軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

休日の過ごし方

ゴールデンウィーク二日目の朝。

冬夜は八時に起きた。昨日スーパーで買った食パンを焼いて、コーヒーを淹れた。宮瀬がいないと卵焼きは作れない。自分で作ると焦げてしまう。

スマホを見た。宮瀬からメッセージが来ている。

『おはよう! 今日はどこに行くの?』

昨日、「場所はどこにするか、決めておく」と言った。決めなければならない。

冬夜は地図アプリを開いた。近場で歩ける場所。昨日は川沿いだった。今日は別の場所がいい。

少し考えて、返信した。

『植物園。駅から歩いて十五分の』

『植物園……いいですね! 何時に待ち合わせますか?』

『十時、駅の改札で』

『分かりました。楽しみにしてますね!』

十時。駅の改札前。

宮瀬が来た。白いブラウスにデニムのスカート。昨日のパーカーとは違って、少しだけおしゃれをしている。

「久坂くん、おはよう」

「おはよう、宮瀬」

「今日は植物園なんだね」

「意外か?」

「久坂くんが植物園を選ぶと思わなかった。もっと山道とか、河川敷とか、そういう場所だと思ってた」

「山道は遠いからな」

「久坂くんらしい理由ですね」

二人で駅から歩いた。住宅街を抜けて、坂道を少し上がると、植物園の入口が見えた。日曜日だが、朝の植物園は空いている。家族連れが数組いるだけだ。

入園料を払った。冬夜が二人分出そうとしたら、宮瀬が自分の分を出した。

「割り勘です」

「いや、俺が出す」

「ダメです。これは対等なデートなのですから、久坂くんだけというのは」

「……分かった、割り勘でいい」

「はい!」

宮瀬がにっこり笑った。冬夜は入園ゲートを通った。

温室に入った。

湿度が高い。熱帯の植物が天井まで茂っている。バナナの木、シダの群生、蘭の花。

花の甘い匂いがする。

「すごいですね……ジャングルみたいです」

宮瀬が見上げた。

「原初の世界に似てるな」

「あ、それ思いました。銀色の草はないけど、雰囲気が近いです。ナギさんの集落の周りって、こんな感じでしたよね」

「まあ、植生は全然違うが」

「雰囲気の話ですよ、久坂くん」

「……そうだな。雰囲気は大事だ」

「ふふっ、久坂くんも段々分かってきましたね」

「最初ほど空気の読めない男じゃなくなったはずだ」

「最初もそんなことはありませんでしたよ。ただ少し、不器用だっただけです」

温室の中を歩いた。宮瀬が花の前で足を止めて、スマホで写真を撮っている。冬夜は先に進んで、巨大なシダの前で立ち止まった。

「久坂くん、それ何の植物ですか」

「ヘゴ。木性シダの一種で、亜熱帯に分布、高さは最大十メートルに達する植物だ」

「久坂くんは、植物にも詳しいんですね!」

「いや、手前のプレートを読んだだけだぞ」

「読まなくても分かったんじゃないんですか?」

「名前と種類と植生地域は知っていたが、それだけだぞ」

「ほぼ全部じゃないですか、それ……?」

温室を抜けて、屋外の庭園に出た。

バラ園、薬草園、水生植物の池……整備された道から観察できる。

薬草園の前で、宮瀬が足を止めた。

「あっ! 薬草がありますよ、久坂くん!」

「目の付け所が薬師だな」

「でもでも、現実のわたしは薬師じゃないですよ」

「薬学部だから、一緒みたいなもんだろ」

「一概に否定はできませんが……あっ、この薬草、BCOにもあります! 月宿草に似てますね」

「月宿草……効果は、やさしい夢を見せる、だったか。現実にもあったら良かったな」

「久坂くんは、やさしい夢を見たいんですか?」

「いや……その必要はもうないかもしれないな」

「それって、どういう意味ですか」

「さあ、どういう意味なんだろうな」

はぐらかされて、宮瀬はちょっとムスッとした顔に。でも直ぐに、薬草の観察に移った。

「久坂くんは、大学卒業したら何するんですか?」

「特にまだ考えてない」

「考えてないのですか?」

「具体的には何も。強いて言えば……歩くことか」

「それは職業じゃないですよ、久坂くん」

「わかってる」

「わかってるなら、考えてください」

「……考える」

「約束ですよ」

それから二人は、午前中いっぱいまで植物園を歩いた。宮瀬は花の前を通るたびに足を止めて、スマホで写真を撮った。冬夜はその隣で、プレートに書かれた学名を読んでいた。

読んでも覚えないが、宮瀬が「それ何て読むの?」と聞いてくるので、答える係になっていた。水生植物の池ではカメが甲羅干しをしていて、宮瀬が五分ほど動かなかった。「カメって、ずっと同じ場所にいるのに幸せそう……」と、冬夜は「定住型だな」と返した。いかにも彼らしい言葉だった。

