんっ」
「もう自分の売り文句、決まったんだな、セレス」
タマキが、トワの方を見て、少しだけ笑った。
「トワさん、セレスちゃんを褒めるの、上手ですね」
「褒めてるつもりはないんだが、セレスにとっては褒め言葉らしい」
「ふふ、トワさんが何気なく言ったことが、セレスちゃんにとっては全部嬉しいんですよ」
「タマキの観察、鋭いな」
「あ、はい、その……えへへ」
影の街は、続いている。
次の足音が、街の奥から聞こえてくる気がした。