作品タイトル不明
釣り師と商人
宵市。深夜二時。
提灯が灯り続けている。この島の宵市は夜通し営業している。表の通りはプレイヤーで賑わっているが、裏道は静かだった。
レクトが裏道を歩いていた。黒いコートのフードを深く被っている。肩に釣り竿はない。今日は釣りではなく、潜入だ。
目的地は、宵市の最奥にある「鍵つき建物」。三日前に裏口から一度覗いた場所。あの時は警備が厳しかったが、二時なら交代の時間帯があることを観察していた。
建物の裏口に着いた。酒樽の運搬業者を装って通してもらった。「いつもの仕入れだ」と簡単な合言葉で、警備NPCが通してくれた。裏口の警備は甘い。表は厳重だが、裏は業者扱いで通れる。
中に入った。
◇
建物の内部は、秘密競売場だった。
円形のホール。中央にステージ。周囲に椅子が並び、フード付きのプレイヤーが四十人ほど座っている。顔が見えないように全員がフードを被っている。匿名性を保つための仕掛けだろう。
ステージの上で、NPCの競売人が装備を掲げていた。
「次の品。Lv88の『 氷狼刃(ひょうろうじん) 』。氷属性の大剣。ダメージ+280。前の持ち主は、三日前に奈落遊戯場で全て失った者です。開始価格、八千常世銭」
「九千」「一万」「一万五千」「二万」
競りが始まった。装備の元の持ち主がいなくても、高値で売買が成立している。
レクトは椅子の一つに座った。フードを深く被って、周囲を観察した。
ステージの奥に、大きな赤い椅子があった。そこに座っている人物が一人。
マリス。
細身の男。四十代後半に見える。痩せた顔に、人の良さそうな微笑み。服装は宵市の商人らしい地味なものだが、指に宝石の指輪を七つ嵌めている。各指に一つずつ。
マリスが手を振った。競売人が頷いて、次の品を掲げた。
「次の品。Lv82の『 星鋼の篭手(せいこうのこて) 』。攻撃+180、移動速度+5%。開始価格、六千常世銭」
競りが続いた。
◇
二十品ほど競売が進んだところで、レクトが立ち上がった。
「マリスに話がある」
ホールが静まった。フード姿のプレイヤーたちが一斉にレクトを見た。
マリスが目を細めた。それから、微笑んだ。
「……釣り師のレクト様ですね。よくぞいらっしゃいました」
レクトがフードを外した。場の空気が揺れた。隣のプレイヤーが身を引いた。
「トワさんのパーティが、ここに乗り込んできたぞ」
「あの〈白霧の進軍〉のGMか」
「宵市を攻略しに来たってことか」
マリスが手を挙げた。静寂が戻った。
「競売を一時中断させていただきます。レクト様、ステージへどうぞ」
レクトがステージに上がった。四十の視線が集まっている。
「マリス、宵市の攻略条件を教えてほしい」
「戦闘ではございません、当然ながら。商人は刃物を振るいませんから」
マリスが微笑みを崩さず続けた。
「宵市の攻略には、『 目利(めき) き勝負』を行います。三つの品を出します。それぞれの品に二つの値段がついています。本当の価値と、偽の価値。それを見抜いていただく。三問中二問以上正解すれば、攻略成立です」
「目利き勝負」
「はい。商人の領分ですので」
レクトが頷いた。
「受けて立つ」
「それでは、一問目」
マリスが指を鳴らした。奥から使用人が一つの箱を運んできた。赤い布が被せてある。布が外された。
中身は──魚だった。
青い光を放つ魚。ヒレが虹色に輝いている。
◇
「一問目の品は、『 虹鱗魚(こうりんぎょ) 』。島の固有種と言われている魚です。この魚に、二つの値段がついています」
マリスが札を二枚掲げた。
「一つ目、一匹三千常世銭。通常の食材として」
