軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

【原初層】

最後の突入の朝。

始まりの町の地下に二百人以上が集まっていた。先発隊。本隊。支援隊。補給隊。四つの部隊が、門の前に並んでいる。

レクトが大剣を背負い直しながら周囲を見回した。

「こんだけの人数が深淵に入るのは——BCO史上初だろうな」

「十五万人レイドに比べれば少ないだろう」ヴェノムが肩をすくめた。

「十五万人は地上の話だろ。深淵で二百人動かすのは、地上の十万人に匹敵するぞ」

「まあ、だからお前を連れてきたんだよ。……噂によるところ、〈白霧の進軍〉は釣りを始めとする、あらゆるコンテンツを網羅しているって聞く。実力だけじゃない、知識が必要な深淵だと、重宝する人材だと思ったんだ」

「任せろ。〈白霧の進軍〉はもう、深度50まで全員が行ける。俺は深度80まで行ったしな」

「深度80……? いつの間に」

「トワさんが門を開けてから毎日潜ってた。——俺だって、成長するさ」

「釣りで負けたからか?」

「ああ、釣りで負けたからな」

トワが門の前に立った。

「各部隊、確認する。——支援隊は沈殿層の安全地帯を維持。補給隊は逆さまの塔と、忘却の海に物資を配送。本隊は、深度200の扉手前で待機。先発隊が原初層に入る。——呼びかけたら来い」

