作品タイトル不明
名付けて歩く
集落は、昨日より賑やかだった。
命名を達成したプレイヤーが続々と入ってきていた。レクトの〈白霧の進軍〉だけじゃない。フォーラムで「命名すれば入れる」と広まったらしく、原初の世界に来ていた他のプレイヤーたちも挑戦して、次々と壁を超えてきていた。
ただ——賑やかなわりに、誰もNPCとまともに話せていなかった。
「どこから来たの?」
「遠いところから」
「名前は?」
「ないよ」
「何をしてるの?」
「ここにいるよ」
それ以上が出てこない。
友好度は上がっている。アイテムももらえる。でも会話が噛み合わない。
レクトがこちらに気づいて手を上げた。
「トワさん! ちょうどよかった。NPCと全然話せなくて……何か条件がありますか?」
「俺も昨日来たばかりだ」
「そうですか……」
集落の中を歩いた。昨日より建物の中に入れるようになっていた。
奥の集会所……壁画の部屋。
壁画を見ていると、NPCが一人来た。昨日も会った。集会所の番をしている人。
背が低い。丸い輪郭。ぼんやりした顔。名前がない。
「また来た」
「また来た」とNPCも言った。
「昨日から気になってたんだが」
「なに?」
「名前、ないのか」
「ない。ずっとない」
「だったら、つけていいか」
NPCが首を傾げた。
「つける?」
「ああ、名前をつける」
「どうやって?」
「見た感じで、率直に」
トワはNPCを見た。
背が低い、丸い、動きが穏やかで、集会所の中でずっと壁画を眺めている。
「そうだな……お前は、マルだ」
【マル】
【命名が完了しました!】
【原初の世界の住人「マル」が全プレイヤーに公開されます】
【命名者:トワ】
【性質が確定しました:この集落の記憶を守る存在です。話しかけると集落の歴史を教えてくれます】
マルの輪郭が——はっきりした。
ぼんやりしていた顔に、目と鼻と口が生まれた。
丸い目、低い鼻、小さな口……表情もあった。マルは、驚いたような顔をしていた。
「……マル」
「嫌だったか?」
「……マル」
マルはもう一度言った、自分の名前を確かめるみたいに。
「マル……マル——これが、わたし?」
「ああ、そうだな」
「わたしに、名前がついた」
「俺が、いまつけた」
マルがふふっと笑った。
「マル、どこにいくんだ?」
彼女はトワの言葉も待たずに、集会所の外に飛び出していった。
◇
それを見ていたレクトが固まっていた。
タマキも固まっていた。
「……トワさん。今、『命名』したんですか……NPCに」
「ああ。試しにやってみたら、できた」
「……できるんですか、そんなことが」
「分からないが、やったら出来た」
レクトが口を押さえていた。それから、素早くチャットを打ち始めた。フォーラムに流しているのが分かった。
外が急に騒がしくなった。
マルが集落じゅうを走り回っていた。他のNPCに触れている。触れるたびに——NPCの輪郭がはっきりしていく。マルの名前が、他の個体に伝播している。
「えっ、なんだあれ!」
「NPCの顔が、身体が……ハッキリ見えるぞ!」
「いったい、何が起きてるんだ!?」
プレイヤーたちが騒ぎ始めた。
さっきまで「ない」としか答えなかったNPCが、急に会話を始めていた。「わたしはここで石を並べている」「あの木が好きだ」「昨日、光る虫を見た」。それぞれが、それぞれの話をしている。
レクトがトワの隣に来た。
「……命名一個で、集落全体が変わったな」
「マルが広めた。俺がやったのは、一個だけだぞ」
「でも、たった一個でこうなるんですよ!?」
その変化を確かめに、トワも集落の外に出た。
マルがいた。大きな木の根元で、根に手を当てて、何か話しかけていた。
「マル」
「トワ」
マルが振り返った。名前を呼んだら、すぐ顔を向けた。
「その木にも、名前があるのか?」
「ないよ。ずっとない」
「じゃあ……いま話しかけていやこの木の、お前は何と呼んでたんだ?」
「……大きい木、と思っていた」
「なるほど……言い名前だ。大きい木――それで十分だろう」
トワが木の幹に手を当てた。
【大きい木】
【命名が完了しました!】
【原初の世界の樹木「大きい木」が全プレイヤーに公開されます】
【命名者:トワ】
【性質が確定しました:この集落を千年守り続けた守護樹です。根に触れると集落全体の加護が得られます】
木の幹に、根の先まで光が走った。根が埋まっている地面が、温かい色になった。
風がないのに、葉が揺れた。
マルが目を丸くしていた。
「大きい木……」マルが幹を撫でた。「いい名前だね」
「ああ、言い名前だ。何のひねりもない、そのまんまだが」
「そのまんまがいいの。——ずっと大きい木だったから。大きい木が、名前になった」
集落の外からレクトたちの声が聞こえた。
「おいおい……あの人、木まで命名してるぞ!!」
「何か条件があるのか? 俺たちじゃあ、勝手に名前は付けられないのに……」
「隠された前提条件があるんだろう」
「いつもの如く、トワさんだけはそれを突破してるって感じか」
「いいなあ……俺もNPCに命名したい」
そんなプレイヤーたちの声も構わず、トワは大きい木を見上げた。
虹色の空に向かって伸びている……頂上は見えない。でも今は、葉の一枚一枚が光っている。名前をもらった木が、嬉しそうに光っている。
渡空魚が七匹、木の周りをぱたぱた泳いでいた。
セレスが肩の上で言った。
「ねえねえ、トワ」
「どうした、セレス?」
「このしゅーらく、まだぜんぶみてない」
「まあ、そうだな」
「ひとも、まだまだいっぱいいる」
「いる」
「なまえ、まだいっぱいつけられる」
「ああ……」
「つぎは、どこいく?」
トワは集落を見渡した。
建物が八つ、NPCが二十人前後、大きい木が一本。
まだ入っていない建物がある。まだ話していないNPCがいる。まだ名前のないものがある。
きっとどこかに、壁画の二人の旅人の話の続きがある。
「まだここにいる。——全部見てから行こう」
「うん、いく」
マルが木の根元に座った。嬉しそうに根を撫でている。
タマキが目をキラキラさせながら歩いていた。鞄の渡空魚が一匹、タマキの頭の上でぱたぱたしていた。