「二つ目、一匹三万常世銭。薬師の調合素材として」
「本当の価値は、どちらでしょうか」
ホールの観客が身を乗り出した。フード姿のプレイヤーたちが、互いに小声で話している。
レクトが魚を見た。
じっと見た。
それから、首を振った。
「どちらも、偽だ」
ホールがざわめいた。マリスの眉が僅かに動いた。
「……ほう」
「これは虹鱗魚じゃない。色を塗った別の魚だ」
「証拠は、ございますか」
「ある」
レクトが魚のヒレを指でなぞった。指先に虹色の粉が付いた。
「鱗の虹色が、粉になっている。本物の虹鱗魚の鱗は、光の反射で虹色になる。指でなぞっても粉は付かない。これは顔料で塗装されているものだ」
レクトが指を舐めた。
「味も違う。虹鱗魚は、指で触れるだけでほんのり甘い粘液を出す。これは、無味だ」
「……指で舐めて、見抜くのですか」
「釣り師は魚を見る。ずっと、魚だけを見てきた。──本物か偽物か、触れば、わかる」
マリスがしばらく沈黙した。それから、ゆっくりと手を叩いた。
「お見事です。正解は、『どちらも偽』。この魚は、 鯉(こい) に虹色の塗料を塗ったものです。──しかし、プレイヤーの誰もが、本物の虹鱗魚だと思い込んで買っていきました。一匹三万で」
ホールの観客が一斉に動揺した。
「俺、先週買ったぞ……!」
「偽物だったのか……!」
「一問目、正解です」マリスが一礼した。「続けましょう」
◇
「二問目の品は、『 海神の護符(かいじんのごふ) 』」
マリスが小さな金属の護符を掲げた。青い石が嵌め込まれている。
「水属性耐性+15%の効果があると言われています。二つの値段がついています」
「一つ目、十五万常世銭」
「二つ目、三十万常世銭」
「どちらが、本当の価値でしょうか」
レクトが護符に近づいた。手に取って、しばらく見つめた。
それから、顔を上げた。
「これは、水属性耐性の効果が本当にある。俺の釣り師としての勘だが、この青い石は深海にしか存在しない『 深潮石(しんちょうせき) 』だ。希少素材で、水属性耐性の効果は本物だろう」
「ほう」
「だが、十五万も三十万も、どちらも偽だ」
ホールが、しんと静かになった。
「釣り師ギルドの仲間に、深潮石の相場を聞いたことがある。この大きさ、純度なら、市場価格で八万前後だ。十五万でも高い。三十万は論外だ」
レクトが護符を置いた。
「本物だが、値段は両方とも偽。──二問目の正解は、『どちらも偽』だ」
マリスの表情が、初めて明確に硬くなった。
「……驚きました。私の仕掛けを、二問連続で見破られるとは」
「仕掛け?」
「そうです。私の目利き勝負は、本来『二択』です。本物の値段と偽の値段から選ぶ。ですが、私は毎回、両方の値段を偽にしていました。挑戦者が必ず間違えるように」
ホールの観客が騒然となった。
「じゃあ、俺たちが今までここで買った物は、全部、不当に高い値段だったのか!?」
「最終問題は、三択にさせていただきます」マリスが続けた。
「承知した」
◇
「三問目の品。『 星砕(ほしくだ) きの弓』。Lv95の伝説武器。ドロップ率0.1%の超レア」
マリスが巨大な弓を掲げた。黒い弓身に、銀色の弦。
「三つの値段がついています」
「一つ目、五十万常世銭」
「二つ目、百万常世銭」
「三つ目、二百万常世銭」
「正しい値段は、一つだけです。どれでしょうか」
レクトが弓を見た。しばらく、動かなかった。
時間が流れた。観客が固唾を呑んで見守っている。
レクトが指を伸ばした。弓の弦に触れた。軽く弾いた。
音がした。
レクトが首を振った。
