軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

《名前で呼べ》

世界が揺れている。

観測点の球形の空間が軋んでいる。壁面の根にひびが入っている。天井から金色の破片がぱらぱら落ちてくる。

グランの身体は腰まで透けていた。力が流れ続けている。止まらない。

タマキがグランに駆け寄った。薬瓶を取り出した。

「グランさん、これを! 消えるのを遅らせる薬です!」

「薬で止まるものではないよ。わたしの意志で流しているからな」

「だったら、意志を止めてください!」

「止められない。止めたら、あの人が帰る道がなくなる」

タマキがグランの透けた腕に薬を塗った。根脈原液をベースにした即席の姿固定薬。消滅が少しだけ、遅くなった。止まってはいない。遅くなっただけ。

「トワさん! 遅らせるのが限界です、薬では止められません!」

世界の根が激しく揺れた。花の台地まで振動が伝わっている。

――花の台地。

プレイヤーたちがパニックになりかけていた。地面が揺れている。天蓋の虹色の膜にひびが入っている。光の雨が乱れている。

ゼクスが根影から飛び出した。

「全員落ち着け。パニックになるな」

「あなたは、PvPランク1位のゼクスさん……いったい、何が起きてるんですか!」

「『世界の根』で異常が発生してる。詳細はハルから流れるだろう、今は指示を待て」

ハルが手帳を握りしめていた。

情報を伝えるため、実況スレに書き込んでいる。

——「速報:観測点にて異常事態発生」

——「グランさんが自分の力を『世界の根』に注いでいます。一人目の旅人を帰還させるために」

——「でも、そのせいでグランさんの身体が消えかけています」

——「グランさんの力が大きすぎて、『世界の根』が耐えられない状態です」

——「トワさんが対処中。全プレイヤーの力が必要になる可能性があります!」

直ぐにプレイヤーたちがフォーラムで反応した。

——「グランが消える!?」

——「『世界の根』が揺れてるな。地上でも地震が起きてるぞ」

——「俺たちは何をすればいい?」

——「とにかく、ハルの続報を待とうぜ」

アストレアが祈りを展開した。第三位階の守る祈り。花の台地全体を結界で覆った。天蓋のひびから落ちてくる破片をプレイヤーたちから守っている。

「アストレアさん! 結界で天蓋を支えてください!」ハルが叫んだ。

「やってます……! でも、範囲が広い……!」

レクトが腰の糸を確認した。トワに繋がっている根糸。まだ張っている。切れていない。

「トワさんは無事だ。糸が繋がってる」

ダリオも虚空に呼びかけた。

「マリドゥス、吠えろ! 今すぐだ!」

海の向こうから、咆哮が来た。マリドゥスの声が根の通路を通って、世界の根まで響いた。同時に地上で万獣が反応した。万獣の咆哮が重なった。二頭の声が世界を貫いた。

振動が少しだけ安定した。咆哮の振動が、世界の根の不規則な揺れを打ち消している。

「咆哮で振動が安定した! でも長くは持たない!」

一人目の旅人がいる『観測点』。

万獣とマリドゥスの咆哮が聞こえた。空間が少し安定した。

でもグランは止まらない。力が流れ続けている。胸まで透けた、あとはもう顔だけが残っている。

「グラン。やめてくれ」

「やめない。あの人が帰るには、わたしの力がいる」

「お前が消えたら意味がない。あの人が帰っても、お前がいなかったら……」

「いなくてもいい。あの人が、帰ってくれれば」

「よくない。お前の忠告だっただろう。一人で行くな、と。お前こそ、一人で背負うな」

グランが透けた顔で微笑んだ。

「お前に言われるとは思わなかった」

「ああ、今度は俺が言う番だ」

ヒトミの声が根脈を通じて届いた。脈動の広場からだ。

『トワ。グランの力が根脈を通じて世界中に流れている。このままでは根が耐えられない。グランの力を分散させる必要がある』

「分散?」

『根脈に流れているグランの力を、世界中の名前のある存在が受け止めれば、根への負荷が分散される。名前がある存在は世界に固定されている。固定されている存在がアンカーになれば、グランの力が根を壊さずに世界全体に行き渡る』

「名前のある存在がアンカーに……命名した存在が全部か」

『全部だ。お前とタマキが名前をつけた全ての存在。渡空魚も、万獣も、守苔も、陽華も。根守も、番人も、メブキも。全て。それだけじゃない。BCO中の命名された存在が全て、アンカーになれる』

「どうやって発動する」

『名前で呼べ。名前のある存在を、名前で呼べ。呼ばれた存在は根脈と共鳴して、グランの力を受け止める。一つでも多くの名前が呼ばれれば、それだけ負荷が分散される』

名前で呼ぶ。命名した存在を。

「ハル! 聞こえてるか!」

「はい……聞こえています!」

「全プレイヤーに伝えてくれ。命名経験のある全プレイヤーは、自分が名前をつけた存在の名前を声に出して呼んでくれ。BCO中の名前のある存在が根脈を支える。名前の数が多いほど、世界が安定する」

