作品タイトル不明
名前のない魚
二日目。始まりの街から、原初の世界に直接転送した。
「楽ですね。——昨日の二時間が嘘みたいに」
「あの二時間にも意味はあった。——だが、二度目以降は不要だ」
草原を歩いた。昨日の足跡がそのまま残っている。
光の道、消えない足跡……道が、できている。
「トワさん。フォーラム見ました?」
「見てない」
「今朝から他のプレイヤーも原初の世界に入り始めてるんですけど——大変なことになってます」
「大変なこと?」
「レベル補正が無効なので、Lv90台のプレイヤーのATKがガタ落ちしてて、装備とスキルの素の数値しか残らないから、普段の十分の一の火力も出ないらしいです」
「だろうな」
「それで名前のないモンスターが倒せなくて。見聞録もない人は、弱点もわからなくて」
「だろうな……」
「トワさんの『だろうな』が、ちょっと嬉しそうなんですけど」
「嬉しくはないぞ」
「でもいま、口元が……」
「……少しだけだ」
鏡の湖に到着した。
昨日と同じ、完全に静止した水面。空を映す鏡の湖。
「今日は湖に潜る。——昨日見つけた足跡を追う」
「水中ですよね、息はどうするんですか?」
「そうだな……『深淵の露』の応用で、水中呼吸ができないだろうか」
「え、あっ——! ちょっと、待ってください!」
タマキが鞄を開けた。
昨日汲んだ原初の水と、『深淵の露』。携帯調合セットを広げる。
「深淵の露は浸蝕度対策の薬ですけど——基本構造は『環境適応薬』です。環境に、身体を適応させる。深淵なら浸蝕度に、水中なら——」
混ぜ始めた。
原初の水を溶媒にして、深淵の露の成分を再構成していくこと、三分。
「できました——『原初の息吹』。飲むと、三十分間水中で呼吸できます! 原初の水が溶媒だから、属性干渉がない。どんな水中でも、使えるはずです」
【タマキが新アイテム「原初の息吹」を調合しました!】
【効果:30分間の水中呼吸。原初の世界専用】
「また三分で、新薬を作ったのか」
「素材が良すぎるんです。原初の水が万能溶媒だから——混ぜるだけでほぼ完成する。こんな楽な調合、初めてです」
「薬師の腕が良いんだろう」
「素材ですよ」
「腕だ、タマキの腕が良い」
「……ありがとうございます」
二人で『原初の息吹』を飲んだ。
ついでにセレスも。
「のみたい、じゅーす」
「……言うと思った」
ルーナは……この湖の影に適応できるようで、影の中なら問題ない。
テンはブーツの上から離れないので——トワと一緒に潜る。
「行くぞ」
湖に——飛び込んだ。
◇
水中は——空だった。
上も下も空、水の中に雲が漂っている。
太陽の光が水を通して虹色に光っている。水中でも——広い。
草原と同じくらい広い空間が、水の中にある。
「すごい——」
タマキの声が水中でも聞こえた。原初の息吹の効果だ。
「飛んでるみたいですね。水の中なのに——空を飛んでるみたい」
浮力が——おかしい。水中なのに沈まない。
泳がなくても——立てる。歩ける、水中を歩けている、地上と同じ感覚で。
「地上と同じように歩ける。——ここは水中だが、地上のルールが適用されているらしいな」
「『原初の世界』だからですかね。水と空の区別がまだないのでしょう」
「なるほど……それかもしれない」
水中を歩いた。足元に——雲がある。雲の上を歩いている。ふわふわしている。
セレスが水中を泳いでいた。銀色の髪がゆらゆら揺れている。角が水中で虹色に光っている。
「たのしい。みずのなかの、そら」
「ルーナはどうだ?」
「水の影がきれい。——地上の影より透明。……好き」
水中の景色は、絶景だった。深淵の闇とは対極で、光が溢れてる。
「トワさん、あっちに建物があります」
タマキが指差した方向に、建造物があった。水中に沈んでいるが、壊れていない。新品のように綺麗な白い石の建物だ。円形の屋根で、柱が四本。
「壊れていない。——沈んでいるのに」
「壊れるという概念がまだないんですかね、ここでは」
「かもしれない。近づいてみよう」
建物に近づいた。柱の間を通り抜けると——内部に空間があった。
空気がある。水中の建物の中に空気が閉じ込められている。
壁に文字が刻まれていた。——読める。BCOの古代語。
【「ここは出会いの場所。二人の旅人がここで初めて会った」】
「二人の旅人が、ここで会った」
「初めて会った場所ですね。——出会いの場所」
壁にもう一つ。
