軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

湯煙の薬師

湯楽郷。

常世島で最も広い区画の一つだった。広大な和風庭園の中に、大小合わせて二十以上の温泉宿が点在している。どこからともなく湯気が立ち上り、三味線の音が聞こえ、料亭からは美食の香りが漂ってくる。

常世島に閉じ込められたプレイヤーたちは、この湯楽郷を最後の癒しの場所として訪れている。温泉に浸かって、美食に酔って、現実を忘れる。そして──気づけば常世銭を使い果たしている。

そして道には、トワ、タマキ、アストレアの三人が歩いていた。

「トワさん。ここが最後の一区画、ですね」

「今のところ、予定通りに進んでいる。今回も順調に事が運べばいいが……」

「セノンの情報は?」

アストレアの問いに、トワが答えた。

「ルシアからは『複雑で、動機が読めない』と。ギセルからは何も。ヴァルタ、マリス、テオからは具体的な警告はなかった。──セノンは『七繰』りの中でも孤立しているらしい」

「孤立、ですか」

「他の六人は目的を共有していたが、セノンだけは違うようだ。──会ってみないとわからない」

湖畔(こはん) の料亭「月宿」。

タマキの調査によると、ここがセノンの本拠地らしい。門をくぐると、前庭に池。鯉が泳いでる。和風の絵を描いたような景色だ。

「お待ちしておりました、トワ様」

女将っぽいNPCが三人を奥に通した。廊下が長い。料亭というより御殿に近い。

「お待ちしておりました……?」

「セノン様がお待ちです。どうぞ、こちらに」

怪しさは拭えないが、トワは彼女の後をついていくことに。

――最奥の大広間に案内されると、襖が開いた。

畳の上に座卓。向こうに男が一人。

白髪交じりの黒髪、着物姿で目が細い。歳は三十前後か、つかみどころのない笑みを浮かべている。

セノンだ。

「ようこそ、湯楽郷へ。──さ、お茶でもどうどす?」

トワは座卓について、茶を口にした。

「さて、この区画の攻略条件は?」

「せっかちやなあ」

セノンが自分の湯のみを啜った。

「湯楽郷の攻略条件は、調合対決どす。対戦相手として認められるのは――薬師のタマキさん。うちとの三回勝負で、二勝先取や」

「……薬師同士で?」

タマキが眉を寄せた。

「へえ。うち、昔は薬師でしたさかい。お題はうちが出します。判定は、湯楽郷で病気のNPCに飲ませて回復度合いで決める。不正はできへんよ、数値勝負やさかい」

タマキがトワを見た。トワが頷いた。

「受けます」

「おおきに。ほな、一問目から」

セノンが手を叩いた。襖が開いて、店員が一人の男を連れてきた。

五十代。日焼けした顔。木こりの作業着。店員に支えられて、ふらつきながら入ってくる。

「佐吉はん。五十代の木こり。三日前から倒れてはる」

セノンが佐吉に座布団を勧めた。佐吉が力なく座る。

「原因は複合性の疲労毒。長年の蓄積疲労と、先日飲んだ酒の微量毒が反応したもんどす。対処法は解毒と栄養補給の同時処置。ただし胃が弱ってるさかい、刺激物はあきまへん。──制限時間は三十分」

