軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

嵐の中で

天井を走った。重力が逆転した世界を、逆さまのまま駆ける。

柱まであと二十メートル。十五メートル。

セレスが肩にしがみついている。メブキが頭の上で双葉を押さえている。

十メートル。

切り替わった。

音が消えた。

足音が消えた。呼吸の音が消えた。三千人の声が、一瞬で消えた。

同時に重力が戻った。天井から地面に落ちた。全員が落ちた。着地の衝撃が身体に走ったが、音はしなかった。

三度目の異常。音声消失。

セレスがトワの肩で口を動かした。声が出ない。目が大きくなった。また喋れなくなった。

トワの手を、ぎゅっと握った。

トワはセレスの頭に指を触れた。大丈夫だ、という合図。鏡映の湖で覚えた、二人だけの通信手段。

レイドチャットに打った。

トワ:「音声消失だ。声が出ない。テキストのみ。聖職者は回復支援に切り替えろ。属性逆転は解除されてる」

三千人がテキストチャットに切り替えた。声が出ない戦場。だが手は動く。指は動く。

柱まであと八メートル。走った。

巨大な影が腕を振り下ろしてきた。声が出せないから、警告を叫べない。

メブキが地面を叩いた。根が一瞬だけ震えた。前衛のプレイヤーたちの足元に振動が伝わった。根による警告。ウルも同時に根を震わせた。二体の根の精霊が、音の代わりに振動で情報を伝えている。

前衛が回避した。

柱まであと三メートル。

トワが跳んだ。糸の鍵を構えて、光の柱に手を伸ばした。

触れた。

鍵が柱に沈み込んだ。手が光に包まれた。

【糸の鍵が光の柱に接触しました】

【安定化プロセスを開始します】

【警告:法則の抵抗が検出されました。安定化には時間がかかります】

【安定化率:0%】

始まった。だが、簡単にはいかなかった。

柱が震えた。五つの色が激しく脈動した。鍵を握る手が弾かれそうになった。法則が安定化を拒んでいる。壊れたまま放置された時間が長すぎて、「壊れている状態」が「正常」になってしまっている。

歯を食いしばった。鍵を押し込んだ。

【安定化率:3%……5%……】

遅い。三千人が法則異常の中で戦っている間に、少しずつしか進まない。

切り替わった。

音が戻った。と同時に、色が消えた。世界がモノクロになった。

四度目の異常。属性消失。

レイドチャットが悲鳴で埋まった。

「属性が消えた! 魔法が全部無効になってる!」

「物理も半減してるぞ! ダメージが通らない!」

「さっきの音声消失が終わったと思ったら今度はこれか!」

トワは柱から手を離せない。安定化を続けなければならない。だがレイドチャットに指示を出す必要がある。

タマキが叫んだ。

「色です! 色を与えてください! 外から持ち込んだ素材を影にぶつけて! 属性が戻ります!」

虹砂の砂漠で編み出した戦法だ。タマキが指示を出している。トワの代わりに。

プレイヤーたちが持っていた素材を影に投げ始めた。逆根草の緑、錆鉄鉱の赤、鏡水晶の白。色がモノクロの世界に飛び散って、影の身体を染めていく。

「効いてる! 物理が通るようになった!」

「さっきトワが配った知識だ! 各エリアで学んだことが全部使えるのか!」

【安定化率:12%……18%……】

セレスが声を取り戻していた。音声消失が解除されたからだ。

「トワ! こえ、もどった! でも、いろがない!」

「交互に来てる。一つが消えると、別のが来る」

「トワ、だいじょうぶ? て、ひかってるけど」

「大丈夫だ。集中してるだけだ」

「うそ。いたそう」

「……少し痛い」

「がんばれ。セレス、ここにいる」

切り替わった。

色が戻った。全員のスキルアイコンが点滅し始めた。

五度目の異常。CT変動。

前衛の戦士たちのスキルがランダムに暴走し始めた。使おうとしたスキルが発動しない。使っていないスキルが勝手に発動する。

「スキルが暴走してる!」

「回復を出そうとしたら攻撃が出た! 味方に当たった!」

「CT変動だ! 歌う廃墟と同じだ!」

ゼクスの影潜りがランダムに発動した。意図せず影に沈んで、見当違いの場所に出現した。

「勝手に影潜りが発動しやがった……!」

ハルが叫んだ。

「CT変動中はスキルを手動で使わないでください! 勝手に発動するスキルに任せて、身体だけで動いてください!」

導師の分析。ハルがメモ帳片手に状況を整理している。レイドの最中にメモを取っている導師は、たぶんこの三千人の中でハルだけだ。

「手動で使うと暴走する! 勝手に発動するスキルを利用しろ!」

ハルの指示が広まった。プレイヤーたちがスキルを手放して、身体だけで戦い始めた。剣を振る。盾で受ける。走る。跳ぶ。スキルに頼らない、純粋な操作技術だけの戦闘。

リルクトが前線で叫んだ。

「武器が壊れた奴はこっちだ! CT変動で耐久値が余計に減ってる!」

【安定化率:31%……38%……】

上がってきている。だが遅い。そして、トワの手が痺れ始めていた。柱の抵抗が強い。鍵を握る手に、法則の歪みが直接流れ込んでくる。

ルーナが影の中から、トワの耳元で囁いた。柔らかい声で。

「……トワ。安定化率が上がるたびに、法則の抵抗が強くなってる。このペースだと、全異常が同時に来る前に終わらない」

「わかってる」

「……でも、トワならやれると思ってる」

「根拠は」

「……七千時間」

トワは笑った。痛みの中で。

【安定化率:44%……】

次の切り替わりが来る。その前に少しでも上げておきたい。鍵に意識を注ぎ込んだ。

全員が戦っている。三千人のプレイヤーが、影の攻撃を受け止めている。五人のNPCが、それぞれの仕事をしている。精霊四体が、トワの周りを守っている。

一人じゃない。

セレスの手が、トワの首元に触れていた。小さくて、温かい手。

「トワ。セレス、ここにいる。どこにもいかない」

「ああ、知ってる」

【安定化率:51%……】

半分を超えた。

そして、全てが同時に来た。

【全異常同時発動】

属性が反転した。重力が消えた。音が消えた。色が消えた。スキルが暴走した。

五つの法則異常が、同時に。

世界が壊れた。