作品タイトル不明
分かれ道
精霊の泉を出て、山を登り続けた。
羅針盤が指す方向に、ひたすら。岩場を越えて、斜面を登って。渡空魚たちは空中だから楽そうだが、トワとタマキは自分の足で登るしかない。
「トワさん、結構な傾斜ですね」
「数千時間歩いてると、このくらいは平気だ」
「わたしは数千時間歩いてないので……ちょっと、休憩していいですか」
「ああ、急ぐ必要はない。ゆっくり行こう」
岩に腰を下ろした。タマキが水筒を開けた。
ここからの眺めは良かった。金色の草原が下に広がっている。結晶の森が虹色に光っている。集落の「大きい木」がぽつんと見える。
「きれいですね……こうして、上から見ると」
「ああ」
「トワさん、こういう景色見る時いつも『ああ』しか言わないですよね」
「ほかに、何を言えばいいか分からないんだ」
「感想です! きれいとか、すごいとか!」
「俺の『ああ』は、きれいだと思って意味だぞ」
「言葉にしてくださいよ、たまには」
「……きれいだ」
「ふふっ……言えるじゃないですか」
セレスが肩の上から下を見ていた。
「セレスのうまれたいずみ、あのやまのなか」
「そうだな」
「いずみをみつけてくれて、ありがとう」
「俺じゃない、羅針盤が指しただけだぞ」
「らしんばんは、トワがもってたからさしたんだよ」
「……確かに、そうかもな」
五分休んで、また登り始めた。
◇
山の中腹を越えたあたりで、声が聞こえた。
「おーい! 誰かいるかー!」
上の方から。岩場の向こうに、プレイヤーが三人いた。
装備はバラバラで、ギルドマークもない。野良パーティだ。
「あ、人だ! 助かった……道がわかんなくてさ!」
「マップないし、コンパスも効かないし、登ったはいいけど降りられなくなって!」
「もう二時間も、ここにいます。本当に、どうしようかと思ってて……」
野良パーティーは遭難していたようだ。
「降りるなら南に行け。岩の色が赤っぽいところを辿ると、集落に出る」
「南って、どっちですか?」
「そっちだ」
「……トワさん、よくわかりますね。コンパスないのに」
「風向きと、草の生え方で判断してる。南風が吹いてるから、草が北に倒れてる」
「草の向きで、方角を……!?」
三人が顔を見合わせた。
「あの……『トワさん』って呼ばれてましたけど……あなたって、もしかしてあのトワさんですか。足跡が光ってるって噂の……」
「ああ、俺のことだな」
「やっぱり……フォーラムの足跡マップの人! ありがとうございます、あのマップなかったら俺ら草原でも迷ってました!」
「足跡を歩いてるだけだ。マップにしたのは、別の誰かだろう」
「そうですけど……あ、上に何かありますか? トワさんが登ってるってことは」
「まだわからない。羅針盤が指してるから登ってるだけだ」
「羅針盤?」
「旅人のアイテムだ」
「旅人の……へぇー。俺たちも登りたいんですけど、ついていっていいですか」
「道がわからないのに、登り続けるのか?」
「トワさんの足跡があれば迷いません!」
「まあ……好きにしろ」
また行列が増えた。トワ、タマキ、精霊二体、虫一匹、渡空魚九匹、野良プレイヤー三人。
「トワさんの後ろ、賑やかですね」タマキが振り返った。
「最近、いつの間にか増えてる気がするな……」
「人徳ですよ」
「人徳じゃない。足跡が光ってるだけだ」
「変わった人徳ですね」
「そういうことにしておくか……」
◇
さらに三十分登ると、地形が変わった。
岩場が途切れて、平らな場所に出た。山の頂上ではない。中腹にある広い台地。
台地の中央に、道があった。
始まりの道と同じ、石を並べて作られた道。ここまで繋がっていた。
そして……道が分かれていた。
二股になっている。左と右。左の道は明るい方に伸びている。虹色の空がよく見える方向。右の道は、暗い方に伸びている。山の裏側だ。陰になっていて、光が届きにくい。
分岐点の真ん中に、大きな木があった。集落の「大きい木」ほどではないが、立派な木だ。木の下にベンチがある。石でできた、簡素なベンチ。
二人分の座る場所がある。
「始まりの道の……分岐点?」
「二人の旅人が、ここで別れたのか」
羅針盤の針が、ここでぴたりと止まった。指す方向がない。ここが、羅針盤が導きたかった場所。
「羅針盤が止まった。……ここが、目的地だったんだな」