【「一人は世界を見る者。もう一人は世界に触れる者。二人は一緒に歩き始めた」】
「見る者と、触れる者——深度15の壁画の二人ですね」
「ああ……壁画の続きが、ここにある」
建物の奥に——足跡があった。二人分……杖の跡と、素足。
ここから外に向かって伸びている。二人が一緒に歩き始めた最初の足跡だ。
「この足跡を辿れば——二人の旅の道がわかる」
「追いかけましょう」
建物を出た。水中に戻る。足跡を辿る。
◇
足跡を辿って水中を歩いていると——何かが横切った。
速い……銀色の閃光、水中を切り裂くように。
「今の——」
「魚……?」
もう一度来た。今度は、正面から。
魚だった。——いや、魚ではない。
全長二メートル、銀色の鱗、翼のようなヒレ、口が大きい、歯が二列。
——目が虹色に光っている。
【名前:なし Lv:なし HP:なし 属性:なし】
「また、全部なしだ」
「どうやって戦うんですか——?」
魚が突進してきた。
速い……水中なのに、矢のような速度だ。
トワが横に跳んだ。水中なのに、地上と同じ速度で動ける。
魚が脇を通過した。
「攻撃してきた——敵対型だ」
「名前もレベルもないモンスターと戦うの——初めてですよね」
「初めてだが、関係ない」
見聞録の手動スキャン。五種のセンサーを全開にする。
「弱点は……口の中だ。恐らくだが、捕食者と同じ構造だろう」
「もう弱点がわかったんですか——!?」
「身体の構造を読んだだけだ」
魚が旋回して戻ってきた。正面から突進してくる。
トワは【果ての道標】を槍に切り替えた。
魚が加速した瞬間、横に跳んで、口が開いたところに槍を突っ込んだ。
【弱点クリティカルダメージ:42,800】
魚は一度大きく跳ねると、そのまま水中に沈んでいった。
……倒したようだ。
「倒したんですか、たった一撃で……」
「口の中の温度が高い部位が弱点だ。捕食者と似た構造というのは、合っていたらしいな」
「名前もレベルも属性もわからないモンスターを、見聞録と見るだけで弱点を見つけて一撃。——これ、他のプレイヤーにもできますか」
「正直なところ、見聞録はおまけだ。そこそこやりこんだプレイヤーなら、見ただけで弱点は分かる」
「えっ……見ただけで、ですか?」
「どのゲームもそうだが、モンスターの構造には規則性がある。そのゲームがこれまでリリースしてきたモンスターの骨格や外殻や弱点には、特有の癖があるからな。新モンスターであっても、『だいたいここに弱点があるだろう』という推測は、十分に可能だ」
「しかも、トワさんは数千時間やってきたから……ってことですか?」
「単に慣れの問題だぞ」
「慣れで済ませないでください。その慣れは、才能と同義です」
ドロップアイテムが光っていた。
【ドロップ:「名前のない鱗」×3】
【素材アイテム。用途不明。名前がつくと性質が確定します】
「名前のない鱗。——名前がつくと、性質が確定する」
「つまり、名前をつけるまで何に使えるかわからない。——面白い素材ですね」
「名前をつけるには、この魚を十分に理解する必要がある。行動パターン、生態、食性——見聞録でデータを蓄積して、理解度を上げる」
「それは、時間がかかりますよね」
「だからこそ、面白い。時間はいくら掛かってもいい……と思うが、実際の所、直ぐに検討はつくだろう。俺には見聞録もある。データを集めて解析すれば、それなりにモンスターの理解度は深まるだろう」
【見聞録解析開始】
【名前のない魚:——分析率32%】
「今の戦いで、おおまかなデータは取れている。一戦闘で32%——あと二、三回戦えば、命名できるかもしれない」
「二、三回で——他のプレイヤーだと、何回くらいかかるんですか」
「見聞録が使えないから、五十回は必要だろうな」
「五十回と三回。——差がえげつないですね……」
「そうか。案外、普通のことだぞ」
二体目が来た。
突進を確認してから、口に槍を突っ込む――一撃。
【名前のない魚:——分析率57%】
三体目。今度は二体同時に来た。
「トワさん、二体同時です——!」
「タマキ、下がれ」
トワが【果ての道標】を弓に切り替えた。一体目に矢を放つ。口ではなくヒレ。翼ヒレの付け根。矢が刺さって——旋回能力が落ちた。直進しかできなくなる。
二体目が横から来た。槍に戻し、口に突き刺す――一撃。
一体目が直進してくる。旋回できないから軌道が単純。正面から——剣に切り替えて、すれ違いざまに斬った。腹の下は、柔らかい。
