軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

四月の終わり

現実の土曜日、朝七時。

久坂冬夜は自室のベッドの上で、VRヘルメットを外した。

頭が重い。目の奥が痺れている。これまでの疲労が、現実の身体に降りてきたような感覚だ。

「……腹、減ったな」

当然だが、ゲーム内で食べたものは現実の腹を満たしてくれない。ここ十数日、ろくに料理を作らなかった。コンビニのおにぎりとカップ麺で繋いでいた。

スマホが鳴った。宮瀬からのメッセージ。

『久坂くん、お疲れ様! いま起きてる?』

『朝ご飯一緒にどう? たぶんずっとカップ麺とかだったよね、ちゃんとしたの食べないとだよ』

冬夜は短く返した。

『ご飯に行こう。場所は……どこがいいか』

『疲れてるでしょ、家でいいよ。冷蔵庫にも、何か残ってると思う』

『それじゃあ、頼む』

『はーい、三十分後に行きますね!』

『あと、コンビニで何か買ってきます!』

冬夜は布団から這い出して、三十分かけて部屋を片付けた。床に転がっていたカップ麺の容器を捨て、ペットボトルを潰し、洗濯物を畳んだ。宮瀬が来る前に、急いで片付けねば。

宮瀬がコンビニ袋三つを抱えて来た。

「お邪魔します……綺麗になってる。急いで片付けたの?」

「片付けた」

「もっと荒れてると思ったから、意外」

「まあ……前までの俺も、この部屋を見たらそう言うだろうな」

「そもそも久坂くんって、一人暮らし始めてから片付けたことある?」

「……たまには、まあ」

「たまにって、何ヶ月に一回?」

「答えないでおく」

宮瀬が袋の中身を出した。卵、牛乳、食パン、ベーコン、コーヒー、サラダ、ヨーグルト。普通の朝食セットだ。

「今日はちゃんとした朝ご飯にしよ。久坂くん、まともに食べてないでしょ」

「カップ麺は食べたぞ」

「それはまともじゃないよ」

宮瀬がキッチンに立った。

「卵焼き、甘いのとしょっぱいの、どっちが好き?」

「どっちでもいい、宮瀬の好きな方で頼む」

「じゃあ、甘いの作るね!」

卵の焼ける匂いがした。久しぶりの、宮瀬が作る食事の匂いだ。

二人で食卓についた。

卵焼き、ベーコン、サラダ、トースト、ヨーグルト、コーヒー。普通の朝食。だが冬夜には、最近の中で一番ちゃんとした食事だった。

「いただきます」

二人で手を合わせた。

「ねえ、久坂くん」

「なんだ」

「常世島、すごかったね」

「……すごかったな」

「最後の徒歩レース、遠くから見てたよ。とっても、ハラハラした」

「時間を掛けてすまないな」

「ううん、久坂くんを応援するためなら、時間なんかに困らないよ」

卵焼きを口に運んだ。甘かった、宮瀬の味だ。

「久坂くん」

「なんだ?」

「ゴールデンウィーク、何するの?」

「そう言えば、何も考えてなかった」

「明日から五連休だよ。五月三日まで」

「レポートの期限は……いつまでだったか」

「ちゃんと終わらせないとだよ? ゲームも大事だけど、現実の方もサボっちゃダメ」

「サボったわけじゃない。島に閉じ込められていたんだ」

「教授に『ゲームに閉じ込められました』とは言えないよ」

「蓮が何とかしてくれてると思う」

「蓮くんに甘えすぎですよ」

「持つべきものは友だ」

「それは、まあ……否定しませんけど」

窓から見える景色は、四月の終わりの桜。花はもう散りかけている。

「桜、もう終わりだね」

「ああ」

「花見、もう一回行きたかったな」

「この前行ったじゃないか」

「この前はこの前。今回は今回。季節は一回きりですよ、久坂くん」

「宮瀬は、花見にいきたいか」

「久坂くんとなら、どこへでも!」

「なら、歩きに行こう」

「うん、行く!」

宮瀬の返事が速かった。

午前十時。二人で川沿いを歩いた。

宮瀬がスニーカーで歩いている。冬夜もスニーカー。パーカーとジーンズ。VRヘルメットもない、武器もない、精霊もいない。今は、お互いただの大学三年生だ。

「風、気持ちいいですね」

宮瀬が深呼吸した。

「ゲームの風と全然違います。こっちの方が、鼻の奥まで来る感じが……」

「現実には、現実の匂いがあるからな」

「川の匂いや草の匂い……あと、久坂くんの匂い」

「俺のって、どういうことだ……?」

「柔軟剤にも、個性って出るんですよ。だから、これが久坂くんの匂いなんだなって」

「俺だけに限った話じゃない。宮瀬も良い匂いがすると思うぞ」

「私の匂い、ですか?」

「……待て。やっぱり、この話はナシにしよう」

桜の木の下を通った時、風が吹いた。花びらが何枚か舞い上がっているが、大半はもう地面に落ちている。

「桜、もう終わりだな」

「来年も、一緒に見たいですね」

「来年も見に来よう。今日と同じ場所で。……桜が綺麗だったからな、この道は。それに――」

冬夜は一瞬宮瀬の方に視線を向けて、逸らした。

「どうしたんですか、久坂くん?」

「いや……何でもない。ただ、桜も綺麗だっただけだ」

「……桜『も』?」

「……日本語は、難しいな」

「照れ隠しのつもりですか、久坂くん」

「何でもない。さっさといくぞ」

宮瀬はあえて冬夜の照れ隠しを追求せず、にっと笑った。

冬夜は花びらを指で弾いた。我にもないことを言ったと気づいたのは、その少し後だった。

午後、冬夜は一人でアパートに戻った。

部屋はすっかり片付いている。宮瀬が手伝ってくれたから。

机の上にVRヘルメットが置いてある。

今日は、もうログインしない。

スマホが鳴った。宮瀬からのメッセージ。

『今日はありがとう。久坂くんと食べた朝ご飯、美味しかったです』

『散歩も楽しかった。久坂くんと一緒に見る桜も綺麗でした』

『明日も何かしませんか? せっかくのゴールデンウィークなので!』

冬夜は直ぐに返信した。

『明日も歩く。場所はどこにするか、決めておく』

『楽しみ! 今日は無理せず休んでね、久坂くん』

『あっ、あと! ちゃんとご飯じゃ食べてね。カップ麺は禁止です!』

冬夜はスマホを置いた。

宮瀬を心配させないために、今日は食材の買い出しにスーパーへ行こうと思う。

これもまた自分に似つかわしくないが、今日はそれでいいと思った。