軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

数千時間の足跡

鏡の湖。

最後の封印を解きに来た。

湖畔にはプレイヤーが集まっていた。フォーラムで「トワとグランが封印を解いて回っている」という情報が広まっていて、「次は鏡の湖らしい」と嗅ぎつけた者たちが待ち構えていた。四十人以上いる。

もはや見物客がつくのが当たり前になっている。

「トワさーん! 今日も封印ですか!」

「ああ」

「今回はどうやるんですか! 穴の周りを歩くの、また見れますか!」

「今日は湖の底だ。悪いが、見えないぞ」

「えーーー!」

タマキが水中呼吸薬の『原初の息吹』を取り出した。

「セレス。水の中は濡れるが、お前はどうする?」

「びしょびしょ、きらい。でも、いかなきゃ」

「ありがとう、来てくれると助かる。――ルーナも来てくれるか?」

「大丈夫。水の中は、影がいっぱいある。わたしの得意領域」

トワは頷き、グランに視線を変えた。

「グランは、潜れるのか」

「もちろん、潜れるとも。昔は、湖の中も歩いていたものだ」

「なに……裸足で、水の中を?」

「裸足で。水の中も、草の上も、岩の上も。全部、裸足だ」

「やけに足の裏が強いな」

「何千年も歩いていれば、強くなる」

「俺も数千時間歩いてきたが……靴を手放したことはないな」

「はっはっ、試しに靴を脱いでみるか?」

「遠慮する。それはグランの特権でいい」

セレスは湖の水面をぱちゃぱちゃしていた。

「このみず、きもちいい。てがひかる」

セレスの手が水に触れると、水面が淡く光った。精霊が触れると反応する水。

渡空魚が集まってきた。十二匹——いや、もっといる。

数えると……十八匹。いつの間にか、また増えていた。

「十八匹って……もう群れですね」タマキが数えながら言った。

「群れだな。それと、もう数えるのやめたんじゃなかったのか」

「つい数えちゃうんですよ、薬師なので。定量分析は習慣です」

渡空魚たちが湖面をくるくる泳いでいる。いつものお魚ダンスだが、今日は円の形が違う。

きれいな一重の輪を描いている。ぱたぱた。

「お魚さん、動きが揃ってきてますよね。前より」

「マルが言っていたな。たくさん集まると変わると」

『原初の息吹』を飲んだ。グランにも渡した。グランが一口飲んで、目を見開いた。

「おお、これはうまい……喉越しが爽やかだ!」

「タマキが作った薬だからな、味にもこだわっているらしいぞ」

「薬がうまいのは初めてだ。ナギの薬は全部苦かったぞ」

「ナギさんの薬は効能重視ですからね」タマキが苦笑いした。「わたしのは飲みやすさも考えてます」

「ははっ、本当にいい薬師だな!」

「ありがとうございます」

お互いに笑みを浮かべてから、潜った。

水の中の空。

鏡の湖の水中は、前に来た時と同じだった。上も下も空。

雲が漂っている――水中なのに空を飛んでいる感覚。

だが、今回はグランがいる。

グランが裸足で水中を歩くと——水が反応した。

草の波紋の水中版……グランの一歩に合わせて、水の波紋が広がっていく。

「きれい……」タマキが見とれていた。

「地上より水中の方がわかりやすいな。あんたの力」

「水は正直だからな。地上の草より、素直に反応する」

湖底に向かって降りていった。

水中を歩いて降りるが……深い。

鏡の湖の底は深い、百メートル以上もある。

セレスが水中を泳いでいた。渡空魚が十八匹、セレスの周りを護衛するように泳いでいる。

もっとぱたぱた。

「セレスちゃん、お魚にまもられてるね」

「セレスはおひめさま。おさかなはきし」

「お姫様と騎士か。ん、待てよ……お魚の騎士……?」

「おさかなきし。つよい」

「そうか、強いのか」

「たぶん」

たぶん、で済ませるあたりがセレスらしい。

湖底が見えてきた。白い砂の底。そして——封印の紋様が、湖底一面に広がっていた。穴の内壁の紋様と同じだが、規模が全然違う。湖底全体が光の紋様で覆われている。

「でかい……湖底全部が、封印か」

「最後の封印だけ、規模が違うな」

「最後だからだ」グランが湖底を見つめていた。「この封印は——あの人が作った。深淵に降りる前に、帰ってくるまで世界が壊れないように」

一人目の旅人が作った封印。世界を壊さないように、帰ってくるつもりで。

「三人分の足跡がいるんだったな。俺とグランと、一人目の」

「わたしとお前は歩ける……だが、一人目の足跡は——」

「見聞録で再現する」

トワは見聞録を起動した。

足跡を再現する……『一人目の旅人の力の断片』。

見聞録自体を、一人目の旅人の『仮の足跡』として出力する。

やったことがない、できるかどうかわからない。

それでも見聞録のセンサー五種を全開にし、データベースを出力した……数千時間分。

多い。多すぎる。数千時間分の観察データが、一斉に流れ込んでくる。

トワは、目を閉じた。

足の裏に集中した。星巡りの靴を通して、地面——湖底に、見聞録のデータを流す。

一歩、踏み出した。

湖底が光った。