ベンチに近づいた。
座面がすり減っている。泉のそばの石と同じだ。何度も、何度も座った痕跡。
ベンチの背もたれに、文字が刻まれていた。古代語――見聞録で翻訳した。
「なんて書いてありますか?」タマキが覗き込んだ。
「……『また会おう』」
「また会おう……」
「二人の旅人がここで別れた時の言葉だろう。一人は左の道に行った。もう一人は右の道に行った」
セレスの角が震えるように光った。
「トワ、トワ」
「なにか見つけたか?」
「ううん……ここ、かなしいばしょ」
「悲しい場所……わかるのか」
「からだが……かなしいって、いってる。ここで、だれかが、ないてた」
セレスの記憶。精霊の身体に残った世界の記憶。ここで誰かが泣いた。別れの場所で。
ルーナが影の中から声を出した。
「わたしにもわかる。ここの影が……重い。地上の影でも深淵の影でもない。悲しみの影。誰かが長い間、ここに座って……泣いていた影」
「泣いていた影……」
「一人で、ずっと一人で……もう一人が行ってしまった後、ここに座って……待っていた」
もう一人の旅人は、考える方ではなく「感じる」旅人だ。世界に触れることが好きだった旅人。一緒に歩いていた相手が行ってしまった後、ここで待ち続けた。
それがいつか、始まりの町に移ったのだろうか。待つ場所を、ここから始まりの町に変えたのだろうか。
後ろで、野良プレイヤーの三人が黙っていた。
「……なんか、すごい場所に来ちゃいましたね」
「BCOの世界の始まりの話、ですよね、これ」
「フォーラムで出てた、二人の旅人の……」
タマキがベンチに手を触れた。
「冷たい。石なのに……冷たいですね。泉のそばの石は温かかったのに」
「泉はセレスが生まれた場所だ。温かい記憶がある。ここは……別れの場所だから」
「場所に感情が残るんですね。この世界では」
「原初の世界だからだろう。名前がつく前の世界だから、感情がそのまま地面に染みついてる」
トワはベンチに座った。
右側に座った。左側は空けたまま。
「トワさん?」
「少し座ろう」
セレスがトワの膝に降りた。
左の道は明るい。右の道は暗い。
一人は光の方に行った。もう一人は闇の方に行った。
それが、世界を分けたのかもしれない。
「トワ、トワ」
「なんだ?」
「トワは、どっちいく?」
「……どっちにも行かない。両方見てから決める」
「りょうほうみてから」
「ああ。片方だけ見て決めるのは、よくない。両方歩いて、両方知ってから……どうするか考える」
「トワらしい、こたえ」
「そうか?」
「そう。トワは、ぜんぶあるいてから、きめるひと」
タマキがふふっと笑った。
「全部歩いてから決める。七千時間以上、歩いた人の言葉ですね」
「大げさだな」
「大げさじゃないですよ。……でも、今日はここまでにしましょう。いい場所を見つけたんだから、急がなくていいですよね」
「ああ。……そうだな」
立ち上がった。ベンチの右側に、座った跡が残っていた。トワの座った跡。
いつか消えるのか。それとも、原初の世界だから残り続けるのか。
わからない。でも、足跡は残る。歩いた道は光る。
山を降りた。野良プレイヤーの三人は分岐点でスクリーンショットを撮ってから、トワの足跡を辿って帰っていった。
「トワさん! ありがとうございました! フォーラムに上げていいですか、この場所!」
「ダメと行っても上げるだろう」
「あっ……バレちゃいましたか?」
「だからまあ、好きにしろ」
「わっ……やった!」
タマキと二人で、金色の草原に戻った。渡空魚がぱたぱた泳いでいる。セレスが肩の上で小さく歌っていた。歌詞のない歌。メロディだけの、精霊の鼻歌。
「セレスちゃんが歌うの、珍しいですね」
「ん。なんか、うたいたくなった」
「泉のことを、思い出したから?」
「わかんない。でも……うまれたばしょを、みつけたから、すこし、うれしい」
「そっか」
そしてワープで、始まりの町に帰った。
グランの扉の前を通りかかった時、トワは足を止めた。
扉は閉まっている。グランはいつも中にいる。始まりの町で、ずっと。
あのベンチに座っていた人と、グランは同じ人なのだろうか。
まだわからない。でも、羅針盤がトワをあの場所に導いた。グランがくれた羅針盤が。
「トワさん? どうしました?」
「いや……何でもない。帰ろう」
「はい!」
ログアウトした。