作品タイトル不明
【心門】
十度目の突入。
逆さまの森まで二時間四十分。忘却体の子供たちが森の入口で待っていた。ぽよぽよ跳ねている。
セレスがパンを三切れ投げた。三体がそれぞれ受け止めて吸収した。
「おいしい?」
ぽよん。ぽよん。ぽよん。
「よかった」
子供たちに手を振って、森を通過した。逆さまの砂漠の入口に立つ。
砂が上に向かって流れている。地面から天井に向かって、砂の川が何本も昇っている。砂の柱。砂の滝を逆再生したような光景。
砂が流れていない場所——岩の道がある。黒い岩が砂漠の中に点在していて、飛び石のように繋がっている。
「あの岩の上を渡っていく。——砂に触れるな。流されたら天井まで持っていかれる」
「天井に砂が溜まってますもんね。あそこまで、運ばれたら——」
「降りてくる方法がない」
岩の道に飛び移った。
岩と岩の間隔は二メートルから五メートル。跳べる距離だが足場が小さい。一つの岩に二人が乗るのがやっと。
「一人ずつ渡る。前の人間が次の岩に移ったら、後ろが続け」
トワが先頭。岩から岩へ跳ぶ。着地した瞬間に足場の安定性を確認する。大丈夫だ、次。
セレスが肩の上で角にしがみついている。
「トワ。すなが——うえにいく」
「ああ、ここでは砂は上に落ちる」
「おちるのに、うえ?」
「深淵だからな」
「しんえんだから。そればっかり」
「それしか言えないからな」
「むー。けち」
「何がだ」
「ごいりょく」
「……反論できないな」
五番目の岩に着地した時——足元の岩がぐらついた。
「ここは不安定だ、次に急げ!」
跳んだ。六番目の岩へ。着地。安定。後ろを振り返ると、五番目の岩が——傾いて、砂の流れに飲まれた。岩ごと天井に昇っていく。
「岩が——消えました!」
「足場が減っていく。——急げ、長居するな」
全員が岩を飛び渡り始めた。足場が不安定な場所では一瞬も止まれない。
アストレアが——案の定、鎧の重さで岩をぐらつかせた。
ゼクスがアストレアの腕を掴んで、次の岩に引っ張り上げた。
「おい……助けた俺に対する感謝の言葉は?」
「ありがとうございます。——でも、脱ぎません」
「は? その言い方だと、俺が脱がそうとしてるみたいだろ」
「違うんですか!」
「違うに決まってるだろ、バカ!」
「ゼクス、へんたい」
「やめろセレス、その言い方は誤解でしかない」
ああだこうだ言いながらも、砂漠の中間地点に差し掛かると景色が変わった。
砂の色が白からオレンジに。砂の流れの速度が上がっている。天井に溜まった砂が——今度は一部、下に降ってきている。砂の雨だ。上からも、下からも砂が流れる場所。
「上にも下にも、砂が——」
「交差してる。——砂が循環しているのか。上がった砂が天井で溜まって、重くなったら落ちてくる」
落ちてくる砂を避けながら進んだ。流星よりは遅い。だが、量が多い。視界が砂で遮られる。
「セレス。月光で砂を払えるか」
「やってみる——」
セレスが月光を放った。銀色の光が砂を弾く。砂が月光に触れると——軌道が逸れる。ちょっとだけ。だがそれだけで、トワの周囲に人一人分の隙間ができた。
「セレス、月光を維持しろ。俺の周囲の砂を払い続けてくれ」
「うん、がんばる」
セレスの月光のバリアを張りながら進んだ。他のメンバーはトワの後ろに密着して、月光の範囲内を歩く。
砂漠を抜けるのに——四十分かかった。
◇
砂漠の先に——開けた空間があった。
石の広場。円形。直径百メートルほど。地面は平らな黒い石。砂はない。風もない。静かだ。
広場の中央に、門があった。
世界の柱と同じ黒い石でできた門だが、沈降門よりも小さい。高さ五メートルほど。紋章が一つ。旅人の紋章ではない。——見たことのない紋章。
花の形をしている。
「花——世界の柱が上から見ると花の形だった。同じ紋章だ」
門に近づいた。手を当てた。
【「深淵の心門」を発見しました】
【この門は深淵の内部と外部を繋ぐ通路です】
【現在、心門は閉じています】
【心門を開放するには、旅人の祝福と記憶の断片が5つ必要です】
「記憶の断片……今四つ持ってる。あと、一つ——」
「師匠。門の横に……何かあります」
ハルが門の横の壁を指差した。
壁に、アルヴァの文字が刻まれていた。
【「この門を開けると、深淵の外から人が来られるようになる。わたしは開けなかった。一人で行きたかったから。——でも、一人で行くべきではなかった。後から来る旅人がこれを読んでいるなら、開けてくれ。一人では、届かないものがある」】
「一人では、届かない……」
「アルヴァさんは開けなかったのでしょうか、この門を」
「一人で行きたかった。全部自分で見たかった。——旅人の本能だ」
「師匠にもあります? その本能」
「あるが、俺は一人じゃない」
「えへへ……言い言葉ですね」
「どうしてお前が照れる」
「いや、何でも……」
トワは門の前に立った。もう一度手を当てた。
記憶の断片が四つ。あと一つ足りない。
「門の周囲を探す。——近くに、忘却体がいるかもしれない」
広場の端を調べた。黒い石の地面。——隅に、小さな忘却体がいた。一体。丸い。テニスボールくらい。ほとんど動いていない。
近づいて、スキャンした。かろうじて読める。この忘却体の中にある記憶は——
「砂の記憶だ。——さっきの砂漠の」
見聞録から砂漠のスキャンデータを投影した。さっき通ってきた逆さまの砂漠の映像。砂が上に昇っていく光景。