【弱点クリティカルダメージ:38,400】
「二体同時を、武器三回切り替えて——」
「弓で機動力を削って、槍で一体を仕留めて、剣で残りを斬る。万象の構えの基本だ」
【名前のない魚:——分析率87%】
四体目が来た、今度はさっきまでと少し違う。
体が大きい……三メートル。色も銀ではなく金色、上位個体だ。
「大きいのが来ましたね」
そして、尾ビレの振り方も違う。三回ではなく五回。速度も速い。パターンが変わっている。
だが——見聞録が読む。五回目の振れから〇コンマ三秒後に加速。さっきより〇コンマ二秒速い。
【果ての道標】を——影銀形態に切り替えた。
「影銀形態——深淵で使ったっきりですね」
「光属性に特効だ。この魚の鱗は光っている……光のエネルギーを含んでいる可能性がある」
金色の魚が突進してきた、口が開く。
影銀の刃を——口の中に突き込んだ。
【特効クリティカルダメージ:128,000!】
「十二万——!?」
金色の魚が光の粒となって消えていった
【名前のない魚:——分析率100%】
【名前のない魚の理解度が100%に到達しました!】
【この存在に名前をつけることができます】
【名前を入力してください】
「名前——つけられるんですか」
「理解度100%で命名権が発生するのか。——これは新しい要素だな」
入力欄が出ている。カーソルが点滅している。
「何て、名前つけるんですか?」タマキが覗き込んだ。
「……考えてなかった」
「考えてなかったんですか!?」
「弱点を探すのに、集中していた」
「名前、大事ですよ。この世界で最初に名前がつく生き物ですよ」
「……セレス。何がいい」
「えー? えーと……ぴかぴかさかなさん」
「却下」
「えー!」
「ルーナはどうだ?」
「…… 光鰭(こうき) 。光るヒレだから」
「……悪くないが、もう少し分かりやすく」
「トワさん、この魚……水の中を飛んでましたよね。翼みたいなヒレで、空を飛ぶ魚」
「ああ」
「空を渡る魚——『 渡空魚(とくうぎょ) 』とか、どうでしょうか」
トワが入力した。
【渡空魚】
【命名が完了しました!】
【原初の世界の生物「渡空魚」が全プレイヤーに公開されます】
【命名者:トワ】
【命名者には発見報酬が付与されます】
「命名されました——!」
「タマキの案だがな」
「いえ、トワさんが入力したのでトワさんの功績です!」
「タマキが考えたのにか?」
「薬師は裏方です。——表に出るのは、旅人の仕事ですよ」
◇
水中探索を続けた。
足跡は湖の中を横切って——向こう岸に伸びている。水中から地上に上がる場所がある。
「足跡が湖の外に出ている。……向こう岸だ」
「行きましょう」
足跡を辿って湖を横切った。途中で渡空魚が二体来たが、パターンを覚えているので一撃ずつ処理。
湖の向こう岸に上がった。水から出ると——また草原だった。だがこちら側は、銀色ではない。
金色の草原。
草が金色に光っている。夕焼けの中にいるような温かい色だ。
「色が変わった——銀から、金に」
「きれいですね……」タマキが立ち止まった。
金色の草原の先に——見えた。森。
結晶の森だ。
木が水晶でできている。
透明な幹。プリズムの葉。光が差し込むと、虹が浮かぶ。万華鏡のような森だ。
「あの森——木が光ってますね」
「水晶の木だ、行ってみよう」
「トワさん。今日の探索時間は」
「制限はない。浸蝕度がないからな」
「そうでした。——忘れます。深淵の癖で」
「慣れるさ、ゆっくり行こう」
金色の草原を歩いた。光の足跡を残しながら。二人の旅人の足跡と——三つ目の足跡が並んでいく。
セレスがパンを齧っていた。肩の上で。
「おいしい。——げんしょのせかいでたべるパンは、いつもよりおいしー」
「ただの気のせいじゃないのか」
「きのせいじゃない。てーり」
「はいはい」
「はいはいは、にかいいった。にかいめのはいは、よけい」
「……一回で十分か」
「いっかいでじゅうぶん」
タマキが隣で笑っていた。
「セレスちゃんとトワさんの会話、ずっと聞いていたいです」
「やめろ、聞くな」
「聞きます。薬師は観察が基本ですから」
結晶の森が近づいてきた。虹の光が顔に当たる。温かい光。
名前のない世界の、名前のない森に——足を踏み入れようとしている。
まだ誰も歩いたことのない場所。まだ名前がついていない場所。
旅人が最初に歩いて、名前をつけて、道を作る。
——悪くない仕事だ。