作品タイトル不明
綻びの大地
石の階段を降りていった。三十段。五十段。百段。足元の星巡りの靴が光の足跡を残すおかげで、暗闇でも迷わない。
百二十段目で、階段が終わった。
トワが最後の段を踏んで、目の前に広がった景色を見た。
草原だった。
だが……どこかおかしい。
草が銀色ではない。金属の色をしている。鉄色、銅色、錆びた赤。草の一本一本が金属の質感を持っていて、風に揺れるたびにカチカチと音を立てている。
「……トワ。くさが、かたい」
セレスがトワの肩からそっと手を伸ばして、近くの草に触れた。指先が金属に弾かれる音がした。
「いたい」
「触るな、これは草じゃなくて金属だ」
「うー……さわるまえに、いって」
「……次からはそうする」
空を見上げると、これもまた色がおかしい。青ではなく、黄土色だ。雲もあるが、雲が四角い。雲は普通、丸みを帯びているものだが、ここの雲は直方体をしている。
「くるくる……くも、しかくい」メブキが双葉をぴょこぴょこさせた。「くも、まるいのが、ただしい。しかくいのは、おかしい」
「俺もそう思う。……見るからに不気味だな」
トワが見聞録を起動した。周囲をスキャンする。
データが返ってきたが、表示がおかしかった。
【エリア名:??????】
【天候:未定義】
【地形:草原(素材:鉄・銅・錫)】
【環境効果:ステータス変動(全パラメータ ±10%/60秒周期)】
【警告:このエリアの法則は不安定です。スキル効果が予期しない結果を生む場合があります】
「エリア名が文字化けしてる……」タマキが画面を覗いた。
「このエリアの法則が壊れてるのか? 名前のデータも欠損してるんだろう」
「ステータス変動、±10%って書いてあります。毎分変わるんですか?」
「らしい。俺のHPは360だから、変動幅は36。仮にHPが変わるのなら、324から396の間を行ったり来たりすることになる」
「Lv1だから、変動幅が小さいんですね」
「Lv90のプレイヤーなら、変動幅が数千になる。低Lvの方がこのエリアの影響が小さくなるな」
ルーナが影の中から報告した。
「トワ、この草原は広い。見聞録のスキャン範囲外まで続いてる。だけど、北東の方角に何かの構造物がある。距離は、約一キロ」
「構造物?」
「建物か遺跡か、判別できない。データが欠損しているから」
「分かった、行ってみよう」
◇
歩き始めた。金属の草がカチカチ鳴る。靴の底に硬い感触が返ってくる。普通の草原を歩いている気がしない。鉄工所の床を歩いているようだ。
五分歩いたところで、トワのステータスが変動した。
【ステータス変動発生】
【HP:360 → 341(−5.3%)】
【ATK:微変動】
【DEF:微変動】
「下がりました」タマキが自分の画面も見た。「わたしもHPが少し減ってます。攻撃されたわけじゃないのに」
「変動だ。一分後にまた変わる。上がるかもしれないし、さらに下がるかもしれない」
「不安定ですね……」
「これがこの世界のルールなんだろう。不完全だから、何もかも安定しない」
さらに五分歩いた。草原の向こうに、動くものが見えた。
四足の獣だ。牛ほどの大きさ。体表が金属光沢を放っている。鉄の草を食べている。口を動かすたびに、金属を噛み砕く音が響いていた。
トワが見聞録でスキャンした。
【モンスター名:鉄草獣】
【Lv:42】
【HP:■■■■(変動中)】
【ATK:■■■(変動中)】
【特性:物理耐性・高。火属性弱点(※ただし属性逆転地帯では氷耐性に変化)】
【備考:草食性。非攻撃的。ただし接近すると警戒行動を取る】
「HPが変動中で数値が読めない」
「見聞録でも読めないんですか」
「見聞録は『正しいルール』に基づいてデータを読む。この世界のルールが壊れてるから、読み取り結果も不安定になる」
セレスが鉄草獣を見て、首を傾げた。
「トワ。あのうし、てつ?」
「牛じゃなくて、鉄草獣だ。草を食べて身体が鉄になったモンスターだ」
「おいしそう?」
「……食べれないだろう」
「セレスは、いちごじゃむがいい」
「この世界にいちごジャムはないと思うぞ」
「ない?」セレスの目が大きくなった。「いちごじゃむがない、せかい?」
「こんな世界だからな。そもそも、いちごの概念すらない可能性もある」
「……かえる」
「帰るな。まだ入ったばかりだ」
「いちごじゃむがないせかいに、よーはない」
「お前の世界観は全ていちごジャムで回っているのか」
「まわってる。あと、パン」
鉄草獣はこちらに気づいていたが、攻撃してくる気配はなかった。草食性で非攻撃的。距離を保っていれば安全らしい。トワは鉄草獣を迂回して、北東の構造物に向かった。
◇
構造物が見えてきた。
建物だった。だが半分崩れている。石造りの壁が片側だけ残っていて、屋根はない。入口らしき穴がぽっかり開いている。
そしてその入口の前に、何かが立っていた。
人の形をしている。NPCだ。でも、名前が読めない。頭上に浮かぶネームプレートが文字化けしていた。「▊▊▊▊」。四文字分の枠があるが、中身が壊れている。
「文字化けしたNPCだ」
「トワさん、見聞録の記憶干渉で名前を復元できませんか」
「やってみる」
トワが見聞録を起動した。記憶干渉・第三段階。消された記憶を復元する力。聖王国ルミナリアでNPCの記憶封印を解除した時と同じ要領だ。
NPCに向かって、記憶干渉を発動した。
【記憶干渉を実行中……】
【対象のデータが断片化しています】
【復元率:12%……24%……31%……】
【復元には複数回の干渉が必要です】
【現在の復元情報:名前の一部「リ▊▊ト」】
「名前の一部だけ復元できた。『リ▊▊ト』。四文字の名前で、最初が『リ』、最後が『ト』」
メブキが双葉をぴこぴこさせた。
「くるくる……リ、なんとか、ト! なんだろう」
「複数回干渉すれば、全部復元できるはずだ。一度に全部は無理らしい」
「何回くらい必要ですか」タマキが聞いた。
「わからない。データの断片化の程度による。明日もう一度来て、続きをやる」
文字化けしたNPCは、トワたちを見ていた。光のない目で、表情がない。何かを言おうとしているようにも見えるが、声が出ていない。音声データも壊れているのだろう。
「……」
NPCが口を動かした。音はないが、口の形だけで、何かを言おうとしていたのは確かだ。
トワがNPCの前に立った。
「また来る。名前を取り戻してやるから、待っていてくれ」
NPCの目が、わずかに動いた気がした。アルダの目を思い出した。空っぽなのに、何かが奥にある目だった。
セレスがトワの肩で呟いた。
「トワ。このひと、アルダみたい」
「ああ、確かに似てる」
「なまえ、もどしてあげたいね」
「必ず戻すさ」
トワは錆びた草原を見渡した。金属の草が風に揺れて、カチカチと音を鳴らしている。四角い雲が黄土色の空を流れている。ステータスが一分ごとに変わる。
未完成の世界だ。きっとここは、『紡世者』が作りかけて、捨てた世界。
でも、ここにはNPCがいた。名前を失って、声を失って、それでも立っている。
ここからは旅人の仕事だ。
名前を取り戻して、壊れたものを直す。歩いて、見つけて、記録する。
これまでと同じように、必ず。