作品タイトル不明
湯煙の薬師
湯楽郷。
常世島で最も広い区画の一つだった。広大な和風庭園の中に、大小合わせて二十以上の温泉宿が点在している。どこからともなく湯気が立ち上り、三味線の音が聞こえ、料亭からは美食の香りが漂ってくる。
常世島に閉じ込められたプレイヤーたちは、この湯楽郷を最後の癒しの場所として訪れている。温泉に浸かって、美食に酔って、現実を忘れる。そして──気づけば常世銭を使い果たしている。
そして道には、トワ、タマキ、アストレアの三人が歩いていた。
「トワさん。ここが最後の一区画、ですね」
「今のところ、予定通りに進んでいる。今回も順調に事が運べばいいが……」
「セノンの情報は?」
アストレアの問いに、トワが答えた。
「ルシアからは『複雑で、動機が読めない』と。ギセルからは何も。ヴァルタ、マリス、テオからは具体的な警告はなかった。──セノンは『七繰』りの中でも孤立しているらしい」
「孤立、ですか」
「他の六人は目的を共有していたが、セノンだけは違うようだ。──会ってみないとわからない」
◇
湖畔(こはん) の料亭「月宿」。
タマキの調査によると、ここがセノンの本拠地らしい。門をくぐると、前庭に池。鯉が泳いでる。和風の絵を描いたような景色だ。
「お待ちしておりました、トワ様」
女将っぽいNPCが三人を奥に通した。廊下が長い。料亭というより御殿に近い。
「お待ちしておりました……?」
「セノン様がお待ちです。どうぞ、こちらに」
怪しさは拭えないが、トワは彼女の後をついていくことに。
――最奥の大広間に案内されると、襖が開いた。
畳の上に座卓。向こうに男が一人。
白髪交じりの黒髪、着物姿で目が細い。歳は三十前後か、つかみどころのない笑みを浮かべている。
セノンだ。
「ようこそ、湯楽郷へ。──さ、お茶でもどうどす?」
トワは座卓について、茶を口にした。
「さて、この区画の攻略条件は?」
「せっかちやなあ」
セノンが自分の湯のみを啜った。
「湯楽郷の攻略条件は、調合対決どす。対戦相手として認められるのは――薬師のタマキさん。うちとの三回勝負で、二勝先取や」
「……薬師同士で?」
タマキが眉を寄せた。
「へえ。うち、昔は薬師でしたさかい。お題はうちが出します。判定は、湯楽郷で病気のNPCに飲ませて回復度合いで決める。不正はできへんよ、数値勝負やさかい」
タマキがトワを見た。トワが頷いた。
「受けます」
「おおきに。ほな、一問目から」
◇
セノンが手を叩いた。襖が開いて、店員が一人の男を連れてきた。
五十代。日焼けした顔。木こりの作業着。店員に支えられて、ふらつきながら入ってくる。
「佐吉はん。五十代の木こり。三日前から倒れてはる」
セノンが佐吉に座布団を勧めた。佐吉が力なく座る。
「原因は複合性の疲労毒。長年の蓄積疲労と、先日飲んだ酒の微量毒が反応したもんどす。対処法は解毒と栄養補給の同時処置。ただし胃が弱ってるさかい、刺激物はあきまへん。──制限時間は三十分」
隣の調合室に通された。調合台が二つ並んでいる。佐吉は部屋の隅で休んでいる。
タマキが佐吉の隣にしゃがんだ。
「佐吉さん、少し失礼しますね」
脈を取った。目の色を見た。舌を見せてもらった。胃のあたりを軽く押した。佐吉が顔をしかめた。
「……顔色が黄色い。肝がやられてますね。脈が浅いから腎も弱ってる。舌が紫がかってるのは蛇苺系のアルカロイド毒の反応」
タマキが立ち上がった。
「毒が残ったまま栄養を入れても、肝臓が処理できません。――まず、毒を抜きます」
タマキが鞄を開けた。解毒系の素材を中心に並べる。蛇苺の毒を中和する薬草、肝臓の負担を減らす根、胃を荒らさない甘い結合剤。手際よく計量して、火にかけた。
