作品タイトル不明
五月の巡回
五月十七日、土曜日の昼だった。
ゼミ発表が終わった。
冬夜のテーマは「仮想空間における移動行動の分析と最適化」。一万時間分のプレイデータから移動ログを抽出して、ルート選択のパターンを分析した内容だ。教授の評価は「着眼点は面白いが、サンプル数がn=1では論文にならない」だった。そりゃそうだ。
宮瀬からメッセージが来た。
『ゼミ発表お疲れ様! どうだった?』
『n=1では論文にならないと言われた』
『あはは。でも面白いって言われたんでしょ?』
『着眼点は、と言われた。着眼点だけが面白いらしい』
『久坂くんはいつも着眼点だけで生きてるから、褒め言葉だよ』
『褒められてない気がするが』
『褒めてます。今日、ログインしますか?』
『する。各地の巡回をしたい。ソルシアの状態が気になる』
『了解! 十四時にログインしますね!』
◇
午後二時にBCOにログインした。始まりの町リベルタに降り立つ。
トワの肩にセレスが乗り、頭の上にメブキが座り、影にルーナが潜み、ブーツの上でテンが光っている。精霊と虫フル装備だ。
タマキが合流した。
「トワさん、今日はどこに行きますか」
「まずソルシア。闇の活発化がどうなってるか確認する。次に聖都ルクスでガルドの設備を見て、最後に原初の世界でアルダの顔を見に行く」
「巡回ルート、旅人らしいですね!」
セレスが肩の上から口を挟んだ。
「トワ、じゅんかいって、おまわりさんみたい」
「おまわりさんじゃないぞ」
「おまわりさん。ぼうし、かぶる?」
「かぶらない」
「ざんねん」
メブキが頭の上で双葉を揺らした。
「くるくる……ソルシアって、ねっこがおおいところ?」
「深淵の根が伸びていた場所だ。メブキ、根の状態を見にいこう」
「くるっ……めぶきのとくいぶんや!」
◇
ソルシアに転送した。
月の国。銀色の月光が照らす世界。トワとタマキが最初に訪れた裏世界だ。
第一の穴の周辺に来た。ちょうどヴェノムも来ていたようだ。旅人の集いのメンバーも三人、みんなここの様子が気になったらしい。
「トワか。久しぶりだな」
「ヴェノム、状態はどうだ。ソルシアの根については、しばらく放置したままだったが……」
「悪くはないが、良くもない。タマキの浄化薬で押さえて以降、根の成長は止まっている……が、前回より太くなってるような気もする」
トワが見聞録を起動した。地面の下をスキャンする。
深淵の根が見えた。楽土の章に入る前と比べて、明らかに太い。直径が二倍近くになっている。脈動の間隔も短くなっていた。
「根が太くなってる。脈動も速い」
メブキが頭の上で双葉をくるくる回した。
「くるくる……この根、おこってる」
「怒ってる?」
「根って、おこると、ふくらむの。めぶきのねっこも、おこるとぷくぷくする」
「お前、怒ることあるのか」
「セレスが、めぶきのはっぱ、ひっぱるとき」
セレスが目を逸らした。
「セレス、ひっぱってない」
「ひっぱった」
「ちょっとだけ」
「ちょっとでも、おこる」
タマキが浄化薬の在庫を確認した。
「だいぶ前に置いた分がほとんど消費されてます……補充しないと。ヴェノムさん、ここの監視はいつから?」
「ちょうど、昨日のこの時間からだ」
「それで定期的に仲間をつれて監視をと……なら明後日までに、浄化薬を二十本追加で作りますね」
「助かる。おそらく根はこの世界の闇が消えない限り、根本的に解決しないものだろう」
ヴェノムが腕を組みながら観察した。
「今はこの地域の闇を浄化薬で抑えてるが、根本的な解決は──」
「【深淵】だな。あのエリアはクリア済みだが、世界から闇が消えたわけじゃない」
トワの答えに、ヴェノムが頷いた。
「【闇】を祓うにはどうしたらいいのか、その内何か分かるといいが……」
「いまは待つしかないだろう。ともかく、タマキに浄化薬を作ってもらう」
「ありがとう、それではまた」
◇
次にトワたちは、聖都ルクスへ向かった。
カレンが旅人に戻った聖都は、以前より活気がある。プレイヤーの拠点として機能していて、大通りに露店が並んでいる。
