作品タイトル不明
時計塔の中で
逆光鳥のドロップを拾って、渓谷の奥に進んだ。
影読みで先を確認しながら歩いていると、一つの構造物が反応した。崖の中腹に、塔のような形が映っている。だが、輪郭が時々消える。常に存在しているわけではないらしい。
「奇妙な建物がある」
「奇妙?」ゼクスが見上げた。
「影読みでは映ったり消えたりしている。たぶん、特定の条件でしか実体化しない」
メブキが頭の上で根を伸ばした。地面を介して構造物を感知している。
「このたてもの、ひかりがななめのときだけ、ある。まっすぐひかってるときは、ない」
「光の角度に依存する建物か」
太陽の位置を確認した。今はやや高い位置にある。光がほぼ真上から差している。塔は影読みに薄くしか映らない。
数分待った。
太陽が動いた。光の角度が斜めになった。崖の陰影が変わった。塔の輪郭が、影読みの中ではっきりと映り始めた。
「実体化しはじめたぞ」
崖の中腹に、石造りの塔が現れた。古びた石。蔦が絡まっている。長い間そこにあったような風格だ。だが、つい数分前にはなかった。
塔の入口が見えた。アーチ型の門。今は閉じている。
メブキが叫んだ。
「いりぐち、もうすぐひらく! ひかりが、もういちど、ななめになるとき!」
「もう一度斜めに、ってどういうことだ」
「……ひかりは、ななめから、まっすぐ、ななめ、ぎゃくのななめ、まっすぐ、をくりかえす。いま、まっすぐにむかってる。あと三十びょうで、まっすぐ。それから、ぎゃくのななめになるときに、いりぐちがひらく」
「メブキの予測、相変わらず正確だな」
「めぶき、ねっこのちょうろう」
「長老?」
「ねんちょうしゃ。じめんに、ねっこがふかく、ふかく、はってる。ろうれん」
「老練?」
「ろうれん」
「セレスといい、お前といい、難しい言葉を覚えても使い方が怪しいぞ」
「むずかしいことばは、つかうことが、たいせつ」
太陽が動いた。光がまっすぐになった。塔の輪郭が薄くなった。
さらに数十秒。光が逆方向に斜めになった。塔の入口が、ゆっくりと開いた。
「行くぞ」
全員が塔に駆け込んだ。
◇
塔の中は、外観よりも広く感じた。
円形の部屋。中央に巨大な時計があった。直径三メートル。木でできた古い機械式時計。針が止まっている。文字盤の数字が、見たことのない記号で書かれている。
「これは……時計か?」
「時計のようですけど、文字が読めません」タマキが文字盤を見た。
「BCOの古い言語かもしれない。リリース直後の頃は、今と違う表記が使われてたって聞いたことがある」
時計の中央から、操作レバーが伸びていた。手で回せる。
影読みで時計を確認した。
【隠しオブジェクト:黄昏の時計塔】
【中央の時計を操作することで、このエリアの過去の映像を再生できます】
【操作後、しばらく塔の外には出られなくなります(光の角度が変わるまで)】
「過去の映像、か」
「映画みたいなものですか?」タマキが聞いた。
「たぶん、もっと臨場感があるやつだ」
トワがレバーに手をかけた。回した。
ガリ、と音がした。
時計の針が動き始めた。長針と短針が、逆方向に回り出した。時間を巻き戻している。
塔の壁が透明になった。外の景色が、過去の風景に変わっていった。
◇
黄昏の渓谷ではなかった。
通常のBCOの世界が、塔の周囲に広がっていた。だが、見覚えのある場所と少し違う。リベルタの風景に似ているが、建物の数が少ない。大通りが短い。住んでいるNPCの服装が、現在より素朴だ。
「これは、リベルタ……?」
「昔のリベルタだ。BCOのサービス開始直後に、この光景を見た気がする」
ゼクスが目を見開いた。
「サービス開始日にログインしたが、確かにこんな景色だった。建物が少なくて、NPCも数えるほどしかいなかったが」
時計の針が進んでいく。風景が時間と共に変化する。建物が増えていく。NPCが増えていく。プレイヤーらしき人影も増えていく。BCOの世界が、少しずつ完成されていく様子が見える。
