作品タイトル不明
緊急レイドイベント【大陸の鼓動】
【緊急レイドイベント「大陸の鼓動」】
【エルシオンの七つのエリアで同時に異変が発生しています】
【全七箇所の蝕印残滓を除去し、大陸の免疫暴走を鎮めてください】
【参加人数:92,118……95,440……101,773……】
数字が増え続けている。エルシオンにログインしている全プレイヤーが強制的に自動参加する。さらにアストラムや始まりの町にいるプレイヤーにも通知が飛び、緊急転送で続々と駆けつけている。
ワールドの全体チャットが一瞬で炎上した。
名無しの釣り師:「おい待て。俺は釣りをしに来ただけなんだが」
名無しの料理人:「なんでログインしただけで世界の危機に巻き込まれてるんですか」
名無しの鍛冶師:「インベントリの整理してたら急に地面が揺れ始めた」
名無しの商人:「露店開いた瞬間に緊急レイド発生。商売あがったりだな」
名無しの旅人Lv3:「あの、始めて三日目なんですが」
名無しの剣士:「とりあえず、近くのエリアに行け! 何でもいいから手伝え!」
名無しの釣り師:「釣り竿しか持ってないんだが」
名無しの剣士:「釣り竿で世界を救え」
大湖の湖畔。ハルが全チームの前に立っていた。
「師匠が【心臓】の中にいます。通信も切れています。でも──」
エルシオンの悲鳴が全員の耳に聞こえている。大地が揺れている。空が七色に染まっている。
「師匠は必ず心臓を治します。わたしたちの仕事は、師匠が結晶を埋め込む時間を稼ぐことです。七つのエリアの異変をおさめます」
ハルはチャットを開いて、情報の共有を始めた。
仲間たちも、次々に情報を報告していく。
ゼクス:「俺は火のエリアに行く」
ゼクスはマリドゥスの体内から最初に飛び出していた。心臓の前で異変が始まった瞬間、迷わず湖面に向かって泳ぎ始めた。
アストレア:「わたしも火のエリアへ。聖騎士の鎧は溶岩でも脱ぎません!」
ダリオ:「水のエリアは俺の担当だ! マリドゥス、津波を止めるぞ!」
ルーナ:「闇のエリア。わたしの庭」
セレス:「ひかりのエリア。こおりがとけてる。セレスがなんとかする」
タマキ:「わたしは──どこに行けば」
ハルがタマキの手を握った。
「タマキさん。全エリアに薬を届けてください。七色列車で各エリアを回って、必要な薬を配ってください。タマキさんにしかできない仕事です!」
「──はい。薬師の仕事ですね。行きます!」
パーティが散開した。だが、七つのエリアを六人で対処するのは不可能だ。
その不足を埋めたのは──BCOのプレイヤーたちだった。
◇
【参加人数:108,441……112,890……119,553……】
エルシオンの全域でプレイヤーが動き始めていた。
レイドチャットが動き始めた。チャンネルが七つに分かれている。各エリアごとに一つ。
【火のエリア・レイドチャット】
名無しの剣士:「火山が噴火してんだけど!? 溶岩がこっちに来てる!」
炎使いLv62:「水属性プレイヤー、前に出ろ! 溶岩を冷却するんだ!」
名無しの僧侶:「水属性って言われても、スキルのクールタイムが──」
ゼクスのレイドチャットが割り込んだ。
ゼクス:「溶岩流の先端は温度が低い。冷却するなら、根元じゃなく先端からだ。先端を固めて壁にしろ。その間に、根元の【蝕印】を俺が破壊する」
名無しの剣士:「お前誰だよ」
ゼクスの暗殺者Lv88:「〈黒霧の刃〉ゼクス。トワのパーティメンバーだ」
名無しの剣士:「ゼクス!? あのPvPランカーの!?」
炎使いLv62:「指示に従え! 先端を冷却しろ!」