隣の調合室に通された。調合台が二つ並んでいる。佐吉は部屋の隅で休んでいる。

タマキが佐吉の隣にしゃがんだ。

「佐吉さん、少し失礼しますね」

脈を取った。目の色を見た。舌を見せてもらった。胃のあたりを軽く押した。佐吉が顔をしかめた。

「……顔色が黄色い。肝がやられてますね。脈が浅いから腎も弱ってる。舌が紫がかってるのは蛇苺系のアルカロイド毒の反応」

タマキが立ち上がった。

「毒が残ったまま栄養を入れても、肝臓が処理できません。――まず、毒を抜きます」

タマキが鞄を開けた。解毒系の素材を中心に並べる。蛇苺の毒を中和する薬草、肝臓の負担を減らす根、胃を荒らさない甘い結合剤。手際よく計量して、火にかけた。

隣の調合台で、セノンも動いていた。

セノンは佐吉を見ていた。タマキのように触診はしない。ただ、じっと見ていた。

それから、素材を一つずつ取り出した。タマキとは全く違う素材。解毒系がほとんどない。代わりに、栄養補給と血行促進の素材が並んでいる。

タマキが横目でセノンの調合台を見た。

「──解毒、しないんですか」

「しまへん」

セノンが即答した。

「毒の量は少のうてな。あれくらいなら佐吉はんの身体が三日もあれば自分で出す。今、一番辛いのは毒やない。身体が動かへん疲労の方どす。五十年も木を切ってきた身体に、薬で無理やり解毒をかけたら、肝臓がさらに疲れる」

タマキの手が止まった。

「肝臓が──さらに疲れる……」

「へえ。解毒薬は肝臓に仕事をさせる薬どす。弱った肝臓に仕事を増やしたら、毒は消えても、疲労は悪化する。──あなたの薬は、毒を消すために、佐吉はんの身体をもう一回働かせてしまう」

タマキが唇を引き結んだ。

薬師として、セノンの言っていることが正しいとわかったからだ。解毒は肝臓に負荷をかける。弱った肝臓にそれを強いれば、毒は消えても疲労は増す。

だが、タマキは方針を変えなかった。毒を残すのは薬師として許容できない。

「……わかりました。でも、毒を残すのは私にはできません」

「それがあなたなりの『薬師』どすな」

三十分後。二つの薬が完成した。

タマキの薬──黄金色、甘い香り。

セノンの薬──乳白色、無臭。温かい。

佐吉が二つの湯のみを受け取った。先にタマキの薬を飲んだ。少し顔をしかめた。解毒が始まった反応だ。肝臓が働いている。それから、セノンの薬を飲んだ。ふう、と深い息を吐いた。身体が楽になったのが顔に出ていた。

店員が佐吉の脈を測り、体温を確認し、顔色を記録した。

【タマキの薬:疲労値-45、毒素-100%、胃への負担+5、栄養+30】

【セノンの薬:疲労値-60、毒素-80%、胃への負担±0、栄養+40】

「──セノン様の勝利です。毒素はタマキ様が完全除去ですが、総合点でセノン様が上回りました」

店員の判定に、思わずタマキが唸った。

「……負けた。毒を完全に抜いたけど、解毒で肝臓に負荷をかけた分、疲労の回復が追いつかなかった」

「薬師は数値やのうて、人を見る仕事どす」セノンはやつれた男を傍目にしながら、「佐吉はん自身が、どっちの薬で楽になったか。顔を見れば、わかりますやろ」

佐吉は、セノンの薬を飲んだ後の方が、明らかに表情が和らいでいた。

タマキが息を吐いた。

「二問目を、お願いします!」

佐吉が一礼して退室した後、次の患者が通された。

若い女性。派手な着物。化粧が濃いが、目の下にクマが浮いている。

「紅葉はん、湯楽郷の娼妓、二十代。客足が減って食欲不振と不眠。身体的な毒はなし。──心因性どす」

「心の薬ですか……」

タマキが紅葉の前にしゃがんだ。手を取って脈を測る。冷たい。

「寒いですか」

「……少し。いつも寒いんです」

「睡眠は?」

「三時間も寝れたらいい方で」

「食事は?」

「お粥だけ、少し」

タマキが頷いて調合台に向かった。心因性の不眠。成分だけでは解けない。

鞄の底から小瓶を一つ取り出した。

「 月宿草(つきやどそう) の蜜。この世界で見つけた新しい素材です」

「それは、何に使うんですか?」アストレアが聞いた。

「ほんの少し加えると、飲んだ人に『やさしい夢』を見せるんです。不眠の人には、薬そのものより、『昨夜よく眠れた』って記憶の方が効く。……次の夜も、眠れるようになる」

