作品タイトル不明
休日の過ごし方
ゴールデンウィーク二日目の朝。
冬夜は八時に起きた。昨日スーパーで買った食パンを焼いて、コーヒーを淹れた。宮瀬がいないと卵焼きは作れない。自分で作ると焦げてしまう。
スマホを見た。宮瀬からメッセージが来ている。
『おはよう! 今日はどこに行くの?』
昨日、「場所はどこにするか、決めておく」と言った。決めなければならない。
冬夜は地図アプリを開いた。近場で歩ける場所。昨日は川沿いだった。今日は別の場所がいい。
少し考えて、返信した。
『植物園。駅から歩いて十五分の』
『植物園……いいですね! 何時に待ち合わせますか?』
『十時、駅の改札で』
『分かりました。楽しみにしてますね!』
◇
十時。駅の改札前。
宮瀬が来た。白いブラウスにデニムのスカート。昨日のパーカーとは違って、少しだけおしゃれをしている。
「久坂くん、おはよう」
「おはよう、宮瀬」
「今日は植物園なんだね」
「意外か?」
「久坂くんが植物園を選ぶと思わなかった。もっと山道とか、河川敷とか、そういう場所だと思ってた」
「山道は遠いからな」
「久坂くんらしい理由ですね」
二人で駅から歩いた。住宅街を抜けて、坂道を少し上がると、植物園の入口が見えた。日曜日だが、朝の植物園は空いている。家族連れが数組いるだけだ。
入園料を払った。冬夜が二人分出そうとしたら、宮瀬が自分の分を出した。
「割り勘です」
「いや、俺が出す」
「ダメです。これは対等なデートなのですから、久坂くんだけというのは」
「……分かった、割り勘でいい」
「はい!」
宮瀬がにっこり笑った。冬夜は入園ゲートを通った。
◇
温室に入った。
湿度が高い。熱帯の植物が天井まで茂っている。バナナの木、シダの群生、蘭の花。
花の甘い匂いがする。
「すごいですね……ジャングルみたいです」
宮瀬が見上げた。
「原初の世界に似てるな」
「あ、それ思いました。銀色の草はないけど、雰囲気が近いです。ナギさんの集落の周りって、こんな感じでしたよね」
「まあ、植生は全然違うが」
「雰囲気の話ですよ、久坂くん」
「……そうだな。雰囲気は大事だ」
「ふふっ、久坂くんも段々分かってきましたね」
「最初ほど空気の読めない男じゃなくなったはずだ」
「最初もそんなことはありませんでしたよ。ただ少し、不器用だっただけです」
温室の中を歩いた。宮瀬が花の前で足を止めて、スマホで写真を撮っている。冬夜は先に進んで、巨大なシダの前で立ち止まった。
「久坂くん、それ何の植物ですか」
「ヘゴ。木性シダの一種で、亜熱帯に分布、高さは最大十メートルに達する植物だ」
「久坂くんは、植物にも詳しいんですね!」
「いや、手前のプレートを読んだだけだぞ」
「読まなくても分かったんじゃないんですか?」
「名前と種類と植生地域は知っていたが、それだけだぞ」
「ほぼ全部じゃないですか、それ……?」
温室を抜けて、屋外の庭園に出た。
バラ園、薬草園、水生植物の池……整備された道から観察できる。
薬草園の前で、宮瀬が足を止めた。
「あっ! 薬草がありますよ、久坂くん!」
「目の付け所が薬師だな」
「でもでも、現実のわたしは薬師じゃないですよ」
「薬学部だから、一緒みたいなもんだろ」
「一概に否定はできませんが……あっ、この薬草、BCOにもあります! 月宿草に似てますね」
「月宿草……効果は、やさしい夢を見せる、だったか。現実にもあったら良かったな」
「久坂くんは、やさしい夢を見たいんですか?」
「いや……その必要はもうないかもしれないな」
「それって、どういう意味ですか」
「さあ、どういう意味なんだろうな」
はぐらかされて、宮瀬はちょっとムスッとした顔に。でも直ぐに、薬草の観察に移った。
「久坂くんは、大学卒業したら何するんですか?」
「特にまだ考えてない」
「考えてないのですか?」
「具体的には何も。強いて言えば……歩くことか」
「それは職業じゃないですよ、久坂くん」
「わかってる」
「わかってるなら、考えてください」
「……考える」
「約束ですよ」
それから二人は、午前中いっぱいまで植物園を歩いた。宮瀬は花の前を通るたびに足を止めて、スマホで写真を撮った。冬夜はその隣で、プレートに書かれた学名を読んでいた。
読んでも覚えないが、宮瀬が「それ何て読むの?」と聞いてくるので、答える係になっていた。水生植物の池ではカメが甲羅干しをしていて、宮瀬が五分ほど動かなかった。「カメって、ずっと同じ場所にいるのに幸せそう……」と、冬夜は「定住型だな」と返した。いかにも彼らしい言葉だった。
二人は全てのコーナーを見終わり、植物園を後にした。
「楽しい時間ほど、あっという間ですね。お昼は、どうしますか?」
「確か、この近くにパスタの美味しい店があるそうだ」
「久坂くん、イタリアンレストランを知ってるの?」