忘却体が震えた。小さく光って……消えた。
【「記憶の断片」を入手しました】
【断片の内容:砂の世界の記憶。風に運ばれ、積もり、流れ、形を変え続ける砂たちの記憶】
【記憶の断片:5/5——収集完了】
【深淵内でのステータス補正が発生します】
【見聞録精度:+10% 浸蝕度蓄積速度:-10%】
「五つ揃った。——門を開ける」
門の前に立った。三つの祝福と、五つの記憶の断片。手を当てた。
門が——反応した。花の紋章が光った。金色。銀色。星の色。五色の光が加わる。記憶の断片が門に吸い込まれていく。
【旅人の祝福を認証しました】
【記憶の断片×5を認証しました】
【深淵の心門を——開放します】
門が開いた。
重い音。黒い石が左右に割れる。門の向こうに——光が見える。地上の光ではない。沈降門の向こう側の光。混濁層と沈殿層を繋ぐ通路の光。
門が開いた瞬間——システムメッセージが出た。
トワだけに表示されたのではない。
全プレイヤーに。
◇
始まりの町。噴水広場。
プレイヤーAが露店で買い物をしていた。画面の上部に——見たことのないシステムメッセージが表示された。
【——システムメッセージ——】
【旅人トワが「深淵の心門」を開放しました】
【深淵・混濁層へのアクセス条件が緩和されました】
【深度50以上に到達した全プレイヤーが、混濁層に直接入れるようになります】
【心門は始まりの町の地下、沈降門の先に出現しました】
「……は?」
「なんだよ、これ」
「旅人トワが、「深淵の心門」を開放した!?」
「トワさんだ! トワさんが、遂に【門】を開いたんだ!」
「また新しい伝説が始まるのか……?」
騒ぎは一向におさまらず、周囲のプレイヤーたちは一斉にフォーラムを開いた。
——「何、今のメッセージ」
——「トワが門を開けた?」
——「混濁層に入れるようになった!?」
——「深度50以上って条件あるけど——俺深度48まで行ったぞ。あと2だ」
——「条件緩和って——今まで、沈降門で弾かれてた奴も通れるってことか?」
——「通れる、条件が変わったんだ! 深度50到達歴があれば通過できる!」
——「行くぞ」
——「行くか」
——「行こう」
——「トワが道を開いたけど、いつもそうだ。あいつが先に道を作って、俺たちが後から行く」
——「始まりの町の地下に、【心門】が出現したって。行ってみる」
——「旅人クラス限定じゃなくなったのか? 俺も行くぞ」
——「ギルドで行く。準備しろ」
——「〈白霧の進軍〉、全員集合。深淵用装備を整えろ。——混濁層に行く」
始まりの町に——プレイヤーが集まり始めた。
深度50以上の到達歴を持つプレイヤーは——BCO全体の上位20%。数百万人。その全員に、混濁層への道が開かれた。
◇
深淵の中。心門の前。
トワは門が開くのを見ていた。
「アルヴァは一人で行こうとした。全部自分で見たかった。——けど最後に『一人では届かない』と書いた」
「でも、師匠は——」
「俺は、最初から一人じゃなかった。横にタマキがいた。肩にセレスがいた。影にルーナがいた。後ろにお前たちがいた。——だからここまで来られた」
セレスが、肩の上で笑った。
「トワは、ひとりじゃないよ」
「ルーナもいる」影の中から。
「当然です」ハルが手帳を閉じた。
「薬師はどこまでも行きますよ」タマキが鞄の紐を握った。
「俺もだ」ゼクスが短く言った。
「矜持にかけて」アストレアが聖剣を掲げた。
テンがブーツの上でぽわっと光った。一回。長い光。
「全員いる。——だから開けた」
トワは振り返った。門の向こうの光を見ていた。
「次に来る時は——大勢で来る」
【浸蝕度:52%】
「帰るぞ」
帰り道。砂漠を戻り、逆さまの森を通過し、白い空間を抜け、回廊の主を走り抜け、世界の柱を渡り、忘却の海を歩き、逆さまの塔を通り、沈降門を越え、沈殿層を駆けた。
深度3のパン屋。
「いらっしゃい。パンはいかがですか」
セレスが手を振った。
「こんど——みんなでくるよ。たくさんのひとが、くるよ」
NPCは反応しなかった。
でもセレスは手を振った。
門を出た。光と音が戻った。
始まりの町が——騒がしかった。いつもと違う騒がしさ。プレイヤーたちが走り回っている。装備を買い込んでいる。パーティを組んでいる。
深淵に行く準備をしている。
トワがグランの扉から出てきた瞬間——周囲のプレイヤーが気づいた。
「うわ、トワだ!」
「門を開けたの、やっぱトワだったのか!」
「混濁層への道、ありがとうな!」
門が空いたことで、フォーラムも湧いていた。
——「トワが帰ってきたぞ。心門を開放した張本人だ!」
——「混濁層の準備してるギルド多すぎ。素材集めの露店が品切れなんだが」
——「深淵用の回復薬が値段三倍になってるぞ!」
——「タマキっていう薬師のレシピが出回ってるぞ。『深淵の露』だってよ」
——「レシピを公開したのか?」
——「『深淵はみんなで行く場所です。独占する薬じゃありません』だって」
——「薬師の鑑だな」
——「ガルドの武器屋も、深淵装備の受注始めたってよ」
——「鍛冶師系プレイヤーが手伝いに行ってるらしい。ガルドが監修して、プレイヤーが打つ」
——「NPC監修プレイヤー製作の深淵装備。熱過ぎるだろ」
——「で、次はいつ行くんだ。トワは」
——「次はみんなで行くらしい」
——「みんなで深淵」
——「やばいな」
——「楽しみだ」