軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

《名前》

トワは影の中を移動している。ゼクスの影から根の影を通って、原初の観測者の真下まで。

「三秒後に放り出す、そこから先はお前一人だ」

「ああ」

「……帰ってこいよ、トワ」

「心配するな、必ず帰ってくる」

トワは影から放り出された。

空中――白金色の光が全方向から降り注いでいる。

原初の観測者の表面。直径百メートルの目のすぐ傍。

《確定視》がすかさずトワの全身に降りかかった。

身体が固まる——が、見聞録が光った。同じベクトルの力で、確定視を相殺している。

それでも、原初の観測者の力の方が強い――このままでは身体が硬直する。

だが今は……完全に動けなくなる前に、観測者の元に到達さえできればいい。

トワは【果ての道標】を剣に切り替えた。白金色の表面を斬った。亀裂が入った。

亀裂から中に入った。

白金色の光に満ちた空間。

原初の観測者の内部。外から見た時よりも広い。無限に広がっているように見える。光以外に何もない。上下左右がわからない。

だが足の裏に集中した。

振動がある……根脈の脈動が、ここまで届いている。下がわかる。方向がわかる。

歩いた。光の中を。

奥に——金色の光がある。白金色とは違う、温かい金色。一人目の旅人の光。

近づいた。

……一人目の旅人がいた。

この空間にいる男は、目の形……ではなかった。

人の形をしていた。

年老いた男だ、杖を持っている。目を閉じている。身体の周囲を白金色の光の鎖が縛っている。原初の観測者が一人目を離さないために、鎖で繋いでいる。

「いまのお前が……本当の姿か」

一人目の旅人が目を開けた。金色の瞳には、泣いた跡がある。

「本当に来たのか……三人目の旅人よ」

「ああ、グランとそう約束したからな。今からお前を、連れて帰る」

「ダメだ……帰れない。この鎖が……名前のない存在は、ここから出られない。わたしには、名前がない。だから縛られている……《見ることだけ》に囚われている」

「分かっている。だから――お前に、名前をつける」

「……何?」

「お前に、名前をつける。名前があれば、存在が固定されるのだろう。固定された存在は、観測者に取り込まれない。この鎖も外れるはずだ」

一人目の旅人の目が大きくなった。

「名前を……わたしに……。わたしは誰にも名前をつけてもらったことがない。名前をつける側で……つけてもらう側ではなかった」

「俺がつける。お前が嫌でも、必ずつける」

「ははっ……嫌じゃないさ。ああ……嫌じゃない」

トワは見聞録を【片鱗モード】に切り替えた。

一人目の旅人の内側が見えた。

鎖の奥に……【核】がある。

温かい金色、好奇心の色、全てを見たいと願った旅人の、一番最初の感情の色。

見ることが道だった人の色。

見聞録を通常モードに戻した。

彼の名前が浮かんだ。

【 望見(ぼうけん) 】

入力した。

【命名が完了しました!】

【一人目の旅人「望見」が命名されました】

【命名者:トワ】

白金色の鎖が——バギン、と砕けた。

名前で存在が固定された。固定された存在は取り込めない。鎖の意味がなくなった。

望見の身体から白金色の光が剥がれていく。原初の観測者の力が分離していく。人の形が確かになっていく。杖を持った年老いた男……金色の瞳。

「鎖が……外れた」

「名前があれば、お前はお前だ。もう、こいつの一部じゃない」

原初の観測者が——叫んだ。声はない、ただの振動だ。それでもこの内部空間全体が揺れた。きっと、一人目の旅人を再び支配下に置こうとしているのだろう。

――白金色の光が、壁のように迫ってくる。二人を押しつぶそうとしている。

「ボウケン、逃げるぞ」

「……逃げられるのか。わたしはここに、何千年もいた……到底、逃げられるとは思えない」

「いいから、今は走れ! 足がついてるなら走れる。お前の旅だって、最初は一歩を踏み出すことだっただろ!」

トワはボウケンの手を掴んだ。

走った、光の中を。来た道を……亀裂に向かって。

原初の観測者が閉じようとしている。亀裂が狭くなっていく。

「レクト——!」

その瞬間、亀裂から糸が放り込まれた。

レクトの釣り糸だ。

トワは手を伸ばしで、釣り糸を掴む――糸が二人を手繰り寄せる。

そうして亀裂が閉じる寸前に——二人が飛び出した。

白金色の外殻から、空中に放り出された。落ちていく。