二人は全てのコーナーを見終わり、植物園を後にした。

「楽しい時間ほど、あっという間ですね。お昼は、どうしますか?」

「確か、この近くにパスタの美味しい店があるそうだ」

「久坂くん、イタリアンレストランを知ってるの?」

「この前、蓮に教えてもらった」

「蓮くん経由なんだ。久坂くんが自分で開拓した飲食店、ゼロでしょ」

「……なぜ分かった?」

「顔に書いてありますよ」

「正直者と言ってくれると助かる」

駅の近くのパスタ屋に入った。小さい店だが、席は空いていた。二人でテーブル席に座った。

冬夜はカルボナーラを頼んだ。宮瀬はトマトとバジルのパスタを頼んだ。

「久坂くん、カルボナーラ好きなの?」

「嫌いじゃない」

「好きって言えばいいのに」

「……好きだ」

「ふふっ、今日は素直ですね」

パスタが来た。一口運んでみると、普通に美味い。宮瀬がフォークでパスタを巻きながら、何か考えている顔をしていた。

「どうしたんだ?」

「ゲームだと、食事シーンって経験値バフとか付くじゃないですか」

「確かに付くな」

「現実だと何も付かないのに、でもこっちの方が美味しいの、不思議だなって」

「現実の食事は数値化できないからな」

「できたら怖いですよね。『この卵焼き、愛情値+30』とか」

「宮瀬の卵焼きなら付きそうだな」

「……え。今、なんて言いました?」

「……忘れてくれ。パスタだろ、今はパスタの話をしていたはずだ」

「してませんでしたけど」

冬夜はカルボナーラに集中した。宮瀬がにやにやしているのが視界の端に見えたが、気づかないふりをした。

昼食後、駅前の商店街を歩いた。

ゴールデンウィークだから人が多い。家族連れ、カップル、友達同士。冬夜は人混みが得意ではないが、宮瀬が隣にいると不思議と気にならなかった。

書店に入った。宮瀬は薬学の参考書コーナーに吸い込まれていった。冬夜はプログラミングの棚を見ていた。

宮瀬が戻ってきた。手に一冊、本を持っている。

「何買ったんだ?」

「ハーブの図鑑です! ゲームの素材と比較しようと思って」

「宮瀬、本当にゲームと現実を行き来してるな」

「行き来するのが楽しいんですよ。同じ植物でも、ゲームだとスキルの素材で、現実だとお茶の材料で。見る角度が違うだけで、同じものなのに。久坂くんは、何を買いましたか?」

「実は、何も買ってない」

「欲しい本なかったんですか」

「俺が欲しいのは、歩いた先にあるものだから本屋にはない」

「……また、かっこいいことを言う」

「かっこよくないぞ」

「そういうことにしておいてあげます」

商店街を抜けて、川沿いの道に出た。昨日歩いた遊歩道とは違う、反対側の土手だ。ベンチがあったので座った。

冬夜が缶コーヒーを二本買って、一本を宮瀬に渡した。

二人で缶コーヒーを飲んだ。しばらく何も話さなかった。川の音だけが聞こえる。風が温かい。四月の最後の日の午後だ。

「久坂くん。今日、楽しかった」

「まだ今日は終わってないぞ」

「うん。でも、そろそろ今日は終わりだから」

「まあ……悪くなかったな」

「久坂くんの『悪くない』は、褒め言葉ですよね」

「……ああ、良かった」

「知ってます」

宮瀬が缶コーヒーを両手で包んで、川の方を見た。

「ねえ、久坂くん。明日から、五月ですね」

「ああ」

「五月になったら、またゲームにも入りたいです。常世島のこと、まだいろいろ残ってるでしょ」

「アルダのこともあるな」

「アルダさん、元気にしてるかな」

「わからない。明日、見に行くか」

「行きましょう。原初の世界に」

缶コーヒーを飲み干した。

「さて――そろそろ帰るか」

「はい!」

二人で立ち上がって、駅に向かって歩いた。

宮瀬が冬夜の隣を歩いていた。昨日は半歩後ろだった。今日は隣だ。

「久坂くん。また、明日ね」

「ああ、また明日」

「最近は、毎日会ってるね」

「GWだからな」

「GWが終わっても、会いたいです」

「大学で会うだろう」

「大学以外でも」

「……考えておく」

「またそれですね。でも、それが久坂くんの良いところです」

駅の改札で二人は別れた。宮瀬が改札を通る時に、一度だけ振り返って手を振った。冬夜は片手を上げて返した。

夕方。一人でアパートに戻った。

スマホが鳴った。蓮からのメッセージ。

『冬夜。GW中にメシ食おうぜ。いつ空いてる?』

『五月二日はどうだ』

『了解。駅前の定食屋、十二時で』

『了解』

それから宮瀬からもメッセージが来た。

『今日は一日ありがとう! 植物園もパスタも全部楽しかったです』

『カルボナーラ、また食べに行きたいな』

『明日はBCO、一緒にログインしましょうね! アルダさんに会いに行こう!』

冬夜が返信した。

『明日、十時にログインする』

宮瀬の返信。

『了解! おやすみなさい、久坂くん。今日も、ちゃんとご飯食べてね』

冬夜はスマホを置いた。

冷蔵庫を開けた。卵がある。焼いてみるか。

フライパンを出して、卵を割った。甘い卵焼き。宮瀬と同じ作り方をしてみた。

焦げた。

やはり、卵焼きは宮瀬に任せた方がいいらしい。

焦げた卵焼きを食べながら、冬夜は思った。悪くない一日だった。