「この弓は、偽物だ」
「……偽物?」
「本物の『星砕きの弓』は、弦を弾くと星が瞬く音がする。これは普通の弦の音だ。この弓は星砕きの弓じゃない。別の弓に似せた偽物だ」
「根拠は?」
「ずっと前……俺が新大陸で偶然、本物の星砕きの弓を見つけたことがある。ほぼ壊れかけで、武器としては使い物にならなかったけどな。でも、あの音は、一回聞いたら忘れない」
マリスがしばらく沈黙した。
「……本物に触れた経験が、あるとは」
「釣り師は水辺にいるが、水辺にはいろんな物が流れ着く。レアアイテムも、時々な」
「つまり、三問目の正しい答えは?」
「三つとも、偽だ。この弓そのものが偽物だから、値段以前の問題だ」
マリスが、ゆっくりと両手を叩いた。
「お見事。──完全に、完膚なきまでに、見抜かれました」
【目利き勝負・三問正解】
【宵市の区画攻略を達成しました】
【宵市の主マリスは敗北を認めました】
【プレイヤーより没収したスキル・装備の一部が追加で解放されます】
ホールの観客が騒ぎ出した。
「偽物を、ここで、この値段で売っていたのか!」
「俺の装備も、もしかして偽物なのか!?」
「返金を! 返金を要求する!」
マリスが観客に向かって深く頭を下げた。
「皆様。──私は宵市の商人として、偽物と本物を混ぜて売っていました。全てをご返金いたします。買取記録は全て保管してあります。本日中に、全員にお返しします」
マリスがレクトに向き直った。
「レクト様。──私はあなたの前で、完敗しました。商人の職業として、本物と偽物を見抜かれることほどの屈辱はありません。ですが、正当な負けです。宵市の権利を、お渡しします」
◇
マリスと二人きりになった控室。
「一つ、聞いてもいいか」レクトが言った。
「なんでしょう」
「なぜ偽物を売り続けていた。本物を売ればいいじゃないか」
マリスが苦笑した。
「情報と偽装は、商人の武器です。七繰りの立場として、プレイヤーから没収した装備を流す際、出所を隠す必要がありました。『偽物と本物を混ぜて売る』ことで、市場の信頼を曖昧にする。誰も真贋を確信できなくなり、値段の高低が意味を失う。その混乱が、我々の武器でした」
「市場を混乱させることが目的か」
「はい。混乱した市場では、プレイヤーは常世銭を失い続けます。買っても偽物かもしれない。売っても損をするかもしれない。──恐怖で麻痺した経済の中で、プレイヤーはさらに賭技に戻っていきます」
「えげつない仕組みだな」
「商人の領分です。──ですが、あなたには通じなかった。釣り師の目が、偽物を見抜いた。私の十年の仕掛けが、あなたの経験に負けたのです」
「俺はそんな立派な人間じゃない。ただ、魚ばかり見てきただけだぞ」
「ははっ……十分でしょう、魚だけでも」
◇
パーティチャットが動いた。
レクト:「宵市、攻略完了しました」
トワ:「どう倒した」
レクト:「目利き勝負でした。偽物を見抜く勝負です。三問とも見抜きました」
トワ:「釣り師の嗅覚か」
レクト:「あはは……魚ばかり見てきましたので……」
タマキ:「マリスが返金するって本当ですか?」
レクト:「本当です。観客の前で約束したので、守るでしょう。宵市の市場が一気に正常化します」
ゼクス:「四つ目。残り二つ」
ハル:「テオとセノン」
トワ:「タマキ、アストレア。セノンの準備は?」
タマキ:「明日、行きます」
トワ:「ヴェノムとルーナは?」
ルーナ:「奈落の地下、場所が見えてきた。明日、入る」
四つ目の扉が開いた。
常世島、十四日目。
残り二区画。テオの奈落。セノンの湯楽郷。
残り四日。