「了解です! フォーラムに書きます!」

ハルが実況スレに書き込んだ。

——「【緊急要請】命名経験のある全プレイヤーへ」

——「自分が名前をつけた存在の名前を声に出して呼んでください」

——「ペット、武器、スキル、何でもいい。BCOで名前をつけたことがある人は全員」

——「名前の力で根脈を支えます。世界を支えます」

——「トワさんからの要請です。お願いします」

フォーラムが動いた。

——「名前を呼ぶだけでいいのか」

——「呼ぶ。自分がつけた名前を」

——「俺のペットの名前でいいのか」

——「何でもいい。名前のあるもの全部だ」

BCO全体に広がっていく。ハルの実況スレから。フォーラムから。配信から。

プレイヤーたちが、名前を呼び始めた。

花の台地。

レクトが自分の釣り竿につけた名前を呼んだ。

「 翠風(すいふう) !」

レクトの釣り竿が光った。根脈と共鳴している。レクトの足元から、金色の光が根に流れ込んでいく。

プレイヤーたちが続いた。自分のペット、武器、道具、全てに名前がある。BCOでは装備にプレイヤーが名前をつけられる。

「俺の剣、 覇天(はてん) !」

「わたしの弓、 月弦(げつげん) !」

「盾の名前、 鉄壁(てっぺき) !」

「うちのギルドの本拠地、 碧楼(へきろう) !」

名前が呼ばれるたびに、根脈に光が走る。一人一人の光は小さい。でも、百人が呼べば百の光になる。千人が呼べば千の光になる。

原初の世界の地上。

集落でマルが叫んだ。

「みんな! 名前を呼んで! 自分の名前を!」

NPCたちが自分の名前を呼んだ。

「マル!」

「ナギ!」

大きい木も名前で呼ばれて揺れた。

万獣が二度目の咆哮を上げた。自分の名前を知っている。トワがつけた名前、その名前が根脈を支えている。

渡空魚が十八匹、全員で金色に発光した。名前の力が最大出力で根脈に流れている。

七色の庭。

七体の番人が、自分の名前を発した。脈紫が最初に。他の六体はまだ名前がないが、脈紫の声に呼応して力を放った。

根守のヒトミが四つの目を閉じて、自分の名前を呟いた。カガリも、赤い目を閉じて。

メブキがセレスの手の中でくるくる回りながら、双葉を全開にした。根脈に力を注いでいる。

セレスが角を光らせて叫んだ。

「 渡空魚(とくうぎょ) ! 写空花(しゃくうか) ! 守苔(まもりごけ) ! 星の根(ほしのね) ! 陽華(ようか) !」

トワが名前をつけた全ての存在の名を、セレスが代わりに呼んでいる。一つずつ。

「 原初獣(げんしょじゅう) ! 虹翅蝶(にじしちょう) ! 瑠璃灯虫(るりとうちゅう) ! 万獣(ばんじゅう) !」

名前が呼ばれるたびに、根脈に光が走る。世界中から光が集まってくる。根の天蓋が明るくなる。七本の柱の揺れが少しずつ収まっていく。

「 精泉水(せいせんすい) ! 硝子蛙(がらすがえる) ! メブキ! 脈紫(みゃくし) !」

名前の力が根脈を支えている。グランの力が世界全体に分散されていく。根への負荷が減っていく。

観測点。

グランの消滅が遅くなった。止まってはいないが、速度が落ちた。世界中の名前の力がグランの力を抑えている。

「効いてる……名前の力で、根脈が安定してきた」

でも、グランはまだ半透明のままだ。

名前の力で根脈は支えられた。でもグランの消滅は止まっていない。力を流し続けているから。

分散だけでは足りない。グランの存在そのものを固定しなければならない。

名前で。

グランには本名がない。「グラン」はプレイヤーたちがつけた愛称で、一人目も彼を名前で呼んでいなかった。名前がない存在は、いずれ消える。名前があれば存在が固定される。原初の世界のルールだ。

トワはグランの前に立った。

「グラン。お前に名前をつける」

「……なに?」

「お前には本名がない。名前があれば、消えないはずだ」

「なるほど……トワはわたしを救おうとしているのだな。だが……それは、ダメだ」

「なぜ、ダメなんだ」

「名前をつけたら、わたしの存在が固定される。固定されたら、力の流出が止まる。力が止まったら——あの人が帰る道がなくなる」

名前をつけたらグランは消えない。でもグランの力が止まる。グランの力が止まったら、一人目が帰れない。

グランを救うか、一人目を帰すか。どちらか一つしかできない。

「……両方やる方法がある」

「ない。わたしが消えなければ——」

「ある。お前の力じゃなくて、あの人自身が帰りたいと思えばいい。あの人が自分の意志で見るのをやめれば、お前の力は必要ない」

「あの人が自分で……? 帰りたくないと言っているのに?」

「帰りたくないんじゃない。帰る理由を忘れてるだけだ。思い出させる……俺の見聞録で」

一万時間分のデータ。トワが見てきた全ての景色。一人で見る必要がなかったことを、あの人に教える。

「……できるのか」

「わからない。でもやる。お前が消えるのを見るよりは、やってみる方がいい」

「やってみる、か。……お前はいつもそうだな」

「歩いてきただけだからな」

「その台詞も何度目だ」

「何度でも言うさ。本当のことだからな」

グランの消滅が進んでいる。顔だけになりかけている。タマキの薬で遅延させているが、限界が近い。

時間がない。

トワは一人目の巨大な目に向き直った。