火のエリアに三千人のプレイヤーが殺到していた。溶岩流が三方向に広がっている。水属性プレイヤーが前衛に立ち、冷却スキルを連打している。だが溶岩の量が多すぎて追いつかない。
ゼクスが溶岩流の根元に走った。影に溶け込み、灼熱の中を駆け抜ける。
溶岩の中心に、赤い結晶が脈打っていた。蝕印の残滓。調律者の力の欠片。
「見つけた――」
星虚の短剣を抜いた。虚空と星の二重属性。蝕印の残滓を断つには──
アストレア:「ゼクス殿! 先に聖属性で浄化してください! 蝕印は浄化で無力化しないと硬すぎて砕けません!」
アストレアが聖剣を振り上げた。金色の光が溶岩を切り裂き、蝕印の残滓に浄化の光を浴びせる。赤い結晶が白く変色した。
「今だ」
ゼクスの短剣が白い結晶を砕いた。
【火のエリア:蝕印残滓を除去しました(1/7)】
溶岩流が止まった。火山の噴火が収まり始める。
名無しの剣士:「止まった! 溶岩が止まった!」
炎使いLv62:「ゼクスとアストレア、二人で蝕印を──! 速すぎるだろ!」
◇
【水のエリア・レイドチャット】
大湖に津波が発生していた。高さ三十メートルの波が湖岸に向かっている。
ダリオがマリドゥスの背中に立っていた。
「マリドゥス! 波を止めろ!」
「波を止める? わたしは淵鯨だ。海を支配する獣王だ。波を止めることくらい──」
マリドゥスが全身で津波に体当たりした。四十メートルの鯨と三十メートルの波。衝突。
「──当然、できる!」
「さすが、鯨タクシー!」
「その呼び方はやめろと言っている!」
しかし、波は一度きりではなかった。次の波が来る。そして次。蝕印が湖底で脈打ち続けている限り、波は止まらない。
ダリオ:「航海士ども! 風属性プレイヤーと組んで波を相殺しろ! 俺とマリドゥスが蝕印を潰す!」
航海士ギルドのメンバーが二百人。加えて緊急参加した風属性プレイヤーが千人以上。
波に向かって風のスキルを撃つ。波の上部を風で削り、下部をマリドゥスが押さえる。
ダリオが湖底に潜った。蝕印の青い結晶を発見。
「マリドゥス! 例のやつだ!」
「浄化が必要だ。聖属性のプレイヤーはいるか」
名無しの聖職者Lv54:「わ、わたしでよければ──!」
「来い! 今すぐ潜って浄化しろ!」
名無しの聖職者Lv54:「え、えっ、深度三十メートルですよ!? 深潜薬がないと──!」
タマキの七色列車が水のエリアに到着した。列車から、薬の箱が放り出された。
タマキ:「深潜薬、五十本置いていきます! 次は風のエリアに行くのでこれで頑張ってください!」
名無しの聖職者Lv54:「薬師さん!? あっ……ありがとうございます!」
深潜薬を飲んで湖底に潜る。ダリオが蝕印まで案内し、聖職者が浄化。ダリオが拳で砕いた。
【水のエリア:蝕印残滓を除去しました(2/7)】
津波が収まった。
◇
【風のエリア・レイドチャット】
竜巻が七本。高原を横切っている。竜巻の中心に蝕印の結晶がある。
問題は、竜巻の中に入る方法だった。
名無しの弓使い:「竜巻の中に入れない! 近づいただけで吹き飛ばされる!」
旅人の集いメンバー:「ハルさん! 指示をください!」
ハルが湖畔から風のエリアのレイドチャットに接続した。
ハル:「竜巻の回転方向を見てください。全て反時計回りです。つまり竜巻の右側から接近すれば、風が追い風になります。右側から斜めに突入して、中心に到達してください」
名無しの弓使い:「右側から──!? そんなの見えないぞ!」
ハル:「見えます。地面の砂の流れを見てください。砂が右から左に流れている方向が、追い風の方向です!」
名無しの弓使い:「砂の流れ……あ、本当だ! 右側の砂が左に流れてる!」
ハルの指示で二千人のプレイヤーが竜巻に突入した。追い風を利用して中心に到達。蝕印を発見。