「この前、蓮に教えてもらった」
「蓮くん経由なんだ。久坂くんが自分で開拓した飲食店、ゼロでしょ」
「……なぜ分かった?」
「顔に書いてありますよ」
「正直者と言ってくれると助かる」
駅の近くのパスタ屋に入った。小さい店だが、席は空いていた。二人でテーブル席に座った。
冬夜はカルボナーラを頼んだ。宮瀬はトマトとバジルのパスタを頼んだ。
「久坂くん、カルボナーラ好きなの?」
「嫌いじゃない」
「好きって言えばいいのに」
「……好きだ」
「ふふっ、今日は素直ですね」
パスタが来た。一口運んでみると、普通に美味い。宮瀬がフォークでパスタを巻きながら、何か考えている顔をしていた。
「どうしたんだ?」
「ゲームだと、食事シーンって経験値バフとか付くじゃないですか」
「確かに付くな」
「現実だと何も付かないのに、でもこっちの方が美味しいの、不思議だなって」
「現実の食事は数値化できないからな」
「できたら怖いですよね。『この卵焼き、愛情値+30』とか」
「宮瀬の卵焼きなら付きそうだな」
「……え。今、なんて言いました?」
「……忘れてくれ。パスタだろ、今はパスタの話をしていたはずだ」
「してませんでしたけど」
冬夜はカルボナーラに集中した。宮瀬がにやにやしているのが視界の端に見えたが、気づかないふりをした。
◇
昼食後、駅前の商店街を歩いた。
ゴールデンウィークだから人が多い。家族連れ、カップル、友達同士。冬夜は人混みが得意ではないが、宮瀬が隣にいると不思議と気にならなかった。
書店に入った。宮瀬は薬学の参考書コーナーに吸い込まれていった。冬夜はプログラミングの棚を見ていた。
宮瀬が戻ってきた。手に一冊、本を持っている。
「何買ったんだ?」
「ハーブの図鑑です! ゲームの素材と比較しようと思って」
「宮瀬、本当にゲームと現実を行き来してるな」
「行き来するのが楽しいんですよ。同じ植物でも、ゲームだとスキルの素材で、現実だとお茶の材料で。見る角度が違うだけで、同じものなのに。久坂くんは、何を買いましたか?」
「実は、何も買ってない」
「欲しい本なかったんですか」
「俺が欲しいのは、歩いた先にあるものだから本屋にはない」
「……また、かっこいいことを言う」
「かっこよくないぞ」
「そういうことにしておいてあげます」
◇
商店街を抜けて、川沿いの道に出た。昨日歩いた遊歩道とは違う、反対側の土手だ。ベンチがあったので座った。
冬夜が缶コーヒーを二本買って、一本を宮瀬に渡した。
二人で缶コーヒーを飲んだ。しばらく何も話さなかった。川の音だけが聞こえる。風が温かい。四月の最後の日の午後だ。
「久坂くん。今日、楽しかった」
「まだ今日は終わってないぞ」
「うん。でも、そろそろ今日は終わりだから」
「まあ……悪くなかったな」
「久坂くんの『悪くない』は、褒め言葉ですよね」
「……ああ、良かった」
「知ってます」
宮瀬が缶コーヒーを両手で包んで、川の方を見た。
「ねえ、久坂くん。明日から、五月ですね」
「ああ」
「五月になったら、またゲームにも入りたいです。常世島のこと、まだいろいろ残ってるでしょ」
「アルダのこともあるな」
「アルダさん、元気にしてるかな」
「わからない。明日、見に行くか」
「行きましょう。原初の世界に」
缶コーヒーを飲み干した。
「さて――そろそろ帰るか」
「はい!」
二人で立ち上がって、駅に向かって歩いた。
宮瀬が冬夜の隣を歩いていた。昨日は半歩後ろだった。今日は隣だ。
「久坂くん。また、明日ね」
「ああ、また明日」
「最近は、毎日会ってるね」
「GWだからな」
「GWが終わっても、会いたいです」
「大学で会うだろう」
「大学以外でも」
「……考えておく」
「またそれですね。でも、それが久坂くんの良いところです」
駅の改札で二人は別れた。宮瀬が改札を通る時に、一度だけ振り返って手を振った。冬夜は片手を上げて返した。
◇
夕方。一人でアパートに戻った。
スマホが鳴った。蓮からのメッセージ。
『冬夜。GW中にメシ食おうぜ。いつ空いてる?』
『五月二日はどうだ』
『了解。駅前の定食屋、十二時で』
『了解』
それから宮瀬からもメッセージが来た。
『今日は一日ありがとう! 植物園もパスタも全部楽しかったです』
『カルボナーラ、また食べに行きたいな』
『明日はBCO、一緒にログインしましょうね! アルダさんに会いに行こう!』
冬夜が返信した。
『明日、十時にログインする』
宮瀬の返信。
『了解! おやすみなさい、久坂くん。今日も、ちゃんとご飯食べてね』
冬夜はスマホを置いた。
冷蔵庫を開けた。卵がある。焼いてみるか。
フライパンを出して、卵を割った。甘い卵焼き。宮瀬と同じ作り方をしてみた。
焦げた。
やはり、卵焼きは宮瀬に任せた方がいいらしい。
焦げた卵焼きを食べながら、冬夜は思った。悪くない一日だった。