タマキが蜜を一滴、瓶に垂らした。紅葉の冷たい手を思い出しながら、身体を温める成分を足していく。

セノンは隣の調合台で、食欲促進に全振りした薬を組んでいた。空腹感を刺激する素材。胃の動きを活発にする根。即効性の高い、身体に直接効く処方。

三十分後。紅葉が二つの薬を飲んだ。

セノンの薬を飲んだ直後、紅葉が「あ」と声を漏らした。お腹が鳴った。食欲が戻っている。即効性がある。

タマキの薬は、飲んだ直後には目に見える変化が少なかった。だが、しばらくして紅葉の肩の力がゆっくり抜けていった。目尻の緊張が和らいで、顔色が柔らかくなった。

店員が状態を確認して記録した。

【タマキの薬:食欲+35、不眠解消+70、精神安定+80】

【セノンの薬:食欲+50、不眠解消+55、精神安定+60】

「──タマキ様の勝利」

セノンが自分の薬を見つめた。

「月宿草の蜜……。珍しいもんを使わはる」

「薬はそれ単体で使うのではなく、状況に応じて効果を使い分けるものだと、原初の世界で教わりました」

「原初の世界。──行かはったんですか」

「はい」

「……すごいなあ」

セノンが息を吐いた。

「うちは食欲の即効性で押したんやけど、心の薬には勝てしまへんなあ。──一勝一敗。最後の問題で決まりますわ」

三問目。

紅葉が退室した。次の患者を待ったが、誰も来ない。

セノンが自分の湯のみを置いて、ゆっくりと座り直した。

「最後の患者は──うちどす」

「はい?」タマキが固まった。

「うちが、患者どす」

「あなたが?」

「へえ。ルシアはうちを『複雑で動機が読めない』て言うやろな」

セノンが目を細めた。

「実のところ、単純なんですわ。うち、七繰りの中で一人だけ、この島の仕組みに嫌気が差してるんどす」

「嫌気が……?」

「うちは昔、紡世者のもとで『癒しの記録者』をしとりました。生きる者の疲れを記録して、和らげる方法を考える仕事」

「それが……なぜ追放に」

「ある日気づいたんどす。薬を作るより、温泉と美食と酒を出した方が、早う人が元気になるて」

「……それで?」

「紡世者に『職務放棄や』て言われて、追放されました」

セノンが苦笑いを浮かべた。

「それから仲間とこの島を作った。プレイヤーに楽しい時間を提供して、対価に力を受け取る。──うちはそれでええと思うてました。今でも悪いことやとは思うてまへん」

「でも、ですよね」

「でも、仲間がやりすぎた。没収、監禁、恐怖。楽しい時間の上限を超えて、搾取になった。うちは全て嫌になった」

セノンが目を細めた。

「もう、追放されたことすら、どうでもええ。──ただ、疲れてるんどす。長う生きて、仕事を変えて、追放されて、島を作って、搾取に加担して。疲れましたわ」

「それが、あなたの動機……」

「動機っていうほどのもんでもない。ただ、疲れた」

タマキがじっとセノンを見た。

「それでは、三問目のお題は──」

「『うちに効く薬を作ってほしい』。これどす」

「あなた、勝ちたくないんですか」

「勝ちたくない。負けたい」

セノンの疲れた笑みだった。

「うちの疲労に効く薬を作れたら、負けを認めます。湯楽郷の扉を開けます」

タマキが調合台に向かった。

しばらく、動かなかった。

一問目でセノンに教わったことを思い出していた。佐吉の時、セノンは「疲れた身体にさらに仕事をさせるな」と言った。解毒は肝臓に負荷をかける。無理に治すのではなく、楽にする。