だが、浄化ができない。聖属性のプレイヤーが風のエリアに少ない。
ハル:「セレイアの風は、浄化の属性を持っています。風の獣王の力を借りれば──」
疾風のセレイアが翡翠の羽を広げて、竜巻の上空に現れた。獣王の風が蝕印に吹きつけ、白く変色させた。
プレイヤーたちが七つの蝕印を同時に叩き割った。
【風のエリア:蝕印残滓を除去しました(3/7)】
高原から竜巻が消えた。
◇
【土のエリア・レイドチャット】
山脈が崩壊していた。岩が落ちてくる。斜面が崩れる。
ガロンが山の中腹に立っていた。石人の巨体で、崩れ落ちてくる岩を片手で受け止めている。
ガロン:「小さいのはどこだ!」
旅人の集いメンバー:「小さいの──セレスちゃんですか? 光のエリアに行きましたよ!」
ガロン:「無事か……」
旅人の集いメンバー:「たぶん、無事です!」
ガロン:「たぶんでは困る。──まあいい。まずはここを片付ける!」
ガロンが山を支えている間に、土属性プレイヤーが蝕印を探す。山脈の内部。岩盤層の奥。
剛山のテラドンが地面を割って現れた。土の獣王。巨大な亀のような姿。甲羅に七属性の紋章。
「テラドン、蝕印の場所は!」
「わしの背中の下だ。山脈の根元。──乗れ、小さき者たちよ」
テラドンが地面に潜り、蝕印のある場所まで一直線に掘り進んだ。背中にプレイヤーたちを乗せて。
蝕印を発見。テラドンの甲羅が聖属性に似た浄化の波動を放ち、蝕印が白変。プレイヤーが破壊。
【土のエリア:蝕印残滓を除去しました(4/7)】
◇
【光のエリア・レイドチャット】
氷原が溶けていた。セレスが十五日間かけて溶かした氷河とは別の場所。光のエリア全体の氷が溶け、洪水が発生している。
セレスが上空にいた。覚醒形態。身長が一メートルを超え、月光を全方位に放射している。
月光が溶けた水に降り注ぐ。セレスの月光は温かい光──氷を凍らせることはできない。だが、月の力には「潮を引く」性質がある。月光が水に浸透し、洪水の流れを押し留めた。水が動きを止め、溢れ出す速度が緩やかになっていく。
だが、押さえているだけでは解決しない。水を再凍結させなければ、月光を止めた瞬間にまた洪水が始まる。
煌陽のソレイスが現れた。金色の獅子。光の獣王。
「セレスティア。よくやっている。だが凍結はお前の力ではない。水を押さえ続けろ。氷の再生はわたしがやる」
「ソレイスが、こおらせてくれるの」
「光の獣王の力は、照射と浄化だけではない。光を収束させれば熱を奪える。──レンズの原理だ」
ソレイスの光が氷原を包んだ。金色の光が収束し、水面から熱を吸い上げる。セレスの月光が押さえた水が、ソレイスの光によって急速に再凍結していく。月が水を留め、太陽が氷に戻す。二つの光の連携。
セレスが蝕印の場所に飛んだ。光の結晶。脈打っている。
「これ、いたそう。エルシオンが、いたいっていってた」
月光を集中させた。温かい銀色の光が蝕印を包み込む。蝕印は調律者の冷たい残滓──セレスの温かい月光が、その冷たさを中和していく。白く変色。
「わったー!」
セレスの小さな拳が蝕印を壊した。
【光のエリア:蝕印残滓を除去しました(5/7)】
セレスがソレイスの背中に着地した。
「つかれた。おやつ」
「まだ二つ残っている。おやつは後だ」
「あとふたつ。がんばる。──おやつはかならず」
「……おやつ代はトワに請求しておくぞ」
「いーよ。がっぽり」
◇
【闇のエリア・レイドチャット】
黒翳の森が暴走していた。闇のモンスターが大量にスポーンしている。数千体。森から溢れ出して平原に流れ出ている。
ルーナが森の上空にいた。夜の精霊。影が足元から無数に伸びて、モンスターを切り裂いている。
