作品タイトル不明
結晶の森
原初の世界、三日目。
草原のあちこちに人がいた。アップデートから三日で、深淵レイドのクリア者たちが続々と入ってきている。
だが、ほとんどのプレイヤーが、草原から先に進めていなかった。
理由は単純。モンスターが倒せないからだ。
◇
〈白霧の進軍〉の一隊が、銀色の草原で渡空魚に囲まれていた。四体。
レクトが大剣を振り回しているが、渡空魚の旋回速度に追いつかない。
「当たんねえ、速すぎるだろ——!」
「Lv92の俺の攻撃が通らないってどういうことだよ!」
「レベル補正が無効なんだって! 素のステータスしか残ってない!」
「スキルもまともに効かない! 名前も弱点も何も分からない!」
四十分殴り続けて、一体も倒せていない。HPがどのくらい残っているのかすらわからない。
「レクトさん、薬がもうないよ!」
「くそ……こうなったら、撤退するしか——」
そこに足音が聞こえた。
レクトが振り返った。
旅人の服――鎧なし、大きな武器なし、肩に小さな精霊、足元が光っている。
「トワ、さん——!?」
渡空魚が一体、トワの方に旋回した。尾ビレが三回振れて、加速――口が開いた。
トワの手が動いた。
【果ての道標】が弓に変わって、矢が放たれた。歩きながら、足を止めずに。
そして、口の中に刺さった。
【弱点クリティカルダメージ:48,200!】
光の粒になって消えた。
「——は?」
二体目が左から来た。弓が槍に変わった。〇コンマ一秒――すれ違いざまに口に突き刺した。
【弱点クリティカルダメージ:51,800!】
消えた。
三体目と四体目が同時に突進してきた。槍が剣に変わった。右の魚を斬った。身体を回転させて左の魚の口に刃を突っ込んだ。
【弱点クリティカルダメージ:45,600!】
【弱点クリティカルダメージ:47,100!】
四体。八秒。
トワは歩き続けた。振り返らなかった。
「…………」
レクトのパーティ全員が、剣を下ろしたまま立ち尽くしていた。
「今の……」
「おい、見たか?」
「四体を……八秒……?」
「弓、槍、剣——武器を三回切り替えた。歩きながら、だぞ」
「全部、口の中に一撃ずつ」
「俺たち四十分かけて、一体も倒せなかったのに」
レクトが走り出した。
「トワさん! 待ってください!」
トワが足を止めて、振り返った。
「弱点——教えてもらえませんか!」
「口の中」
「口の、中……?」
「尾ビレが三回振れたら突進する。三回目から〇コンマ五秒後に加速。口が開くからそこに突っ込め」
「尾ビレ三回——〇コンマ五秒——」レクトがメモを取り始めた。
「上位個体は金色で、尾ビレが五回。〇コンマ三秒。翼ヒレの付け根も柔らかい」
それだけ言って、歩き出した。タマキが小走りでついてくる。
「トワさん。久しぶりに、通りすがり無双しましたね」
「通りすがり無双……? 俺は普通に倒しただけだぞ」
「はいはい、次行きますよ」
「よく分からないが……まあ、いいか」
◇
結晶の森に入った。
足を踏み出した瞬間、木が鳴った。きぃんと、水晶の幹が振動して、鈴のような音を放った。
隣の木に伝わった、今度は鐘のような音。さらに隣に伝わっていく。
「森が……鳴ってる……」
タマキが一歩踏んだ。別の音。体重が違うから振動が違う。
セレスが肩から降りて跳ねた。ちりん、ちりん、ちりん。軽い鈴の音。
「トワ! これ、セレスのあしおと!」
ルーナが影から木の根元に触れた。ぶぉん、という低い地鳴り。
四人分の音が重なる。森全体が楽器になっていた。
木は水晶でできている。幹が透明で、中に光の筋が走っている。葉がプリズムになっていて、空の光が通過すると虹が浮かぶ。
森の奥で——また声が聞こえた。
プレイヤーだ。〈白霧の進軍〉の別働隊、十人ほど。
レクトとは別のパーティで、地面に座り込んでいる。
「おい……迷ったのか?」
「あ……すみません、マップがなくて。コンパスも効かなくて。一時間歩いても、いつの間にか元の場所に戻ってて——」
「自分の足跡を見ろ、円を描いているぞ」
「あっ、本当だ……足跡なんて、残るんですね……ここ……」
「次は、俺の足跡を歩いてこい。光ってるから分かりやすいはずだ」
「え——いいんですか!?」
「構わないと言っている」」
トワは答えずに歩き出した。十人がぞろぞろついてきた。
「あの——すみません、あなたは——」
「トワだ」
「——トワ!?」
「深淵のレイドボスを真っ先に倒したっていう、あの……」
「渡空魚を八秒で……さっきフォーラムに出てた……」
「あの、トワさんに案内してもらっていいんですか!?」
「道案内だ。目的地が同じなら、歩く方向も同じだろう」
結晶の森を抜けた先で、足が止まった。
木の根元に——透明な花が咲いていた。色がない、光を通すと虹色に光る。
「トワさん、あれ……」
「花だろう。ただ、名前がないはずだが……」
見聞録で手動スキャン。五種のセンサーを同時起動。
【名前のない花:——分析率41%】
〈白霧の進軍〉のメンバーが画面を見ていた。
「分析率41%……一回の観察で!?」