トワの足跡が、いつもの銀色ではなかった。

金色……白金色でもない、純粋な金色。一人目の旅人の色だ。

そして——湖の水が、スクリーンになった。

数千時間分の映像が、湖の水に投影された。

トワが見てきた全ての景色。始まりの町の朝日。銀月の草原の夜。終夜の回廊の闇。霧の底の迷宮。星砂の廃都。エルシオンの大地。深淵の記憶の雨。原初の世界の銀色の草原。

水中の空に映像が浮かんでいる。映像が流れている。数千時間分の旅が、早回しで。

湖底だけではない。湖の水全体に投影されている。つまり——湖面からも見える。

水面の上にいた四十人のプレイヤーが、湖面に映る映像を見ていた。

「なんだ、これ……!」

「やばいだろ、湖に映像がさ……!」

「BCOの景色だ……始まりの町……銀月の草原……それに、深淵も」

「トワさんの見聞録の映像か!? いったい、何千時間分の——!?」

映像は止まらない。トワが歩いた全てが流れていく。

一人で歩いた二年間。セレスと出会った夜。タマキが薬を渡してくれた日。ゼクスが影から現れた瞬間。ハルが手帳を見せてくれた午後。アストレアが聖剣を掲げた朝。ダリオが海で叫んだ夕暮れ。深淵でアルヴァを救った五秒間。原初の世界の光の草原を初めて見た瞬間。

全部が水に映っている。全部が見えている。

「トワさんの旅の全部が……映し出されてる……」

「何千時間の……全部……」

「これ……見聞録の中に入ってたデータか……? こんなに……こんなにたくさん……」

映像が流れ続ける中、トワは歩いた。湖底を一歩ずつ、金色の足跡を刻みながら。

グランが隣を歩いた。草の波紋——水の波紋を広げながら。

二人の足跡が重なる。銀と金と波紋。三人分の足跡が、湖底に刻まれていく。

封印の紋様が消えていく。一歩ごとに光が消えて、湖底の白い砂が見えてくる。

セレスが水中で目を閉じていた。角が光っている、今までで一番強く。

「トワ」

「どうした」

「ぜんぶ、おもいだした」

【精霊の記憶覚醒:6/7 → 7/7——完全覚醒】

「全部……?」

「うん、ぜんぶ。セレスがうまれてから、いままで、ぜんぶおもいだした。いずみのみず、グランのかお、ひとりめのたびびとのこえ、よるこだったころのルーナ……せかいがわかれたひ。ぜんぶ」

セレスの目から、涙みたいに光の粒がこぼれた。

水中だから涙なのか水なのかわからない。でも、セレスは泣いていた。

「セレス……泣いてるのか」

「ないてない」

「嘘つくな」

「……ないてる。でもかなしくない。うれしくてないてる。ぜんぶおもいだせて、うれしい」

ルーナが影の中から手を伸ばした。セレスの手を握った。

「わたしも、全部思い出した。セレスと一緒に……全部」

【全精霊の記憶が完全覚醒しました】

【原初の世界の全ての記憶が解放されます】

湖底の封印紋様が——最後の一つまで消えた。

【穴の封印が全て解除されました!】

【穴の封印:3/4 → 4/4 解除——完了】

【原初の世界 探索進捗】

【エリア踏破率:6/7】

【精霊の記憶覚醒:7/7——完了】

【穴の封印:4/4——完了】

【メインクエスト「一人目の旅人の帰還」——世界の根へのアクセスが可能になりました】

湖底が白い砂だけになった。封印が全て消えた。世界の根への道が開いた。

水面から歓声が聞こえた。四十人のプレイヤーが叫んでいる。

システムメッセージは全員に見えたらしい。

トワは湖底に立って、上を見た。水面が遠い。水の中の空に、まだ映像の残り香が漂っている。数千時間の旅の景色が、ゆっくり消えていく。

「トワさん」タマキが隣にいた。「見聞録の映像、みんなに見えてましたよ。水面から」

「……見えてたのか」

「はい。トワさんの旅が、全部、湖に映って」

「けっこう恥ずかしいな、それは」

「恥ずかしがることないですよ。すごい旅だったじゃないですか」

「すごいかどうかは知らない。俺はただ、歩いてただけだ」

「その『歩いてただけ』が、これだけのデータになって、一人目の旅人の足跡を再現して、最後の封印を解いたんですよ。歩いてただけの旅が、世界を動かしたんです」

「……大げさだな」

「大げさじゃないです」

「おーげさじゃない」

「……分かった。素直に受け止めておく」

四人揃って、水面に浮上した。

四十人のプレイヤーが湖畔で待っていた。陸に上がった瞬間、拍手が起きた。

「トワさーーーん!!」

「封印全解除、おめでとうございます!!」

「湖の映像すごかったですよ!! あなたの旅が全部見えました!!」

「感動しました! 自分も、あんな風に旅がしたいって……本気でそう思いました!」

「やっぱり、トワさんの旅が世界を救うんだな……!」

トワは水から上がって、湖畔に立った。

びしょ濡れだが、セレスもびしょ濡れ。

渡空魚が十八匹、水面からぱたぱた飛び出してきた。

セレスがトワの肩に戻った。濡れた角がきらきら光っている。

「トワ」

「何だ」

「せかいのね、いける?」

「いける。封印が全部解けた」

「じゃあ——いこう。ひとりめを、つれてかえろう」

「ああ。——行こう」