軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

【逆さまの森】

九度目の突入。

世界の柱まで一時間。白い空間まで一時間半。合計二時間半で深度100に到達した。

「浸蝕度22%。余裕があります」タマキが報告した。

「よし。——前回の声が聞こえた方角を探る。下だ」

白い空間の床を調べた。深読みでスキャンする。精度55%。ノイズが酷い。だが——床の下に空間がある。巨大な空間。

「床に穴がないか探す」

全員で白い空間を歩き回った。床は白い。均一に白い。どこも同じに見える。

セレスが——角を傾けた。

「トワ。ここ、すこしだけあったかい」

「あったかい?」

「つきのひかりが、ここだけ、すこしだけ、とおりぬける」

セレスが指した場所に手を置いた。——確かに、僅かに温度が違う。周囲の床より零コンマ数度だけ高い。

『深淵の手甲』を嵌めた手で、床を押した。

――ガコンと、沈んだ。

床の一部が蓋のように開いた。正方形の穴。下には——階段が続いている。

「見つけた。——下に降りる階段、秘密通路だ」

「セレスちゃんが見つけたんですよ」ハルが手帳に記録している。

「セレスのおてがら。——ごほうびは?」

「後でだ」

「いま」

「後でだ」

「……あと、なんぷん?」

「生きて帰ったら」

「……いきてかえる」

階段を降りた。白い壁の狭い階段。十メートル。二十メートル。三十メートル。

そして——

足が地面を踏んだ瞬間、全員の動きが止まった。そこは……

森だった。

——ただし、逆さまの。

天井に——木が生えている。

根が上に伸びて天井に張りついている。幹が下に向かって伸びて、枝が広がり、葉が垂れ下がっている。逆さまの大木。一本ではない。何百本も、天井一面が森になっている。

そして葉が——光っている。

淡い緑の光。蛍光のような、だがもっと優しい光。深淵に入ってから初めて見る自然光に近い明かりだった。そして、無音でもない。葉が擦れる音がする。微かだが——風が吹いている。温かい風だ。

「……きれい」

セレスが呟いた。

「森だな——【逆さまの森】だ」

「天井に木が生えてるんですけど——」

「深淵だからな」

「深淵だから、で片づけていい規模じゃないと思うんですけど……」

見渡した。森は広い。深読みのスキャン範囲では端が見えない。天井の森から葉が時折ひらひらと落ちてくる——いや、「上がっていく」のか? 葉が地面から天井に向かって浮き上がっていく。重力が——反転しているわけではない。足はちゃんと地面に着いている。だが葉だけが、【上に落ちる】。

「トワさん。ここは、重力がおかしいのでしょうか——?」

「おかしいというか、ものによって重力の方向が違うんだろう。人間には下向き、葉には上向きと」

「師匠、それ説明になってますか」

「なってない。——わからないんだ、正直」

「師匠が『わからない』って言うの、最近増えましたよね」

「深淵では正直になる。——見栄を張っても仕方がない場所だからな」

足元を見た。地面は——土だ。柔らかい土。深淵に入って初めて、本物の土を踏んでいる。

草が生えている。小さな花も咲いている。青い花。

「……花が咲いてる」タマキがしゃがんで花を見ていた。「深淵に花が——」

「触るな。——見聞録でスキャンしてからだ」

スキャンした。精度55%。だが——花の情報は読めた。

【深淵の花。属性:なし。毒性:なし。効果:不明】

「毒はないらしい」

「摘んでいいですか」

「何に使うんだ」

「わかりません。でも——深淵でしか咲かない花ですよ。薬師として気になります」

「一輪だけにしろ」

タマキが花を一輪摘んだ。青い花。茎が——温かかった。

逆さまの森を歩いた。

天井の木々の光が地面を照らしている。影が——上に向かって伸びている。光源が上にあるから当然なのだが、見慣れない。全ての影が上を指している森。

「ゼクス、ここの影はどうだ」

「使いにくい——影の向きが逆だ。上に伸びている。潜ろうとすると、上に引っ張られる感覚がある」

「上に引っ張られる——潜れないのか?」

「潜れなくはない。だが、上に浮きそうになる。影に潜ったまま天井に吸い込まれる可能性がある」

「使うな。ここでは影潜り禁止だ」

「了解」

ルーナが影の中から声を出した。

「この森の影は——温かい。怖くない。地上の影に近い。深淵の影なのに——普通の影みたい」

「普通、か」

「うん……忘却の海の影は、重くて冷たかった。ここの影は——軽い。生きてる」

森が生きている。深淵の中に、生きている場所がある。

十分ほど歩くと——空き地に出た。木々が途切れた円形の空間。直径三十メートルほど。

空き地の中央に——忘却体がいた。

三体。小さい。人間の子供くらいの大きさ。形は——曖昧だが、忘却の海で出会ったものよりずっと安定している。ゆらゆら揺れているが、急激に形が変わったりしない。

そして——こちらに気づいても、逃げなかった。

「攻撃してきませんね」

【忘却体(非攻撃型)を検出しました】

【称号「記憶の返却者」の効果:敵対確率低下——適用済み】

「称号が効いてる。——友好的だ」

忘却体たちが近づいてきた。おそるおそる。子供が知らない大人に近づくみたいに。

一体が、トワの足元に寄ってきた。ゼリーのような半透明の身体。目のようなものが二つ。目が二つしかない。忘却の海のものは目がいくつもあったが、こいつは二つだけだ。安定している。