隣の調合台で、セノンも動いていた。
セノンは佐吉を見ていた。タマキのように触診はしない。ただ、じっと見ていた。
それから、素材を一つずつ取り出した。タマキとは全く違う素材。解毒系がほとんどない。代わりに、栄養補給と血行促進の素材が並んでいる。
タマキが横目でセノンの調合台を見た。
「──解毒、しないんですか」
「しまへん」
セノンが即答した。
「毒の量は少のうてな。あれくらいなら佐吉はんの身体が三日もあれば自分で出す。今、一番辛いのは毒やない。身体が動かへん疲労の方どす。五十年も木を切ってきた身体に、薬で無理やり解毒をかけたら、肝臓がさらに疲れる」
タマキの手が止まった。
「肝臓が──さらに疲れる……」
「へえ。解毒薬は肝臓に仕事をさせる薬どす。弱った肝臓に仕事を増やしたら、毒は消えても、疲労は悪化する。──あなたの薬は、毒を消すために、佐吉はんの身体をもう一回働かせてしまう」
タマキが唇を引き結んだ。
薬師として、セノンの言っていることが正しいとわかったからだ。解毒は肝臓に負荷をかける。弱った肝臓にそれを強いれば、毒は消えても疲労は増す。
だが、タマキは方針を変えなかった。毒を残すのは薬師として許容できない。
「……わかりました。でも、毒を残すのは私にはできません」
「それがあなたなりの『薬師』どすな」
三十分後。二つの薬が完成した。
タマキの薬──黄金色、甘い香り。
セノンの薬──乳白色、無臭。温かい。
佐吉が二つの湯のみを受け取った。先にタマキの薬を飲んだ。少し顔をしかめた。解毒が始まった反応だ。肝臓が働いている。それから、セノンの薬を飲んだ。ふう、と深い息を吐いた。身体が楽になったのが顔に出ていた。
店員が佐吉の脈を測り、体温を確認し、顔色を記録した。
【タマキの薬:疲労値-45、毒素-100%、胃への負担+5、栄養+30】
【セノンの薬:疲労値-60、毒素-80%、胃への負担±0、栄養+40】
「──セノン様の勝利です。毒素はタマキ様が完全除去ですが、総合点でセノン様が上回りました」
店員の判定に、思わずタマキが唸った。
「……負けた。毒を完全に抜いたけど、解毒で肝臓に負荷をかけた分、疲労の回復が追いつかなかった」
「薬師は数値やのうて、人を見る仕事どす」セノンはやつれた男を傍目にしながら、「佐吉はん自身が、どっちの薬で楽になったか。顔を見れば、わかりますやろ」
佐吉は、セノンの薬を飲んだ後の方が、明らかに表情が和らいでいた。
タマキが息を吐いた。
「二問目を、お願いします!」
◇
佐吉が一礼して退室した後、次の患者が通された。
若い女性。派手な着物。化粧が濃いが、目の下にクマが浮いている。
「紅葉はん、湯楽郷の娼妓、二十代。客足が減って食欲不振と不眠。身体的な毒はなし。──心因性どす」
「心の薬ですか……」
タマキが紅葉の前にしゃがんだ。手を取って脈を測る。冷たい。
「寒いですか」
「……少し。いつも寒いんです」
「睡眠は?」
「三時間も寝れたらいい方で」
「食事は?」
「お粥だけ、少し」
タマキが頷いて調合台に向かった。心因性の不眠。成分だけでは解けない。
鞄の底から小瓶を一つ取り出した。
「 月宿草(つきやどそう) の蜜。この世界で見つけた新しい素材です」
「それは、何に使うんですか?」アストレアが聞いた。
「ほんの少し加えると、飲んだ人に『やさしい夢』を見せるんです。不眠の人には、薬そのものより、『昨夜よく眠れた』って記憶の方が効く。……次の夜も、眠れるようになる」
タマキが蜜を一滴、瓶に垂らした。紅葉の冷たい手を思い出しながら、身体を温める成分を足していく。