「俺、さっき同じ花を三十分観察して、8%だったんですけど……」
トワは花に触れた。柔らかい。温かい。根が地下三メートル、見た目の十倍の大きさだ。
【分析率:67%】
「もう、67%——」
空の色との連動パターンを記録した。
朝は桃色、昼は金色、夕方は紫……花自体に色はない、空を映しているようだ。
【分析率:100%】
【名前のない花の分析率が100%に到達しました!】
【この存在に名前をつけることができます】
「——100%」
十人が絶句していた。
「たった三回の観察で……植物の命名権を」
「俺たちのギルド、まだ一つも命名できてないのに——」
「トワさん! センサー、何種類同時に使ってるんですか!?」
「五種類だ」
「五種類同時——!?」
「普通は、二種が限界ですよ!?」
「慣れの問題だ」
タマキが後ろで小さく言った。
「慣れと言っても、数千時間の慣れですけどね」。
〈白霧の進軍〉のメンバーの何人かが苦笑いで頷いた。
「さて……名前を入力するか」
「何てつけるんですか?」
「空の色を映す花だ。—— 写空花(しゃくうか) 」
【写空花】
【命名が完了しました!】
【原初の世界の植物「写空花」が全プレイヤーに公開されます】
【命名者:トワ】
【性質が確定しました:空の属性を一時的に帯びます】
【朝は回復効果、昼は攻撃強化、夕方は防御強化、夜は隠密効果】
全プレイヤーの画面にシステム通知が走った。渡空魚に続いて、二つ目の命名。
フォーラムに、リアルタイムで書き込みが殺到した。
——「トワが二つ目の命名。写空花だってよ。時間帯で効果が変わる花だ」
——「渡空魚に続いて、またトワか」
——「だって分析率の上がり方がおかしいんだもん。三回で100%だったぞ」
——「センサー五種類同時起動って聞いた。人間の操作量じゃない」
——「原初の世界の命名、全部トワになるんじゃないか」
〈白霧の進軍〉のメンバーが呆然としたまま呟いた。
「トワさん——俺たちが今までずっとできなかったことを、三十分でやりましたね」
「やったのは、観察だけだ」
「その観察の精度が桁違いなんですよ……」
「セレスのおてがらでもある」
「セレスちゃんの、ですか?」
「月光がセンサーの精度を上げる。セレスがいなければ、もっとかかった」
「セレスのこうけん。——ごほうびは?」セレスが肩の上から聞いた。
「帰ったら、エリーの店でパンを買う」
「やきたてがいー」
「いいぞ、焼きたてを頼もう」
「やった」
◇
〈白霧の進軍〉とはそこで別れた。写空花の性質が確定したことで、彼らは朝・夕・夜に花を摘む計画を立て始めていた。
トワとタマキは、始まりの道に入った。
結晶の森を抜けた先。石を並べて作られた一本道。道の入口に石碑。
【「始まりの道」を発見しました】
【この道は原初の世界を歩いた二人の旅人が作った最初の道です】
【道沿いに「記憶の碑」が設置されています。碑に触れると二人の旅人の記憶を追体験できます】
「記憶の碑——」
最初の碑に手を当てた。
映像ではない……体験だ。自分がそこにいる錯覚を、プレイヤーに抱かせる。
◇
草原……銀色。
風が吹いている、世界が生まれたばかりの頃。
一人が歩いている。杖を持って、歩くたびに地面を突いて、音を確かめている。
こつ、こつ……。
全てを見ている、観察している、記録している。
前方から、別の一人。
素足……裸足で草を踏んでいる。指の間に、草が入る感触を楽しんでいる。
二人が、出会った。
「お前は、誰だ?」
「旅人だ。……お前は?」
「俺も旅人だ」
「なら……一緒に歩くか」
「ああ、歩こう。共に」
特別な言葉はない、たったそれだけの会話だった。
◇
碑から手を離した。
とても短い記憶だった。二人が出会って、ただ一緒に歩き始めただけ。
でもセレスは、トワの肩の上で目をこすっていた。
「セレス……?」
「ううん……ないてない」
「聞いてないぞ、泣いてるかどうかは。……泣いていたのか?」
「……ないてる。なんか、なつかしくて」
セレスの角が強く光った。原初の世界に反応しているらしい。
「このばしょ——しってる。セレス、ここにいたきがする」
「ここに……か?」
「おぼえてない。でも——からだがおぼえてる。このくさのかんじ、このかぜのおと」
ルーナが影の中から言った。
「わたしも。——ここが、全ての始まりだった」
精霊は原初の世界の断片から生まれた存在。身体が覚えている。頭ではなく——身体が。
タマキが碑に触れた。同じ体験を見たのだろう、目が赤い。
「タマキも、泣いたのか」
「泣いてません。——薬の調合で目が疲れてるだけです」
「嘘が下手だな」
「トワさんにだけは言われたくないです」
「まあ……そうだな」
始まりの道は続いている。碑がまだある。先を見なければわからないことがある。
「行こう」
歩き始めた。二人の旅人の足跡の上を。光の足跡を重ねながら。
道は結晶の森を抜けて、金色の草原を横切り、遠くに続いている。
どこまで続いているかは——歩いてみないとわからない。
いつものことだ。