作品タイトル不明
ついてくるもの
始まりの道を歩いていると、タマキが足を止めた。
「トワさん……後ろ」
「どうした?」
「なんか……ついてきてます」
振り返った。
銀色の魚が空中を泳いでいた。翼のようなヒレをゆっくり動かして、トワの三メートル後ろを漂っている。渡空魚だ。
「なぜ、攻撃してこないんだ?」
「攻撃どころか——結晶の森を出たあたりからずっとですよ」
「気づかなかった」
「気づかないんですか。三メートル後ろに魚が浮いてるのに」
「ああ……意識してなかったからな」
渡空魚が近づいてきた。一メートル。トワの手の届く距離。
尾ビレも振らない、ただ浮いている。虹色の目でこちらを見ている。
「懐いてる……のでしょうか」
「魚が、人に懐くか?」
「普通は懐きません。でもトワさんが名前をつけた種ですよ。——この世界で、最初に名前をもらった存在なんです」
渡空魚がトワの肩に寄ってきた。セレスの反対側。ひれをぱたぱた動かしている。
セレスが覗き込んだ。
「おさかな。なまえもらったから、うれしいの?」
渡空魚が、ぱたぱた。
「トワ、うれしいって」
「お前に魚の言葉がわかるのか?」
「わかんない。でも——このこは、めがきらきらしてる」
追い払う理由もないので放っておいた。
始まりの道を歩き続けた。昨日触れた碑を通り過ぎて、さらに奥へ。
二つ目の碑が見える前に、渡空魚がある行動を取った。
トワの後ろから前へ、さらに前へ泳いでいく。
道を逸れて、金色の草原の方に。
「トワ……おさかな、いっちゃう」
「……ついていくか?」
「え、でも……道を逸れていいんですか?」
「道は、また見つかる。あの魚が見せたいものがあるなら——見に行こう」
渡空魚を追いかけた。
五分歩いた先で、渡空魚が止まった。
草原の中に、窪みがあった。直径三メートルほどの円形の窪み。
草が生えていない、地面がむき出しになっている。
窪みの中心に——二つの足跡が残っていた。一つは杖の跡つき、一つは素足。
「足跡——二人の旅人の」
「ここで……何かしてたんですかね。立ち止まって」
渡空魚が、窪みの上をくるくる回り始めた。
円を描いて、早くなって、遅くなって、また早くなる。
「いったい、何をしてるんだ……?」
じっと観察してみる。
この円運動は——何かの音に似ているような……。
「タマキ。こいつの動き、ある音に変換できるかもしれない」
「動きを、音に?」
「見聞録の聴覚センサーで、運動パターンを音に変換する。深淵で忘却体の振動を翻訳したのと、同じ原理だ」
早速、変換してみた。渡空魚の円運動が——音になった。
断片的な音で、言語じゃない。
だが、見聞録のデータベースと照合すると、単語が浮かんだ。
「……『ここで』『笑った』」
「え……?」
「この魚が伝えようとしていることだ。——『ここで笑った』。二人の旅人が、ここで笑った」
二つの足跡は、並んでいるのではなく、向かい合っている。
二人が向かい合って立っていた場所。笑っていた場所。
「何が、おかしかったんでしょうか」
「わからない……魚にも、そこまでは伝えられないんだろう」
「でも——二人は笑っていた、ここで。それだけわかれば、十分かもしれませんね」
渡空魚がトワの傍に戻ってきた。
ぱたぱた。
伝え終わった、という感じで。
「ありがとうな、お魚」
渡空魚がぱたぱたした。
「トワさん……まさかいま、お魚さんにお礼を言いました?」
「言ったが、なんだ?」
「お魚さんにお礼を言う旅人、初めて見ました」
「教えてくれたんだから、礼を言うのは当然だろ」
「たっ、確かに……」
また、道に戻った。
◇
始まりの道を歩き続けた。草原から湖のほとりに出た。鏡の湖の岸。
セレスが突然、角を震わせた。
「トワ。ここ——」
「何かあったか?」
「においがする……」
「匂い?」
「くさのにおい。——ふんだときの、あまいにおい。しってる。むかし——ここでかいだ」
セレスが肩から降りて、湖岸の草に顔を近づけた。
くんくん。角がちりちりと光っている。
「しってる。このくさ、ふむと、あまいにおいがする。——むかし、だれかがふんでた。はだしで。あしのゆびのあいだに、くさがはいって、たのしそうにわらってた」
「裸足で草を踏んでいた——素足の旅人か」
「わかんない。でも——セレスのからだがおぼえてる。このにおい、このかんじ」
セレスは精霊だ。原初の世界の断片から生まれた存在。
世界そのものの記憶が——セレスの身体に残っているのだろう。
「セレス。他に、何か覚えているか」
「……おと、みずのおと。だれかが、みずにはいった。ふたり……てをつないで」
「湖に?」
「うん、ここで——ふたりが、みずにはいった。あしあとが、みずのなかにのびてった」
湖底の足跡。二人が一緒に水に入った時のもの。
——セレスは碑に触れていない、碑の情報は見ていない。でも、同じことを言ってる。
世界そのものが覚えている。精霊は、世界の記憶を身体で感じられる。
「セレス、あまり無理はするな。思い出せることだけでいい」
「むりしてない。——からだが、かってにおもいだす。トワがここをあるくと、セレスのからだがおきる。ねてた記憶が、おきる」
「俺が……歩くと?」
「うん。トワがあるくから、セレスのきおくがおきる」
トワが歩くことで——セレスの中の記憶が目覚めていく。
旅人が歩くと、世界が反応する。
「……面白い仕組みだな」
「しくみ?」
「お前の記憶は、俺の足がスイッチになっている。俺が歩くと、お前が思い出す。当然、歩かなければ、思い出さない」
「トワがあるかないと、セレスもおもいださない。——じゃあ、もっとあるいて」
「ああ……もちろん、そのつもりだ」
タマキが後ろで顎に手をやっていた。
「これ、すごい発見ですよね。碑がなくても、トワさんが歩くだけで情報が出てくるんですから」
「でも、本当に俺が歩いてるだけだぞ」
「歩いてるだけで世界が語り始めるのが異常なんです。——普通のプレイヤーが歩いてもセレスちゃんは反応しないでしょうし」
「まあ……セレスは、俺の精霊だからな」
「そうです。トワさんの精霊だから、トワさんの足に反応する。——数千時間歩いた足に」
振り返ると、渡空魚が三匹に増えていた。
いつの間にか、もっとぱたぱた。
「あの……トワさん。また、増えてますよ」
「もうこれは……そういうものだと思うしかないな」
「気にならないんですか?」
「敵対反応がないからな」
「そういう問題じゃないと思いますけど——」
五つ目の魚が合流した頃、道の先に——山のようなものが見えてきた。
金色の草原の向こう、大きな影。
「あれは——」
「山ですかね。——行きますか」
「行きたいが、今日はここまでだ。場所を覚えた、明日来よう」
「深淵の教訓、健在ですね」
「初日に深入りはしない」
「はい。——帰りましょう」
お魚がぱたぱた尾を振り、セレスが嬉しそうに角をぴかぴかさせる。
ルーナも影から手を出して、テンもぴかっと光る。
動物園みたいになってきたな……とは口に出さない。
けれど、他のプレイヤーと遭遇すると、トワの異様な光景は、またフォーラムに書き殴られるのだった。
Lv1の旅人、今度はお魚に懐かれたらしい、というタイトルで。
トワは微妙な顔をしたまま、始まりの町に戻った。