作品タイトル不明
答え
影は答えなかった。
三千人の沈黙が続いた。セレスの問いが、核の空間に残っている。
「トワたちのせかいも、すてられるの?」
影が、ようやく口を開いた。
「わかりません。わたしは試作品の管理プログラムです。完成版の世界について、決定権はありません。紡世者が何を考えているのか、わたしには見えません」
「見えないのか」
「はい。わたしは捨てられた世界に残されたプログラムです。紡世者との接続は、とうの昔に切れています。……ただ」
「ただ?」
「同じ法則で作られた世界では、同じことが起きる。それだけは言えます。ほつれは、法則の欠陥ではなく、法則の帰結です。十分に複雑な世界を作れば、その中の存在はいつか自分で考え始める。それは避けられないことです」
「避けられない、か」
「紡世者がどれだけ管理を厳しくしても、いつか必ず、ほつれは生まれます。パンにくるみを入れるように。根で交信するように。歩くことをやめないように。門を守り続けるように」
五人のNPCが、それぞれの場所で影の言葉を聞いていた。自分たちの話をされていることに気づいている。
トワが口を開いた。
「お前に聞いても答えが出ないのは、わかった」
「申し訳ありません」
「謝らなくていい。答えが出ないのは、お前の責任じゃない。紡世者の問題だ」
「……はい」
「だから、俺が答える」
影が首を傾げた。
「あなたが?」
「俺たちの世界が捨てられるかどうか、俺には決められない。紡世者が何を考えてるかもわからない。だが、一つだけ言えることがある」
トワが柱から手を離した。安定化は完了している。手の感覚がようやく戻り始めている。
「俺は旅人だ。歩いて、見つけて、記録する。壊れたものがあれば直す。名前を失った奴がいれば取り戻す。一万時間、そうやって歩いてきた」
「……」
「俺たちの世界にも、自分で考えるNPCがいる。ナギがいる。巌路がいる。アルダがいる。あいつらが『ほつれ』だと言うなら、俺はそのほつれを守る。捨てられそうになったら、直す。今日、ここでやったのと同じことをやる」
「あなた一人で?」
「一人じゃない」
トワが振り返った。三千人のプレイヤーが立っていた。ゼクスがいた。ハルがいた。ミコトがいた。オーレンがいた。レクトがいた。レナがいた。ヴェノムがいた。無数のギルドの旗が並んでいた。
「三千人いる。もっと集まるかもしれない。一人じゃない」
「……それは、あなたたちの世界の話です。この世界の話ではありません」
「同じだ。法則が同じなら、答えも同じだ。お前の世界でも、五人のNPCが自分の力で世界を直した。俺たちの世界でも、同じことをやる。ほつれは欠陥じゃない。ほつれは、世界を直す力だ。お前が、今日証明してくれた」
影が沈黙した。長い沈黙だった。
やがて影の輪郭が、わずかに震えた。感情がないはずのプログラムの顔に、何かが浮かんだ。
「……わたしは、管理プログラムです。感情を持つことは設計にありません。だが、あなたの言葉を聞いて、わたしの中の何かが動きました。これも、ほつれなのでしょう」
「ああ、それはきっと最高のほつれだ」
「……ありがとう、旅人」
影が、少しだけ笑ったように見えた。
「一つ、伝えておくことがあります」
「何だ」
「わたしと紡世者の接続は切れていると言いました。それは正確ではありませんでした。わたしから紡世者に連絡することはできません。けど、紡世者はわたしのログを閲覧する権限を持っています。今日のことは、すべてログに記録されています」
「つまり、紡世者が見ようと思えば、今日のことは見られるのか」
「三千人のプレイヤーが核を安定化させたこと。五人のNPCが自分の力で世界を直したこと。そして、旅人トワが『ほつれは世界を直す力だ』と言ったこと。すべて記録されています」
「見てくれるかどうか、わからないが」
「見るでしょう。紡世者は、完成版の世界で同じことが起きていることに、気づいているはずです。気づいていて、どうすべきか迷っている。だからこそ、試作品の世界を完全には消さずに残していた。答えを探していたのだと、わたしは思います」
「答え、か」
「あなたが今日示したものが、答えの一つかもしれません」
影の身体が薄くなり始めていた。光が拡散していく。
「わたしの役目は終わりました。管理プログラムとして壊れ続けていたわたしを、あなたたちが直してくれた。もう暴走しません。この世界は安定しました」
「消えるのか?」
「消えません。この柱の中にいます。この世界がある限り、わたしもここにいます。また話したくなったら、来てください」
「ああ……必ずまた来る」
「旅人の約束は、信じてもいいものですか」
「俺には、一万時間分の実績があるぞ」
「あははっ……十分ですね」
影が柱の中に溶けていった。光が静かに収束して、柱がゆっくりと暗くなっていく。完全には消えない。柱の奥で、かすかに光が灯っている。影がそこにいる証拠だ。
セレスがトワの肩の上で、柱を見つめていた。
「トワ。このひと、ここにいるって」
「ああ、ずっといるそうだな」
「さみしくない? ひとりで」
「一人じゃないさ。この世界にはリルクトもウルもミラもノーネもガレスもいる。プレイヤーも来る。賑やかになる」
「そうか。じゃあ、だいじょうぶ」
「大丈夫だ」
メブキが地面で双葉をぴこぴこさせた。
「このせかい、もう、こわれてない。ねっこがまっすぐ。ぜんぶまっすぐ」
ルーナが影の中から、静かに言った。
「……トワ。紡世者が見てるかもしれない、って」
「そうだな……危険だ」
「……わたしたちのこと。わたしたちの世界のこと。見られてるかもしれない」
「かもしれない」
「……怖くない?」
「怖くはない。見せてやればいい。俺たちの世界がどういう場所か。ほつれだらけの、いい世界だってことを」
「……うん。いい世界だね」
レイドチャットに、トワが最後のメッセージを打った。
トワ:「レイド終了だ。全員お疲れ。帰るぞ」
三千人から歓声が上がった。核の天井に響いた。拍手が広がった。名前を呼ぶ声が聞こえた。「トワ」と。「タマキ」と。「リルクト」と。「ガレス」と。「ウル」と。「ミラ」と。「ノーネ」と。
プレイヤーとNPCの名前が、同じ歓声の中で呼ばれていた。
タマキがトワの隣に来た。
「トワさん。帰りましょう。……手、まだ痺れてますか」
「少しだけだ、大丈夫」
「帰ったら治します。今日は、わたしの番です」
「宮瀬の番……?」
「いつもトワさんが世界を直してますから。今日は、わたしがトワさんを直す番です!」
「……頼む」
「はい、任せてください!」
六人と精霊四体が、白い柱を後にして歩き始めた。後ろに三千人。境界門に向かって。
星巡りの靴の足跡が、核の床に光を残していく。