セノンは隣の調合台で、食欲促進に全振りした薬を組んでいた。空腹感を刺激する素材。胃の動きを活発にする根。即効性の高い、身体に直接効く処方。
三十分後。紅葉が二つの薬を飲んだ。
セノンの薬を飲んだ直後、紅葉が「あ」と声を漏らした。お腹が鳴った。食欲が戻っている。即効性がある。
タマキの薬は、飲んだ直後には目に見える変化が少なかった。だが、しばらくして紅葉の肩の力がゆっくり抜けていった。目尻の緊張が和らいで、顔色が柔らかくなった。
店員が状態を確認して記録した。
【タマキの薬:食欲+35、不眠解消+70、精神安定+80】
【セノンの薬:食欲+50、不眠解消+55、精神安定+60】
「──タマキ様の勝利」
セノンが自分の薬を見つめた。
「月宿草の蜜……。珍しいもんを使わはる」
「薬はそれ単体で使うのではなく、状況に応じて効果を使い分けるものだと、原初の世界で教わりました」
「原初の世界。──行かはったんですか」
「はい」
「……すごいなあ」
セノンが息を吐いた。
「うちは食欲の即効性で押したんやけど、心の薬には勝てしまへんなあ。──一勝一敗。最後の問題で決まりますわ」
◇
三問目。
紅葉が退室した。次の患者を待ったが、誰も来ない。
セノンが自分の湯のみを置いて、ゆっくりと座り直した。
「最後の患者は──うちどす」
「はい?」タマキが固まった。
「うちが、患者どす」
「あなたが?」
「へえ。ルシアはうちを『複雑で動機が読めない』て言うやろな」
セノンが目を細めた。
「実のところ、単純なんですわ。うち、七繰りの中で一人だけ、この島の仕組みに嫌気が差してるんどす」
「嫌気が……?」
「うちは昔、紡世者のもとで『癒しの記録者』をしとりました。生きる者の疲れを記録して、和らげる方法を考える仕事」
「それが……なぜ追放に」
「ある日気づいたんどす。薬を作るより、温泉と美食と酒を出した方が、早う人が元気になるて」
「……それで?」
「紡世者に『職務放棄や』て言われて、追放されました」
セノンが苦笑いを浮かべた。
「それから仲間とこの島を作った。プレイヤーに楽しい時間を提供して、対価に力を受け取る。──うちはそれでええと思うてました。今でも悪いことやとは思うてまへん」
「でも、ですよね」
「でも、仲間がやりすぎた。没収、監禁、恐怖。楽しい時間の上限を超えて、搾取になった。うちは全て嫌になった」
セノンが目を細めた。
「もう、追放されたことすら、どうでもええ。──ただ、疲れてるんどす。長う生きて、仕事を変えて、追放されて、島を作って、搾取に加担して。疲れましたわ」
「それが、あなたの動機……」
「動機っていうほどのもんでもない。ただ、疲れた」
タマキがじっとセノンを見た。
「それでは、三問目のお題は──」
「『うちに効く薬を作ってほしい』。これどす」
「あなた、勝ちたくないんですか」
「勝ちたくない。負けたい」
セノンの疲れた笑みだった。
「うちの疲労に効く薬を作れたら、負けを認めます。湯楽郷の扉を開けます」
タマキが調合台に向かった。
しばらく、動かなかった。
一問目でセノンに教わったことを思い出していた。佐吉の時、セノンは「疲れた身体にさらに仕事をさせるな」と言った。解毒は肝臓に負荷をかける。無理に治すのではなく、楽にする。
セノン自身が患者なら──これまで積み重なった長い疲労を、薬の成分だけで抜くのは無理だ。
だから、タマキは別のことを考えた。
鞄の中のものを、全部出した。
原初の息吹。月宿草の蜜。翠風の衣薬。根脈の樹液。星の粉。
各地で集めた、タマキの旅の全部だ。
「それ……全部使うんですか」
アストレアが目を丸くした。
