作品タイトル不明
一番深い影
翌日。トワはリベルタの裏路地にいた。タマキ、ゼクスと三人。パーティチャットでハルとミコトにも繋いでいる。
「影の底を調べるなら、まず一番深い影を見つける必要がある」
「一番深い影?」ゼクスが聞いた。
「昨日のスキャンで、影に三つの層があるとわかった。表面の影属性、中間の未分類層、深層のスキャン不可領域。だが、全ての影が三層構造を持っているわけじゃない。浅い影は表面層しかない」
トワが見聞録の影読みを起動した。裏路地の影をスキャンしていく。壁の影。ゴミ箱の影。看板の影。どれも浅い。表面層だけだ。
「ここの影は、どれも浅いな」
「……もっと長い間、同じ場所にあり続けた影じゃないと、深くならないのかもしれない」ルーナが影の中から言った。
「長い間同じ場所にある影、か」
セレスがトワの肩の上で首を傾げた。
「トワ。おなじばしょに、ずっとあるかげって、どういうの?」
「建物の影は太陽の角度で動くから、同じ場所にはいない。木の影も風で揺れる。ずっと同じ場所にある影は……」
「地下だ」ゼクスが言った。「日光が届かない場所なら、影は動かない」
「地下……」
トワの頭に、一つの場所が浮かんだ。
「巌路の部屋」
「グランさんの部屋ですか?」パーティチャットからハルの声が聞こえた。
「リベルタの裏路地にある隠し部屋。日光が届かない地下空間だ。巌路はあそこに何年もいる。BCOがサービスを開始してからずっとだ」
「何年も同じ場所で同じNPCが座っている。その影は、ゲーム内で最も古い影の一つか」
「行ってみよう」
壁に手を触れた。旅人にだけ見える扉が開いた。暖炉の部屋。壁の地図。椅子に座った巌路。
「おう、トワ。また来たか」
「巌路。お前の影を調べさせてくれ」
「俺の影? いったい、何を言い出すんだ」
「お前の影が、この世界で一番深い可能性がある」
巌路が茶碗を置いた。
「一番深い影、か。面白いことを言う。何をするのかは知らないが、試してみよう」
トワが見聞録の影読みを巌路の足元に向けた。
スキャンが始まった。
データが返ってきた。
【巌路の影:スキャン結果】
【表面層:影属性(通常)……厚さ:極厚】
【中間層:未分類属性……厚さ:極厚】
【深層:??????……深度:計測不能】
【備考:確認された影の中で、最大の深度を記録しました】
「やっぱりか。巌路の影が、BCOで一番深い」
「一番か」巌路が笑った。「長年座っていた甲斐があったな。尻が重いのも、たまには役に立つ」
「深層の深度が計測不能だ。底が見えない」
ルーナが影の中で息を呑んだ。
「……トワ。この影の底、すごく深い。わたしが今まで感じた中で一番。ここなら、影の底を開けるかもしれない」
「開けるか」
「……やってみる。夜の力で、影の底をこじ開ける」
ゼクスが腕を組んだ。
「危なくないのか」
「……わからない。でも、試さないとわからない」
「お前らしい答えだな」
トワがセレスを見た。
「セレス。ルーナが影を開ける間、お前の月光で周囲を照らしてくれ。暗すぎても明るすぎてもダメだ。ちょうどいい加減で」
「ちょうどいいかげん。むずかしい」
「できるか」
「やってみる。セレスも、ためさないとわからない」
「ルーナと同じことを言うな」
「えへ……なかまだから」
巌路が椅子から立ち上がった。影が壁に大きく伸びた。
「どいた方がいいか?」
「いや、座っていてくれ。お前が座っていることで、この影は安定している。離れたら影の形が変わるかもしれない」
「わかった。座っているのは得意だ」
メブキが地面に降りた。
「めぶきは、ねっこで、まわりをかんししてる。なにかへんなことがおきたら、すぐいう」
「頼む」
全員が配置についた。
トワが巌路の影の前に立った。セレスが月光を灯した。柔らかい銀色の光が暖炉の光と混じって、影の輪郭をくっきりと浮かび上がらせた。
ルーナが動いた。
トワの影の中から、巌路の影の中へ。影の底に向かって、沈み始めた。
「……行く」
ルーナの気配が、影の奥に沈んでいった。
五秒。
十秒。
二十秒。
影の表面が揺れた。水面のように波打った。壁に落ちた巌路の影が、揺らぎ始めた。
「ルーナ……」セレスが心配そうに影を覗き込んだ。
三十秒。
影が裂けた。
巌路の影の中央に、黒い亀裂が走った。亀裂から、冷たい風が吹き出してきた。暖炉の火が揺れた。地図の端がめくれた。
亀裂が広がっていく。人一人が通れる大きさに。
ルーナの声が、亀裂の向こうから聞こえた。
「……開いた。トワ、開いたよ。影の底に、空間がある」
トワが亀裂を覗き込んだ。
暗い。何も見えない。だが見聞録の影読みを起動すると、輪郭が浮かび上がった。通路だ。下に向かって伸びている。壁がある。床がある。天井がある。全てが影でできた空間。
見聞録にシステムメッセージが表示された。
【隠しエリアを発見しました】
【エリア名:宵闇の回廊】
【このエリアは通常の方法では発見できません】
【「夜」の力で影の底を開いた者だけが入れます】
【警告:内部の環境は通常のエリアと大きく異なります。十分な準備を推奨します】
「【宵闇の回廊】……」
「……見つけた」ルーナが呟いた。「トワ。ここに、わたしの力の答えがあるかもしれない」
巌路が椅子から身を乗り出して、影の亀裂を見ていた。
「わしの影の底に、こんなものがあったのか。何年も座っていて、気づかなかった」
「お前が何年も座っていたから、ここまで深くなった。お前がいなかったら、この入口は開けなかった」
「……なるほど。尻が重いのにも、意味があったわけだ」
タマキがメモを取りながら言った。
「トワさん、すぐに入りますか」
「いや。今日は入口を確認しただけだ。準備をしてから入る。何があるかわからない」
「旅人が準備をしてから行くって言うの、珍しくないですか」
「成長した」
「本当に成長したんですか、それとも私の変動耐性の薬が足りないからですか」
「……両方かもしれない」
セレスが月光を消した。影の亀裂が少しずつ閉じていく。だが完全には閉じなかった。薄い線が、巌路の影の中に残った。一度開いた入口は、もう消えない。
「トワ。いりぐち、のこってる」
「ああ、いつでも入れる」
「あした?」
「明日だ」
「たのしみ」セレスが笑った。「あたらしいぼうけん」
新しい冒険が、巌路の影の底で待っている。