ガルドの鍛冶工房に入った。金属を叩く音が響いている。
「おう、トワ。久しぶりだな」
「ガルド。いくつか新しい島にいったが、何か欲しいはあるか?」
「そうだな……星花の里の土だ。根の成分の濃度を測りたい、持ってきてくれるか」
「次に新大陸に行った時に採ってくる」
「頼む。それができれば、虚晶装備の量産に入れる。ついでにお前の新しい装備も鍛えてやれるぞ」
「新しい装備?」
「『常世島』ってところが解放されたんだろ? そこで手に入れた『糸の鍵』、見せてみろ」
トワがアクセサリスロットから糸の鍵を外して、ガルドに渡した。ガルドが鍵を光に透かして、唸った。
「これは面白い素材だ。『紡世者』の管理権限が物質化したものだな。鍛造はできないが、他の素材と組み合わせて機能を拡張することはできるかもしれん」
「拡張?」
「今は『限定的な解錠』しかできないだろう。素材次第で、解錠の範囲や精度を上げられる可能性がある。──素材を集めてこい、俺が研究しておく」
「了解した」
ルーナが影の中から声を出した。
「トワ。糸の鍵の拡張は、今後の探索で重要になる可能性がある。ガルドの提案は受けておくべきだよ」
「ああ、受けるさ」
「無口な精霊に助言されてるぞ、お前」ガルドが笑った。
「ルーナは必要な時だけ喋る。だから、信頼できるんだ」
ルーナが影の中で揺れていた。照れていたのかもしれない。
◇
最後に原初の世界に飛んだ。
草原に降り立つと、渡空魚の群れが出迎えてくれた。ぱたぱたぱた。十八匹が空で踊っている。セレスもご機嫌にお尻をふりふり。
集落に向かって歩いた。ナギの家の前に、小さな緑色の芽が出ていた。
大根だ。
アルダが植えた大根の種が、芽を出していた。
アルダが畑の前にしゃがんでいる。ぱたが肩の上で、ぱたぱたしている。
「アルダ」
アルダが振り返った。
「トワ……来たね」
「大根、芽が出たな」
「……出た。ナギが、毎日水をやれと言った。やったら、出た」
「水をやったら出る。当たり前のことだが、大事なことだ」
「……当たり前のことが、大事。ナギも、そう言った」
メブキがトワの頭から飛び降りて、大根の芽の前に着地した。双葉を広げて、芽を観察している。
「くるくる……このねっこ、げんき! まっすぐのびてる」
「……めぶき。あなたもまた来たね」
「めぶきは、はたけがすき。アルダのはたけ、いいはたけ!」
「……いい畑、わかるの?」
「わかる。ねっこのせいれいだから。ねっこが、まっすぐなはたけは、いいはたけ」
アルダが芽を見た。ぱたがぱたぱたした。メブキがぴこぴこした。
「……ありがとう、めぶき」
ナギが家から出てきた。
「あ、トワ。アルダちゃんねえ、最近は毎朝畑に出てるんだ。日課になったみたいでさ」
「日課、か」
「大根の芽が出た日、初めて笑ったよ。ちゃんと笑った、口だけじゃなくて、目も」
トワがアルダを見た。アルダは畑を見ている。笑ってはいないが、前のような空っぽの目ではなかった。
「また来る」
「……うん」
「大根ができたら、食べに来る」
「……大根、おいしい?」
「おいしいぞ。味噌汁に入れるとうまい」
「……みそしる?」
「ナギに作ってもらえ」
「……聞いてみる」
トワとタマキが集落を後にした。渡空魚が空で見送っている。ぱただけがアルダの肩に残って、ぱたぱたしていた。
セレスがトワの肩で言った。
「トワ。アルダ、かわったね」
「いい変化だと思う」
「まえは、からっぽだった。いまは、だいこんがある」
「大根があると変わるのか」
「かわる。だいこんは、だいじ」
「お前の中で大根はどういう位置づけなんだ」
「セレスのなかでは、いちごじゃむのつぎにだいじ」
「いちごジャムの次か」
「うん。じゃむが、いちばん」
「パンは?」
「……あっ、パンがいちばん、だいじ」
「常世島の団子は?」
「……あっ、あっ、あーーっ! ……きめれない」
「食い意地張りすぎだぞ」
「おいしーものがわるい。セレスは、わるくない」