「……こんにちは」セレスがトワの肩から手を振った。

忘却体が——震えた。震えて——形が変わった。一瞬だけ。

直ぐに人間の子供の形になった。

ほんの一瞬。すぐにゼリーの塊に戻ったが——確かに、子供の形だった。

「今の——子供に見えた」

「子供の記憶があるのか。——忘却体の中に、子供だった頃の記憶が残っている?」

忘却体が音を出した。水面が震えるような音。言語ではないが、見聞録で音声パターンを解析すると——

「『あそぼう』」

セレスが目を丸くした。

「あそぼう、って。——あそびたいの?」

忘却体がぷるんと震えた。肯定、だと思う。

「セレス。少しだけ、遊んでやれ」

「いいの?」

「五分だけだぞ」

セレスが肩から降りて、忘却体の前に立った。月光で小さな光の球を作った。忘却体に向かって転がした。

忘却体が光の球を受け止めた。ゼリーの身体で包んで、ぽよんと跳ね返した。

セレスが笑った。

「トワ。これ、おもしろいよ」

忘却体もぷるんと震えた。笑っているんだろう、たぶん。

三体の忘却体とセレスが、光の球を転がし合って遊んだ。ルーナも影から手を出して参加した。影の球と光の球を同時に転がす。忘却体たちが追いかけて、ぽよんぽよん跳ねている。

「……なごむな」ゼクスが呟いた。

そして、五分が経った。

「セレス。戻れ」

「もうすこし——」

「五分と言っただろ、俺との約束だ」

「むー……分かった。またね、ばいばい」

セレスが忘却体たちに手を振った。

忘却体たちはぷるぷる震えている。手を振っているんだろう、たぶん。

「またくるね」

忘却体たちが——また音を出した。

「『またね』」

セレスがトワの肩に戻って、しばらく黙っていた。

「トワ」

「何だ?」

「このこたち——わすれられた、こどもたちだよね」

「……たぶん」

「さみしいね」

「ああ」

「でも……あそべた。すこしだけ。それだけでも、いいよね」

「いい。——十分だ」

逆さまの森を奥に進んだ。

忘却体たちが——ついてきた。さっきの三体。トワたちの後ろを、ぽよぽよ跳ねながらついてくる。

「ついてきてますね」

「追い払う必要はない。害はないはずだ」

「もしかして、わたしたちの護衛……ですかね?」

「護衛には頼りないが——道案内かもしれないぞ」

忘却体たちが左に曲がった。トワたちが直進しようとした道ではなく、左の小道に入っていった。振り返って、ぷるりと震えた。「こっち」と言っているように。

「案内……してるのか?」

忘却体について行った。小道を抜けると、大きな木の根元に、小屋があった。

見覚えのある構造だ。

【「アルヴァの休息所・第四」を発見しました】

「また休息所——忘却体たちが案内してくれましたね!」

「アルヴァがこの森に来た時も、忘却体と遊んだのかもしれない。——だから忘却体がアルヴァの休息所の場所を覚えていて、似たようなことをする旅人を案内した」

休息所に入った。壁の日記。——だが、今までと様子が違った。

文字が震えている。刻まれた線がまっすぐではない。手が震えた状態で書いたのがわかる。

【「深度130。声が止まらない。わたしの中に、何かが流れ込んでくる。知識だ。世界の全ての知識が。地層の成り立ち。海の深さ。星の数。全ての種族の歴史。全ての言語の文法。止められない。流れ込んでくる。知りたかった。全てを知りたかった。だが——これは、知るのではない。溺れている」】

全員が黙って壁を見つめていた。

「知識に、溺れた——」

「アルヴァは全てを知りたかった。旅人として。世界の全てを知りたかった。——深淵がそれに応えた。全ての知識を、一度に流し込んだ」

「応えた……?」

「深淵は『記憶の層』だ。世界の全ての記憶が、沈殿している。アルヴァがそれを求めたから——深淵は全部を渡そうとした。悪意じゃない。ただ——応えただけだ」

「応えただけで——人が壊れる」

「人間が受け止められる量じゃなかったんだ。——これまで少しずつ集めた知識と、一瞬で流し込まれた知識は違う。時間をかけるから、知識は自分のものになる。一瞬で全部渡されたら——自分がなくなる」