「長く疲れた人には、一種類の薬じゃ足りません。──疲れを抜くんじゃなくて、疲れる前の自分を思い出してもらう薬を作ります」
配合を始めた。今までのどの薬とも違う、手順に従わない、タマキ自身が組み立てた配合。
セノンが遠くから見ている。細い目が、さらに細くなっていた。
三十分後。瓶が虹色に揺れていた。
【タマキが新薬「 旅宿の一滴(たびやどのいってき) 」を開発しました】
【効果:長期の精神的疲労を根本から緩和。複数の属性バフを内包。飲んだ者に「旅の記憶」を思い出させる】
セノンが瓶を受け取った。しばらく見つめて──飲んだ。
一息。
目を閉じる。
長い、長い、息を吐いた。
【セノンの精神疲労:-95】
【「旅の記憶」発動:薬師としての誇りが一時的に戻りました】
セノンの肩が、ゆっくり下がった。
「……これは。昔、薬師やった頃の自分を──思い出しましたわ」
「あなたが今、少しでも楽になったのなら。……ただそう思って頂きたい。それが、薬師としての私の答えです」
セノンが目を開けた。少しだけ潤んでいる。
「……その言葉も、懐かしいなあ」
【調合対決・タマキの勝利】
【湯楽郷の区画攻略を達成しました】
【湯楽郷の主セノンは敗北を認めました】
【プレイヤーより没収したスキル・装備の一部が追加で解放されます】
◇
「うちの門を開けます」
セノンが畳に手をついた。
「一つ聞いていいか」トワが言った。
「なんどす」
「最初に、味方にならなかった理由は?」
「仲間を裏切るのが怖かった」
あっさりした答えだった。
「追放された者同士で、嫌な奴ら言うても、うちらは仲間や。うち一人が抜けることはできまへん。──でも今は、正当な勝負に負けた形になった。これで仲間たちにも顔が立つ」
「計算してたわけか」
「計算ちゅうほどのもんでも。ただ、負ける相手を待ってただけどす」
セノンが立ち上がった。
「お進みやす、トワ様。残り一つは、総主の門だけどす」
◇
月宿を出た。湯楽郷の空は夕焼けだった。
「タマキ」
「はい」
「効いたな、お前の薬」
「……一問目で負けて、よかったのかもしれません」
「なぜだ」
「セノンさんに教わったんです。疲れた人にさらに仕事をさせるな、って。だから三問目で、疲れを抜く薬じゃなくて、思い出す薬を作れた」
タマキがトワの手を、ちょっとだけ握った。
「トワさんがいろんな場所に連れて行ってくれたから、あの薬が作れました」
「……」
「照れないでください」
「照れてない」
「えへへ……」
アストレアが後ろで微笑んでいた。
「お見事でした、タマキさん。念のため護衛で来ましたが……不要だったようですね」
「いえ、アストレアさんが傍にいただけで、心強かったですよ」
「そう言って頂けると助かります。――そして、トワさん」
「ああ、分かってる。いよいよだな」
トワが視線を送ると、タマキはチャット画面を開いた。
そこに、今回の成果を打ち込んだ。
タマキ:「湯楽郷、攻略完了です!」
パーティーチャットは、直ぐに動いた。
ヴェノム:「お疲れ。──これで六つ目か」
ゼクス:「残りは総主だけ。帳の間が開くはずだ」
ハル:「六つ全部、扉開きました! フォーラムもかなり湧いてます!」
ミコト:「すごいですよ、配信も尋常じゃない盛り上がり方です!」
オーレン:「六幹部全員攻略とは。相変わらず、信じられん男だ」
レクト:「帳の間の総主に、いよいよ対峙ですね」
ダリオ:「残り二日、ギリギリだな」
トワ:「一度集合する。帳の間に向かう前に作戦会議だ」
アストレア:「どこに集まりますか」
トワ:「湯楽郷の宿。セノンが用意してくれるそうだ」
六つ目の扉が開いた。
常世島、十五日目の夕方。残り二日。
次は── 帳(とばり) の間。