作品タイトル不明
夏の夜
七月の第二土曜日。
冬夜は浴衣を着ていた。紺色の浴衣。蓮に借りた。蓮の方が背が高いから丈が少し長い。だが歩くのに支障はない。七千時間歩いた男に、丈の長さは障害にならない。
駅前で宮瀬を待っていた。
宮瀬が来た。
白地に青い花柄の浴衣を着ていた。髪をまとめている。いつもと違う。
「お待たせしました」
「こちらこそ、待たせたな」
「浴衣、着てくれたんですね」
「考えておくと言っただろう」
「宮瀬辞書通りですね。……似合ってますよ、久坂くん」
「……宮瀬も」
「え?」
「宮瀬も、似合ってる」
宮瀬が立ち止まった。二秒くらい黙った。
「……ありがとうございます。今のは聞き逃がしませんよ」
「別に、逃げない」
「逃げないなんて、珍しいですね」
「珍しいか」
「珍しいです。記念日にします」
「大げさだ」
「大げさじゃないです。久坂くんが正面から褒めてくれたの、たぶん三回目くらいですから」
「数えてるのか」
「数えてますよ。薬師……いえ、彼女……なので」
河川敷に向かって歩いた。屋台が並んでいる。りんご飴、焼きそば、金魚すくい。夏祭りの匂い。
花火が始まるまで時間がある。屋台を回った。宮瀬がりんご飴を買った。冬夜は焼きそばを買った。河川敷の芝生に座って、川を見ながら食べた。
「久坂くん。夏ですね」
「七月だからな」
「そういう意味じゃなくて、夏だなあ、って」
「ああ……夏だな」
「去年の夏は、何してました?」
「ゲームだな。新大陸アストラムを歩いてた」
「わたしもです。タマキとして、トワさんの隣で薬を作ってました」
「ああ……そうだったな」
「今年の夏も、同じですかね」
「たぶん。ゲームをして、歩いて、宮瀬が薬を作る」
「でも、去年と一つ違うことがあります」
「何が」
「花火を一緒に見てること」
空に、最初の花火が上がった。
赤い光が夜空に広がった。川面に映って、二つの花火になった。音が遅れてきた。腹に響く重い音。
「きれい」宮瀬が空を見上げた。
「ああ」
冬夜も空を見た。花火が次々と上がっていく。
宮瀬の手が、冬夜の手の横にあった。触れてはいない。五センチくらいの距離。
冬夜はその距離を、そのままにした。縮めもしなかった。広げもしなかった。
今はこれでいいと、そう思った。
◇
翌日。BCOにログイン。
始まりの町リベルタ。夏のリベルタは陽が長い。夕方五時でもまだ明るい。
タマキが合流した。
「トワさん、花火大会どうでしたか」
「何で知ってるんだ」
「久坂くんが浴衣を着たって、蓮さんから聞きました」
「あいつ……」
「楽しかったですか?」
「……悪くなかった」
「それは楽しかったってことですね。宮瀬辞書的に」
「お前にも宮瀬辞書が伝染してるのか」
「同一人物ですから」
ゼクスからパーティチャットが入った。
ゼクス:「トワ。ルーナに聞きたいことがある」
トワ:「何だ」
ゼクス:「影潜りの挙動がおかしい。昨日から、影に入った時の感触が変わった。影の中に、もう一層何かがある感じだ」
トワ:「ルーナ。ゼクスのチャットを見てくれるか、どう思う?」
ルーナが影の中から答えた。
「……ゼクスの言ってること、わかる。わたしも昨日から感じてた。影の中に、別の層がある」
「別の層?」
「……昨日、トワの影が二重になってると言ったでしょう。あれと同じ。影の中に、闇とは違う何かが混じり始めてる」
ゼクス:「影と違う? 影潜りは影属性のスキルだが、影以外の何かが混じってるのか」
「……そう。影潜りは影属性。わたしの力は夜。世界のシステム上は、影も夜も似たような扱いをされてる。でも最近、その二つが同じじゃないって感じ始めてる」
トワが考え込んだ。BCOの属性体系では、光と闇が対になっている。闇は深淵に関わる力だ。一方で、ゼクスの影属性やルーナの夜の力は、闇とは別系統として存在している。
しかし、なぜいまルーナたちの影が揺らいでいるのか。
「……わたしも、まだうまく説明できない。でも何かが動いてる気がする。影の中で」
メブキが頭の上で双葉をくるくる回した。
「くるくる……めぶきにはわからない。でも、ルーナのかげが、まえよりふかい気がする。ねっこでかんじる」
「深い、か」
ゼクスがチャットに打った。
ゼクス:「影と夜が別物なら、影潜りの性質にも関わるな。調べておく」
トワ:「ああ。何かわかったら教えてくれ」
ルーナが影の中から、静かに呟いた。
「……トワ。もしかしたら、わたしの力のこと、もっと知るべきなのかもしれない。夜って何なのか。影って何なのか。闇とどう違うのか」
「調べるか」
「……うん。調べたい」
「なら歩こう。歩いて探す。いつも通りだ」
「……うん。いつも通り」
夕方のリベルタを歩いた。日が傾いて、影が長くなっている。トワの影が石畳に伸びている。その影の中に、ルーナがいる。