作品タイトル不明
ぱたぱた
朝十時、冬夜と宮瀬が同時にBCOにログインした。始まりの町だ。
ログインした瞬間、システムメッセージが表示された。
【常世島イベント・最終報酬の配布】
【条件達成:総主の最終試練を制覇】
【新称号「歩む者」を獲得しました】
【効果:歩行時のステータス自然回復(HP/MP共に毎秒+0.5%)】
【効果:歩行速度+5%(恒久。他の歩行系装備と重複可能)】
【新装備「糸の鍵」を獲得しました】
【種別:アクセサリ。装備可能職:旅人クラス】
【効果:紡世者の管理権限の一部。封じられた場所、見えない道、隠された扉に対し、限定的な解錠・解放を行うことができる】
「トワさん、すごい報酬ですね」
タマキがトワの画面を覗き込んでいた。
「歩む者、か」トワが称号を装備した。ステータス画面の名前の横に、小さな足跡のアイコンが付いた。
「歩行速度がさらに+5%。星巡りの靴と合わせて+20%ですよ。もう普通の人が早歩きするくらいの速度で歩けます」
「不審者みたいだな」
「ゲームの中なら大丈夫です!」
「不審者ということに、否定はしないんだな」
糸の鍵をインベントリから取り出した。手のひらに収まる小さな鍵だ。表面に細い糸の模様が走っている。光に透かすと、鍵に黒い影と白い光が見える。
「『紡世者』の管理権限の一部……。使い道はまだわかりませんね」
「そのうちわかる。今はしまっておこう」
トワがアクセサリスロットに糸の鍵を装備した。
◇
「それで、アルダさんですけど」
「常世島からの転送先がわからない。まだ、どこかにいる可能性がある」
「NPCの転送って、管理システムが自動で処理するんですよね。常世島の管理システムが止まったなら、アルダさんはどこに行ったんでしょう」
「帳の間に戻っているかもしれない。あるいは、常世島のどこかに立っているか」
「探しに行きますか」
「行こう」
常世島は、観光区画として開放されていた。門をくぐると、以前とは空気が違う。封鎖の重苦しさがない。NPCの店が開いていて、数十人のプレイヤーが観光に来ている。
帳の間に向かった。霧はもう消えている。門をくぐって、石畳の道を五分歩くと、円形のホールに着いた。
椅子がある。
椅子にアルダが座っていた。
「……いたぞ」
「アルダさん!」
アルダが顔を上げた。
「……来た?」
「迎えに来た」
「そう……わたし、ずっとここにいた」
「常世島が封鎖解除された後も、ここに残ってたのか」
「……ここしか、知らない。どこに行けばいいか、わからなかった」
アルダの声は前と同じだった。でも、困惑したような顔をしている。総主から返された『感情』が、まだ身体に馴染んでいないのだろう。
「原初の世界に連れて行く。ナギという薬師がいる。お前の面倒を見てくれるだろう」
「……ナギ」
「いい人だ。信用していい」
「安心してください! わたしの調合の師匠みたいな人ですから!」
「……師匠」
「大丈夫です、怖い人じゃないですよ」
トワがアルダの手を取って立たせた。アルダの手は冷たかった。ずっと座っていたからだ。
「歩けるか」
「……歩ける。たぶん」
「じゃあ、行くぞ」
三人で帳の間を出た。
◇
彼女をつれて原初の世界に転送した。
銀色の草原に降り立った瞬間、アルダが足を止めた。
「……ここ、何」
「原初の世界――この世界で『最古』と呼ばれる場所だ」
「……風が、ある」
風が吹いていた。銀色の草が波打っている。空が澄んでいる。帳の間の閉じた空間とは何もかもが違う。
アルダが空を見上げた。
「……広い」
その時、平原の向こうから何かが走ってきた。
渡空魚だ。十八匹の群れが、空中で円を描いて泳いでいる。トワの姿を見つけて、三匹が飛んできた。一匹がトワの肩に、一匹がタマキの肩に止まった。
「お久しぶりです、お魚さん」タマキが頬を緩ませた。
二匹のお魚がパタパタ。
そして三匹目は、アルダの前でぴたりと止まった。
空中に浮いたまま、アルダの顔を覗き込んでいる。銀色のヒレをぱたぱたさせている。
「……何、これ」
「渡空魚。空を泳ぐ魚だ」
「……おさかな」
渡空魚がアルダの肩に止まろうとした。でもひっくり返って、もう一度止まろうとして、また滑った。
「……下手」
「お前の肩が細すぎるんだ」
三度目、渡空魚がアルダの肩に着地した。ぱたぱた。翼のようなヒレを小刻みに動かしている。
「……動いてる」
「嬉しいんだと思います」タマキが言った。
「……うれしい」
「渡空魚は、懐いた相手の肩に止まるんです。アルダさん、気に入られましたね」
アルダが自分の肩を見た。小さな銀色のお魚がぱたぱたしている。
「トワ……この子、名前ある?」
「種族名は渡空魚だが、個体名はない」
「……つける?」
「つけたいのか」
アルダがしばらく魚を見ていた。
「……ぱた」
「ぱた?」
「……ぱたぱた、するから」
「確かに、いい名前だ」
【アルダが渡空魚に名前をつけました:「ぱた」】
【命名者の好感度補正により、「ぱた」はアルダに強く懐いています】
◇
集落が見えてきた。ナギが家の前で薬草を乾燥させていた。
「あら、トワさん、タマキさん。お久しぶり」
「ナギさん。紹介したい人がいる」
トワがアルダを前に出した。アルダの肩にぱたが乗っている。
「アルダ。常世島から連れてきた。しばらくここで面倒を見てほしい」
ナギがアルダを見た。白い髪、灰色の目、無表情。肩に銀色の魚。
「あなた、名前は」
「……アルダ」
「アルダちゃんか。お腹は空いてる?」
「……わからない」
「食べてみればわかる。ここにちょうどスープがある」
ナギがアルダの手を取った。アルダが少し驚いた顔をした。手を握られたことが初めてなのかもしれない。
「温かい」
「人の手はね、温かいんだ」
ナギがアルダを家の中に連れていった。肩のぱたが、ぱたぱたと忙しく動いていた。
「アルダさん、ナギさんに任せれば大丈夫そうですね。ぱたも懐いてるし」
「トワ、トワ!」
自分の肩を見ると、右ではお魚が、左ではセレスが腰を振ってぱたぱた。
「……何してるんだ、お前」
「ナギのスープ、おいしそー!」
どうやらこのぱたぱたは、食べたいの意味らしい。
「だ、そうだが……俺たちも食べていくか、タマキ」
「はい! セレスちゃんには勝てませんからね」
「もしかしたら、作っているところを見れるかもしれない」
「料理を見たいんですか?」
「見たい。昨日、卵焼きを焼いたら焦げたからな」
「……トワさん、自分で焼いたんですか?」
「焼いた。焦げた」
「今度、教えますよ。甘い卵焼きの作り方」
「頼む」
二人でナギの家に入った。スープの匂いがした。アルダがスプーンを持って、スープを一口飲んでいた。
「……あつい」
「熱いね」
「……でも、おいしい。たぶん」
「たぶんでいいんだ。少しずつわかるから」
アルダの周りに漂っていた光の粒が、一つ、彼女の手の中に吸い込まれた。
感情が、少しずつ戻り始めていた。