セノン自身が患者なら──これまで積み重なった長い疲労を、薬の成分だけで抜くのは無理だ。

だから、タマキは別のことを考えた。

鞄の中のものを、全部出した。

原初の息吹。月宿草の蜜。翠風の衣薬。根脈の樹液。星の粉。

各地で集めた、タマキの旅の全部だ。

「それ……全部使うんですか」

アストレアが目を丸くした。

「長く疲れた人には、一種類の薬じゃ足りません。──疲れを抜くんじゃなくて、疲れる前の自分を思い出してもらう薬を作ります」

配合を始めた。今までのどの薬とも違う、手順に従わない、タマキ自身が組み立てた配合。

セノンが遠くから見ている。細い目が、さらに細くなっていた。

三十分後。瓶が虹色に揺れていた。

【タマキが新薬「 旅宿の一滴(たびやどのいってき) 」を開発しました】

【効果:長期の精神的疲労を根本から緩和。複数の属性バフを内包。飲んだ者に「旅の記憶」を思い出させる】

セノンが瓶を受け取った。しばらく見つめて──飲んだ。

一息。

目を閉じる。

長い、長い、息を吐いた。

【セノンの精神疲労:-95】

【「旅の記憶」発動:薬師としての誇りが一時的に戻りました】

セノンの肩が、ゆっくり下がった。

「……これは。昔、薬師やった頃の自分を──思い出しましたわ」

「あなたが今、少しでも楽になったのなら。……ただそう思って頂きたい。それが、薬師としての私の答えです」

セノンが目を開けた。少しだけ潤んでいる。

「……その言葉も、懐かしいなあ」

【調合対決・タマキの勝利】

【湯楽郷の区画攻略を達成しました】

【湯楽郷の主セノンは敗北を認めました】

【プレイヤーより没収したスキル・装備の一部が追加で解放されます】

「うちの門を開けます」

セノンが畳に手をついた。

「一つ聞いていいか」トワが言った。

「なんどす」

「最初に、味方にならなかった理由は?」

「仲間を裏切るのが怖かった」

あっさりした答えだった。

「追放された者同士で、嫌な奴ら言うても、うちらは仲間や。うち一人が抜けることはできまへん。──でも今は、正当な勝負に負けた形になった。これで仲間たちにも顔が立つ」

「計算してたわけか」

「計算ちゅうほどのもんでも。ただ、負ける相手を待ってただけどす」

セノンが立ち上がった。

「お進みやす、トワ様。残り一つは、総主の門だけどす」

月宿を出た。湯楽郷の空は夕焼けだった。

「タマキ」

「はい」

「効いたな、お前の薬」

「……一問目で負けて、よかったのかもしれません」

「なぜだ」

「セノンさんに教わったんです。疲れた人にさらに仕事をさせるな、って。だから三問目で、疲れを抜く薬じゃなくて、思い出す薬を作れた」

タマキがトワの手を、ちょっとだけ握った。

「トワさんがいろんな場所に連れて行ってくれたから、あの薬が作れました」

「……」

「照れないでください」

「照れてない」

「えへへ……」

アストレアが後ろで微笑んでいた。

「お見事でした、タマキさん。念のため護衛で来ましたが……不要だったようですね」

「いえ、アストレアさんが傍にいただけで、心強かったですよ」

「そう言って頂けると助かります。――そして、トワさん」

「ああ、分かってる。いよいよだな」

トワが視線を送ると、タマキはチャット画面を開いた。

そこに、今回の成果を打ち込んだ。

タマキ:「湯楽郷、攻略完了です!」

パーティーチャットは、直ぐに動いた。

ヴェノム:「お疲れ。──これで六つ目か」

ゼクス:「残りは総主だけ。帳の間が開くはずだ」

ハル:「六つ全部、扉開きました! フォーラムもかなり湧いてます!」

ミコト:「すごいですよ、配信も尋常じゃない盛り上がり方です!」

オーレン:「六幹部全員攻略とは。相変わらず、信じられん男だ」

レクト:「帳の間の総主に、いよいよ対峙ですね」

ダリオ:「残り二日、ギリギリだな」

トワ:「一度集合する。帳の間に向かう前に作戦会議だ」

アストレア:「どこに集まりますか」

トワ:「湯楽郷の宿。セノンが用意してくれるそうだ」

六つ目の扉が開いた。

常世島、十五日目の夕方。残り二日。

次は── 帳(とばり) の間。