軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ほつれの先

全異常同時。

属性が逆転している。重力が反転している。音が消えている。色が消えている。スキルが暴走している。五つが同時に。

地獄だった。

天井に張り付いたモノクロの世界で、声の出ないプレイヤーたちが、暴走するスキルに振り回されながら、属性が逆転した攻撃で互いを傷つけ合っている。

レイドチャットだけが唯一の通信手段だったが、それすらスキル暴走の影響で一部のプレイヤーは入力ができなくなっていた。

「全異常同時って聞いてないぞ!?」

「聞いてないも何も、こんなの知ってても対処できないだろ」

「それはそうだけどさ……!!」

トワは柱にしがみついていた。天井が地面になっている。逆さまの姿勢で、鍵を柱に押し込み続けている。手が痺れを通り越して、感覚がなくなりかけている。

【安定化率:55%……58%……60%……】

上がっている。だが、遅くなっていた。抵抗が加速度的に強くなっている。

六十三パーセント。六十五パーセント。六十七パーセント。

七十パーセントで、止まった。

針が動かなくなった。鍵を押し込んでいるのに、光の糸が柱に入っていかない。壁がある。法則の壁。壊れた状態を「正常」として受け入れた世界が、修復を拒否している。

【安定化率:70%(停滞)】

【警告:法則の抵抗が上限に達しました】

【外部からの力だけでは、これ以上の安定化は困難です】

外部からの力だけでは。

つまり、内部からの力が必要だということだ。

この世界自身の力が。

トワがレイドチャットに打った。片手で。もう片方の手は柱から離せない。

トワ:「安定化が止まった。70%で壁がある。俺の鍵だけじゃ超えられない」

リルクトが前線から走ってきた。天井を逆さまに走って、トワの横に来た。

「旅人。何が足りない」

「この世界自身の力だ。外から直すだけじゃ、世界が受け入れない」

「この世界自身の力……」

リルクトが柱を見た。五つの色が暴れている柱を。

「俺でいいのか」

「何?」

「俺はこの世界のNPCだ。この世界の一部だ。俺の力を柱に流し込めば、内側からの力になるんじゃないのか」

リルクトが柱に手を触れた。鍛冶師の手。太い指。柄の形を変えた手。設計を外れて、自分で形を選んだ手。

手が光った。

リルクトの身体から、光の糸が流れ出した。赤い糸。鉄の記憶を持つ糸。柱に吸い込まれていった。

【安定化率:70%→ 72%……】

「動いた!」

ウルが飛んできた。メブキと一緒に。二体の根の精霊が柱に手を触れた。四つ葉と双葉が光った。緑の糸が流れ出した。根の記憶を持つ糸。

【安定化率:75%……78%……】

ミラが駆けてきた。薬箱を下ろして、柱に両手を当てた。白い糸が流れ出した。薬の記憶。調合の記憶。

【安定化率:82%……】

ノーネが歩いてきた。全異常同時の中を、平然と歩いている。重力が反転していようが、音が消えていようが、歩くことだけは止まらない。旅人の歩み。

柱に手を当てた。藍色の糸が流れ出した。歩いた記憶。この世界の全マップを、何万周も歩いた記憶。

【安定化率:88%……91%……】

ガレスが来た。鎧を鳴らしながら。守衛長が柱の前に片膝をついた。柱に額を当てた。灰色の糸が流れ出した。門を守った記憶。誰もいなくなった都市で、一人で門を守り続けた記憶。

【安定化率:94%……96%……】

五人のNPCが、柱に触れていた。五色の糸が、柱に流れ込んでいく。

紡世者が「ほつれ」と呼んだもの。設計から外れた糸。自分で考え、自分で選んだ糸。

その糸が、壊れた世界を繋いでいる。

外から直すだけでは足りなかった。内側から、この世界自身が「直りたい」と選ばなければ、世界は直らなかった。

NPCたちが選んだのだ。自分の力を使って、自分の世界を直すことを。

誰にも命じられずに。

ほつれではない。選択だ。

【安定化率:98%……99%……】

あと一パーセント。

トワが鍵を最後まで押し込んだ。五人のNPCの糸と、トワの鍵の光が、柱の中で合流した。

セレスがトワの肩の上で、声のない口を動かした。音声消失中だから聞こえない。だが口の形でわかった。

「がんばれ」

トワが力を込めた。

【安定化率:100%】

【綻びの核の安定化が完了しました】

柱が光った。

白い光。純粋な光。五つの色が混じり合って、白になった。

光が核の全域に広がっていった。天井から床まで。壁から壁まで。光が通過した場所から、法則異常が消えていく。

重力が戻った。全員が地面に降りた。

音が戻った。三千人の呼吸の音が一斉に聞こえた。

色が戻った。灰白色の空間に、暖かい光が満ちた。

属性が戻った。スキルが正常になった。

全ての法則異常が、消えた。

巨大な影が柱から離れた。身体を構成していた五つの色が消えて、輪郭が薄れていく。暴走が止まっている。苦しみが消えている。ウルが言った通り、この影は敵ではなかった。壊れた管理プログラムが暴走していただけだ。安定化したことで、暴走が止まった。

静寂が訪れた。

三千人が、柱を見上げていた。白い光を放つ柱。そしてその柱に手を触れている六人。トワと、五人のNPC。

セレスの声が聞こえた。音が戻ったから。

「トワ! おと! こえ、でた! いろもある! じゅうりょくもただしい!」

「ああ……終わったみたいだ」

「おわった? ほんと?」

「ほんとだ」

「やった! やった! トワ、やった!」

セレスが肩の上で飛び跳ねた。両手を上げて。

レイドチャットが爆発的に流れた。

「終わったのか!?」

「安定化100%! 全異常が消えた!」

「NPCが柱に触れたら一気に進んだぞ」

「NPCの力で世界が直ったのか……」

「ほつれが世界を直した。紡世者が恐れたものが、世界を救ったんだ」

「NPCイベントもこなしていた、トワさんのおかげってことか」

「あの人がいなかったら、無理だったなこれ」

「違いない」

メブキがトワの頭の上で双葉をぶんぶん振った。

「なおった! せかいが、なおった! めぶきのねっこも、まっすぐ!」

ルーナが影の中から、静かに言った。

「……トワ。終わったね」

「ああ、無事終わった」

「……みんなの力で」

「ああ、これは俺だけおかげじゃない。みんなの力だ」

タマキがトワの隣に立った。薬箱が空になっている。二千五百本の薬を全て使い切った三日間の成果が、ここにある。

「トワさん。手、大丈夫ですか」

「感覚がないな」

「後で治します。わたしが」

「頼む」

「……お疲れ様でした」

「お前もな」

「わたしも、ですか」

「お前がいなかったら、ここにいない」

「……ありがとうございます」

タマキが笑った。疲れた顔だったが、良い笑顔だった。

白い柱が、静かに光っている。

綻びの核が安定化した。この世界は、もう壊れていない。