「了解」四部隊の隊長が頷いた。

「一つ言っておく。——おそらくだが、深淵の底に【龍】がいる。千年前の旅人が【龍】になった。HP数百万じゃ効かない規模だろう」

「どのくらいだ……?」

「わからない。——行ってみないと」

「トワらしいよな」ヴェノムが笑った。「行ってみないとわからない……いつもそうだ」

「だから、行こう。自分たちの目で、確かめに」

門が開いた。二百人が深淵に入った。

沈殿層を四十分で通過。支援隊が構築した安全地帯が完全に機能している。道標が全て起動され、通路が照らされ、捕食者の出現位置が地図に記録されている。

深度3のパン屋。二百人がNPCの前を通り過ぎていく。

「いらっしゃい。パンはいかがですか」

セレスが手を振った。

「きょうが、さいごだよ。——つぎきたときは、おわってるからね」

沈降門を越え、混濁層へ。逆さまの塔で本隊が展開。補給物資が積み上がっている。前線基地として完成していた。

「ヴェノム、本隊は深度200まで進出して待機。——呼びかけたら、原初層に来い」

「了解。——待ってるからな」

先発隊が本隊と分かれた。六人と精霊二体と虫一匹。

忘却の海を走った。逆さまの森を通過した。子供たちがいた。セレスがパンを五切れ投げた。

「たくさんたべて。あとで、またくるから」

ぽよん。ぽよん。ぽよん。ぽよん。ぽよん。

砂漠を越え、心門を通過し、記憶の雨の中を歩いた。カレンが記憶の粒に手を伸ばした。一瞬目を閉じて——何も言わなかった。

深度200。原初層への扉。

「浸蝕度を確認する――タマキ」

「トワさん36%。ゼクスさん39%。アストレアさん41%。ハルさん34%。タマキ33%。カレンさん37%」

「前回より低い……装備と拠点のおかげだ。——行けるぞ」

扉の前に立った。開いたままの三十メートルの扉。向こうに——何もない空間。

「行くぞ」

全員で足を踏み入れた。

【原初層】

何もない。地面がない。壁がない。天井がない。セレスの月光だけが世界を照らしている。照らした範囲だけに、世界がある。

「全員、俺の足跡の上を歩け」

星巡りの靴が光の足跡を残す。八人がその上を歩く。原初層では足跡の持続時間が極端に短い。十分で消える。

「立ち止まるな、前に進むぞ!」

歩いた、何もない空間を。

ふと、カレンが杖を握りしめた。

「師匠の気配がする……」

「方角は?」

「前方、真っ直ぐ——もう、近い」

進んだ。

五分、十分、十五分。

振動が足の裏に伝わってきた。

大きい……遠くで何かが動いている。【何か】が、呼吸している。

二十分。

セレスの月光が——何かに届いた。

……鱗、だった。

黒い鱗。一枚の大きさが人間の身長ほどある。表面に文字が刻まれている。読めない文字。世界の柱と同じ文字。

鱗が——動いた。呼吸に合わせて膨らんで、縮んで。生きている壁みたいだった。

月光が、もう少し先を照らした。

脚が見えた。

四本の脚。一本一本が世界の柱と同じくらい太い。爪の一つが人間の背丈より遥かに大きい。黒い鱗に覆われた、途方もなく太い脚が——何もない空間に突き立てられている。

首が見えた。長い。蛇のように曲がりくねって上に伸びている。どこまで伸びているのか——月光の範囲では見えない。

「セレス。月光の範囲を——もっと広げられるか」

「やってみる」

セレスが角の出力を上げた。銀色の光が広がっていく。

十メートル、二十メートル、五十メートル……。

頭が——見えた。

龍の頭。

城がそのまま顔になったような大きさ。口は閉じている。鼻から白い蒸気が漏れている。

目が——光っていた。

金色。見聞録のスキャンの光と同じ色。

知識の光、データの光。

その目が——こちらを見ていた。

全長——百メートル以上。いや、もっとあるかもしれない。月光の範囲では全体が見えない。

「……でかい、な」

ゼクスが呟いた。

「あれが……アルヴァか」

ハルの声が震えていた。手帳を持つ手も小刻みに震えている。

「あれが……師匠、なのか」

カレンの声は震えていなかった。

恐怖よりも、確信が勝っていたのだろう。

そして龍が——口を開いた。

言葉ではない音だが、見聞録が自動翻訳した。

ノイズだらけ、精度28%……それでも、音を聞き取れた。

「——だれだ?」

「俺は、旅人だ」

「たびびと。——わたしも、たびびとだった……ああ、たびびと、だったはずだ」

忘却体と同じ台詞。自分が何だったか、忘れかけている。

「お前は、自分の名前を覚えているか」

「なまえ——」

龍はしばらく考えてから、一言。

「——おぼえて、いない」

「アルヴァだ。お前の名前は、アルヴァだ」

「アルヴァ——」

龍の全長百メートル以上の身体が、ゆっくりと動いた

原初層の空間が振動した。足元がぐらぐらと不安定になる。

「アルヴァ。——どこかで……だれかに、よばれた」

「お前の弟子が呼んでいたぞ」

「でし——」

「カレンが」

龍の目が、大きく見開かれた。金色の光が強くなった。

「カレン……その名は……」

龍が首を持ち上げた。巨体が動く、空間が軋む。

「カレン……カレン! おぼえて……おぼえて、いる——!」

覚えている。名前は忘れても——弟子の名前は覚えている。