しかし、セレスが二人の落下を受け止めた。

ノーダメージだ。

「釣れましたよ! 二人分!」

レクトが糸を巻き取りながら叫んでいた。

花の台地に倒れ込んだ。

隣にボウケンがいる。

人の形で目は二つ。金色の瞳を持った、年老いた男。

「出た……。出れた、本当に、外に……」

「ああ、出てきた。約束通りな」

原初の観測者が空で暴れている。

一人目の旅人を失ったのだ。

白金色の光が不規則に点滅している。《確定視》が乱れている。

そして——

【原初の観測者の出力が急速に低下しています】

【一人目の旅人の分離により、観測者の力の一部が喪失しました】

弱くなっている。一人目を失って、力の大部分を失っている。

「さて、ここからどうしたものかと思ったが……諦めてくれるようだな」

原初の観測者が、沈み始めた。

ゆっくりと、天蓋の穴を通って。下へ、下へ、……世界の底へ。

退いていく。

力を失って、退いていく。

残る問題は一つ。

グランだ。

一人目はもう帰ってきた、グランの力は必要ない。

だが、グラン自身が力の流出の止め方を知らない。流し始めた力が止まらない。

そして……名前がない。名前がないから、消えていく。

トワはグランの前に立った。

「グラン。一人目の旅人は帰ってきた。お前の力はもう必要ない」

「……帰って、きたのか」

「帰ってきた。名前をつけた。望見。遥かを望み見る者、と書いて、ぼうけん」

「望見……いい名前だな。お前がつけたのか」

「ああ。次はお前だ」

「わたしに……名前を……」

「お前が拒否した理由はもうない。一人目は帰ってきた。力を流す必要もない。名前をつければ、お前は消えない」

グランの透けた目から涙がこぼれた。

「……頼む」

トワは【片鱗モード】に切り替えた。

グランの内側を見た。透けかけた身体の奥に、核がある。

温かい色……草原の色、大地の色。触れたもの全てを守ってきた力。裸足で世界を歩いて、場所を作り、場所を守り、何千年も待ち続けた者。

通常モードに戻した。

名前が浮かんだ。

【 巌路(がんろ) 】

入力した。

【命名が完了しました!】

【二人目の旅人「巌路」が命名されました】

【命名者:トワ】

グランの——巌路の身体が光った。透けていた部分が戻っていく。足から、膝から、腰から、胸から、首から、顔が戻った。涙の跡がまだ残っている。でも消えない……名前があるから。

「巌路……」

グランは自分の名前を呟いた。

「巌の路。揺るがぬ路で、もう一人を待ち続けた者。ああ……私にふさわしい」

原初の世界全体が呼応した。

命名の瞬間に、草原が揺れた、大きい木が揺れた、鏡の湖が光った、万獣が吠えた、渡空魚が全員で金色に発光した。命名された全ての存在が呼応した。

ボウケンが——ガンロを見た。

トワがつけた名前……巌路。

巌のように動かず、何千年も道を守り続けた旅人の名前。

これでようやく、記憶が戻った。

一緒に歩いた草原。分岐点のベンチ。「また会おう」と刻んだ文字。裸足の足跡。セレスが生まれた時の泣き笑い。うるさいやつ。うるさいのは嫌いじゃない。

「——ガンロ」

ボウケンが、ガンロの名前を初めて呼んだ。

ガンロが声を出して泣いた。何千年と生きてきて、初めて名前を呼ばれた。

「グラン。いや、ボウケン……本当に、思い出したのか」

「これまでは、全部忘れていた。でも——今、思い出した。お前の足跡を、裸足の足跡を」

「ああ……待っていたさ、ずっと」

「知ってる。——今は、知ってる」

ボウケンがガンロの手を取った。

「——待たせたな」

【「原初の観測者」が退却しました】

【世界の根の安定性が回復しています】

【一人目の旅人「望見」の帰還が確認されました】

【二人目の旅人「巌路」の存在が固定されました】

プレイヤーたちの歓声が上がった。

花の台地から、地上から、BCO全域から。

セレスがトワの肩に戻ってきた。メブキがセレスの頭に乗った。

「トワ。おわった?」

「ああ。終わった」

「ふたりとも、なまえもらえた?」

「もらえた。巌路と望見」

「がんろと、ぼーけん。……いいなまえ」

「ああ、いい名前だ」

花の台地に、虹色の光が戻り始めていた。

天蓋のひびが、自然に修復されていく。

二人の旅人が、花畑の中で手を繋いでいる。

何千年ぶりの再会。何千年ぶりの名前。

いまようやく、二人の約束が果たされた。