壁の日記の最後に、一行だけ追記があった。

【「この森の子供たちに——わたしのパンを分けた。千年後にまた来る旅人がいたら、この子たちと遊んでやってくれ」】

「パンを……」

「アルヴァさんもパンを持ってきてたのですね」

「カレンが言っていた。師匠はパンが好きだった。朝一番にパン屋に並んでいた……と」

忘却体の子供たちが、休息所の外でぽよぽよ跳ねている。千年前にアルヴァからパンをもらった記憶が、まだ残っているのかもしれない。

セレスがカバンの中のパンを一切れちぎって、窓から外に投げた。

忘却体がパンを受け止めた。ゼリーの身体にパンが沈んでいく。吸収された。

「おいしい?」

忘却体がぷるぷる震えた。

「おいしい、よね」

セレスが泣きそうな顔で笑った。

「よかった」

休息所を出て、さらに奥へ進んだ。

逆さまの森が——開けた。木々が減っていく。地面が土から石に変わる。

そして——

【深淵が問いかけています

突然、視界の中央にシステムメッセージが出た。

【「お前は何者だ」】

全員の画面に——同時に表示されていた。

「これは——」ハルが声を上げた。「深淵の問い、でしょうか」

【テキスト入力を求めます。あなたの言葉で答えてください】

入力欄が出ている。カーソルが点滅している。

「トワさん。ここには、何て答えるんですか」

全員が考えた。

ゼクスが最初に入力した。画面に表示されないので、何を書いたかは本人にしかわからない。

「終わった」

「何て書いたんですか」

「秘密だ」

アストレアが入力した。「終わりました」

ハルが入力した。「書きました」

タマキが入力した。「書きました——迷いましたけど」

トワが——考えていた。

お前は何者だ。

旅人。Lv1の旅人。七千時間歩いてきた男。セレスの肩の上の住人の相方。ルーナの影の持ち主。ハルの師匠。タマキのパートナー。ゼクスの共闘者。アストレアの仲間。

どれも正しい。だが、どれも——全部ではない。

入力した。

【入力を受け付けました】

何を書いたかは——誰にも言わなかった。

「トワ。なんてかいた?」セレスが聞いた。

「秘密だ」

「セレスにも?」

「お前にも」

「けち」

【深淵があなたの答えを記録しました】

【この答えは、深淵の最奥で再び問われます】

「最奥で——もう一度聞かれるのか」

「その時に答えが変わっているかどうかを見るつもりなのかもしれませんね」ハルが手帳に何かを書いていた。自分の答えのメモだろう。

「変わるかどうか——か」

深淵が試している。旅人を。

【浸蝕度:40%】

「まだ余裕がある。——もう少し先に行く」

逆さまの森を抜けた先の地形をスキャンした。森が途切れて——

「この先に、何がありますか」

「砂だ。——砂漠のような地形だが……砂が——上に流れている」

「上に……?」

「逆さまの森の次は、逆さまの砂漠か。——深淵は本当に全部が逆さまだな」

「行きますか」

「行く。——だが、今日は入口だけ確認して帰る。新しいエリアは初日に深入りしない」

逆さまの森の縁に立った。目の前に——砂漠が広がっている。

砂が——上に向かって流れている。砂の滝。だが滝は下に落ちるものだ。これは上に「昇る」砂の川。地面の砂が吸い上げられるように天井に向かって流れていく。天井に砂が溜まって——砂の天井になっている。

「……これは——」

「足場がありますかね。砂の上を歩けるんですか」

「砂の流れていない場所がある。岩の道がある。——岩の上を歩けば進めるはずだ」

「でも、今は帰りましょう。ここは、次に来た時に」

「ああ……帰ろう」

帰り道。忘却体の子供たちが、森の入口まで見送ってくれた。ぽよぽよ跳ねながら。

セレスが手を振った。

「またくるよ。——パン、もってくるね」

忘却体がぷるぷる震えた。

「またね」

白い空間に戻り、回廊の主を通過し、世界の柱を抜け、忘却の海を渡り、逆さまの塔を通り、沈降門を越え、沈殿層を走った。

深度3のパン屋。

「いらっしゃい。パンはいかがですか」

セレスが手を振った。

「エリーじゃないけど——パンやさんは、パンやさん。ばいばい」

門を出た。

【深淵探索を終了します】

【今回の到達深度:130(推定)】

【新発見:逆さまの森、忘却体(友好個体・森の子供たち)、アルヴァの休息所・第四、深淵の問い、逆さまの砂漠(入口確認)】

【記憶の断片:4/5】