その名前だけが、彼の依り代となっていたのだろう。

突如として、龍の動きに異変が見られた。

首を振っている。身体が揺れている。目が激しく光り輝いている。

そして――

【深淵の龍「知識の龍アルヴァ」が覚醒しました】

【龍の記憶が不安定です】

【攻撃的行動と友好的行動が交互に発生します】

「不安定……カレンの名前で、記憶を思い出しつつあるのか……?」

「師匠! 私は、ここにいます! カレンです、あなたの弟子です!」

カレンが叫ぶと、龍の顔がカレンを見た。

金色の目が、一瞬だけ温かくなった。

「カレン——おおきく、なったな」

だが、それは一瞬だけ。

彼の目は直ぐに黒く染まり、そして。

龍が――咆哮した。

原初層全体が震えた。衝撃波がその場にいる全員を吹き飛ばした。

【深淵の咆哮。全員に浸蝕度+5%が強制付与されます】

「やはり、こうなるか……全員、散開しろ——!」

龍が暴れ始めた。

尾が振り回される。爪が空間を裂く。口から黒いモヤが噴き出される。

友好的だった目が黒く染まり——攻撃してくる。

カレンの名前で意識が戻りかけたが、その意識は【龍】の力に引き戻された。

「アルヴァの意識はまだある。——だが、龍に支配されている。意識が戻りかけると、身体が暴れて上書きしようとするんだろう」

「トワさん! あの人は……倒すんですか!?」タマキが叫んだ。

「倒す——だが、殺すんじゃない。龍体を弱らせて、中にいるアルヴァを引き出す!」

【深淵の龍体Alvah HP:12,000,000】

「師匠、あれ……深淵の龍体Alvahの……HPが……っ!」

「千、二百万——だな。パーティだけでは無理だ、全員に呼びかける!」

その時、システムメッセージが流れた。

【「世界の柱」が共鳴しました】

【このフィールドでは、深淵全域への通信が可能です】

【テキストチャットだけでなく、ボイスメッセージの送信も解除されます】

無事チャットが繋がった。いや、チャットだけじゃない。

深淵全域に——直接声が届く。本隊にも。支援隊にも。補給隊にも。

「全員に告ぐ」

龍の咆哮が背後で轟いている。空間が揺れている。浸蝕度が刻一刻と上がっていく。

「アルヴァを見つけた。奴はいま——【龍】になっている。HP……千二百万。俺たちのパーティだけでは倒せない。来られる者は、原初層に来い。——俺の足跡を辿れ、光の道がある!」

数秒後、応答が一斉に返ってきた。

「ヴェノム了解。——本隊、全員突入!」

「レクト了解。支援隊から精鋭二十人、向かうぞ!」

「ダリオ了解! マリドゥスを連れていく!」

「補給隊から志願者三十人、行きます」

足音が聞こえ始めた。原初層の扉の向こうから。

一人。二人。十人。二十人。五十人。

走ってきている、深度200の扉から原初層に。トワの足跡の上を、光の道を辿って。

ヴェノムが最初に到着した。龍を見上げて——息を呑んだ。

「でかいな——」

「ああ」

「本当にあれを……二百人で」

「いいや――二百人と、忘却体たちだ」

「忘却体?」

原初層の闇の中から——ぽよぽよした影が浮かび上がってきた。忘却の海で記憶を返した忘却体たち。森の子供たち。海の大きな忘却体。記憶を受け取って安定した者たちが——集まってきていた。

「こいつら——味方なのか!?」

「記憶を返したことがある。どうやら、今度は力を貸してくれるらしいな」

忘却体の子供たちが、セレスの周りでぽよぽよ跳ねている。

「セレス。みんなきた」

「きた。——みんなきた」

レクトが大剣を構えた。ダリオがマリドゥスを召喚した。海の獣王が原初層の何もない空間を——泳いでいる。水がなくとも、ダリオの航海士のパッシブスキルで常に海がある扱いにされる。

「マリドゥス、いけるぞ! 深淵にも、海はある!」

「それは航海士の、お前の頭の中だけだがな」ゼクスが呟いた。

「俺の頭の中が海なら、世界は海だ!」

「うるさい、黙れ」

カレンが龍を見上げていた。

「師匠。——助けに来ました」

龍の目が一瞬だけ、金色に戻った。

そしてすぐに黒く染まった。

咆哮――世界が震える。

【隠しレイドボス 深淵の龍体Alvah】

【全プレイヤーの浸蝕度が毎分2%上昇します】

【制限時間:50分】

「五十分で千二百万を削って、中のアルヴァを引き出す。——やるぞ」

トワが【果ての道標】を構えた。

駆け出しの霊薬を飲んだ。ATKが倍増する。初心の心得でCTがゼロだから、即座に次のアイテムに手が伸びる。

旅人の手記を取り出した。ATKが積み上がり始める。歩けば歩くほど、戦えば戦うほど。

見聞録を全開にした。全属性解析で龍の身体をスキャンする。鱗の薄い場所。関節の隙間。核の位置。

「全プレイヤーに弱点情報を共有する。——セレス」

「うん。——げっこうのめ、かくちょう」

セレスの月光の目——拡張モード。トワの見聞録が読み取った龍の弱点情報が、全プレイヤーの視界に重なった。鱗の薄い場所が赤く光る。関節の隙間が点滅する。

「見える……弱点が見えるぞ——!」

「赤いところを狙え。——全員で、鱗を剥がす」

『了解!』

トワたちと忘却体たちと獣王らが、龍に向かって走り出した。

深淵でのレイドバトルが——始まった。