「サービス開始から今までが、早送りで見える」
「すごい……」タマキが息を呑んだ。
時計の針が、ある時点で止まった。
風景が固定された。
リベルタの広場。プレイヤーが大勢集まっている。何かのイベントの最中らしい。だが、空が変だった。空に、巨大な手のようなものが映っている。半透明で、ぼんやりとしか見えない。だが、確かに「手」だった。
「あれは……」
「『紡世者』の手かな……」ルーナが影の中で呟いた。「世界に何かを足してるようだけど」
手が動いた。何かを書き加えるように、指が空を撫でた。
その瞬間、リベルタの空に、新しい雲が描かれた。何もなかった場所に、雲が増えた。プレイヤーたちは気づいていない。
「世界に雲を足してる……?」
「紡世者は世界の編集権限を持ってる。雲を足したり、地形を調整したりできるんだろう」
手が消えた。
時計の針が、また進んだ。
風景が変わった。今度は集落のような場所。紡ぎ直しの大地に似ている。NPCたちが、楽しそうに暮らしている。パン屋がいる。鍛冶屋がいる。子供たちが走っている。
「これは、リベルタの北の小さな村か」
「俺は行ったことがある」ゼクスが言った。「初期の頃、よく訪れた場所だ。今もそこにある」
時計が、その時代の村を映している。
しかし、そこに割り込むように、空に紡世者の手が現れた。指を一本、立てた。
パン屋のNPCの周囲が、淡く光った。誰かに似ている気がした。BCOのどこかで会ったことがあるような、ないような、見覚えのある顔。
「あのパン屋、見たことある気がします」タマキが目を細めた。「似てる人を、別のどこかで」
光が消えた。パン屋は何事もなかったように、パンを焼き続けている。だが、紡世者の手が一瞬、何かを記録するような動きをしていた。
「紡世者は、ほつれを観察してたのか」
「監視していた、と言うべきかもしれない」
手が消えた。時計の針がさらに進む。だが、急に針が震えた。
画面にエラーが表示された。
【警告:再生範囲を超えました】
【この時計は、塔の周囲のエリアの過去のみを再生できます】
【別のエリアの過去を見るには、別の時計塔を探してください】
「他のエリアにも、時計塔があるってことか」
「色んな場所の歴史が断片的に残ってるんですね」タマキがメモを取った。「これは大発見です」
時計の針が止まった。塔の壁が元の石に戻った。過去の映像が消えた。
代わりに、時計の足元に、何かが落ちていた。
小さな鏡だ。月の形をしているが、向きが逆さまだった。
【隠しアイテムを発見しました】
【「逆月の鏡」】
【見聞録の影スキャン(影読み)の範囲を二倍に拡大します】
「逆月の鏡。影読みの範囲を二倍にする装備」
「便利ですね」タマキが言った。
「これで広範囲のスキャンができる」
メブキが頭の上で双葉をぴこぴこさせた。
「とけいとう、おもしろかった! むかしのせかい、しらないことだらけ!」
セレスがトワの肩で空を見上げた。
「トワ。さっきのて、こわかった?」
「怖くはない。ただ、紡世者は世界をいつでも編集できるってことだ」
「セレスたちは、ぼーせーしゃが、いまもへんしゅうしようとおもったら、できる?」
「分からないが……おそらく」
「セレスを、けせる?」
「消すことはできるかもしれない。だが、消させない」
「ほんと?」
「ほんとだ」
「よかった」
ルーナが影の中から言った。
「……トワ。紡世者の手が、わたしたちの世界を編集してる映像を見て、思ったの。あの手は、わたしたちのことも、いつでも消せる」
「消されないようにする方法を考えるしかない」
「……どうやって」
「歩いて、見つける。いつも通りにな」
「……うん。いつも通り」
光の角度が変わった。塔の出入口が再び開いた。トワたちは塔を出た。
黄昏の渓谷の奥に、まだ未踏の道が伸びている。