だが、数が多すぎる。一人では裁ききれない。
「ヴェノム」
森の中から、一人の旅人が走り出てきた。
黒いコートに、旅人の装備。かつてのPKギルド〈翠蛇の牙〉のマスターで、今は旅人の集いのメンバー。
「呼んだか」
「呼んでない……でも、来ると思った」
「闇のエリアは、元の俺の庭だ。見ただけで、だいたい地形は分かる」
ヴェノムの後ろに、旅人の集いのメンバーが五十人。さらにその後ろに、闇のエリアで活動していた冒険者たちが数百人。
「蝕印は森の最奥にある。モンスターを押さえている間に、俺が奥に入る」
「旅人たちで、モンスターの群れを突破できるの?」
「突破じゃない、避ける。──元盗賊のプレイヤースキルを舐めるな」
ヴェノムが走った。モンスターの群れの中を、弱い旅人の装備で。
しかし――動きが違う。ステータスは貧弱でも、身体の動かし方、敵の攻撃の回避、間合いの取り方──全てがLv86の盗賊のそれだった。モンスターの攻撃が当たらない。かすりもしない。
名無しの戦士:「あの旅人、何者だよ!? モンスターが全部空振りしてる!」
旅人の集いメンバー:「元〈翠蛇の牙〉のマスターです」
名無しの戦士:「〈翠蛇〉!? あのPKギルドの!?」
旅人の集いメンバー:「元、です。今は味方ですよ」
名無しの戦士:「──味方なら、まあいいか! あいつは、絶対味方にいた方がいい!」
冥牙のオルグレンが森の奥から吠えた。黒い狼。闇の獣王。
「ヴェノム。かつてお前は、【闇】の側に落ちたと聞く。なんでも……他者を害した行為を繰り返していたと。だが今は、【闇】を鎮めるために走っている。──気に入った」
「獣王に気に入られても嬉しくないな」
「嘘をつくな。嬉しいだろう」
「……少しだけだ」
ルーナが上空から影を伸ばした。ヴェノムの足元に影の道が走り、蝕印まで一直線の通路を作った。
「行って。わたしの影を通れば、モンスターと遭遇しない」
ヴェノムが影の道を走った。蝕印の前に到達。
だが、浄化ができない。ヴェノムは旅人。聖属性のスキルがない。
「くそ。浄化できない。聖属性のプレイヤーは──」
オルグレンが吠えた。一声で、闇の中に光が生まれた。
「闇の獣王が……光を!?」
「いいや、光ではない。蝕印とは、調律者の残滓……大陸に属さない異物だ。わたしの闇は、これを拒絶できる」
「つまり、闇をもって闇を制すると……その結果、浄化というより【闇を祓った】。これなら……!」
オルグレンの闇が蝕印を包んだ。闇で浄化する。闇が闇を食う。異物である蝕印の闇と、大陸に属するオルグレンの闇は、性質が違う。オルグレンの闇が、蝕印を無力化した。
ヴェノムが蹴り砕いた。攻撃力も、ダメージも低い。でも無力化された蝕印はHPが1しかなかった。
【闇のエリア:蝕印残滓を除去しました(6/7)】
ヴェノムが膝をついた。
「貴様の一撃で、世界を救う日が来るとはな」
「かっこいいですよ、ヴェノムさん」旅人の集いのメンバーが声をかけた。
「うるさい。──次だ、次。俺よりも、レイドチャットを注視しろ!」
◇
【虚空のエリア・レイドチャット】
灰色が拡大していた。
虚空のエリアから、属性が消えている。灰色が周囲のエリアに侵食し始めている。
七彩のアルケイアが立っていた。透明な鹿。七色の角。虚空の獣王。
アルケイアの角から七色の光が放たれ、灰色の拡大を押さえている。結界。だが、蝕印が脈打つたびに灰色が押し返してくる。
アルケイア:「旅人の仲間たちよ。蝕印は灰色の中心にある。だがわたしは結界を維持しなければならない。中に入れるのは──属性を持たない者だけだ」
名無しの冒険者:「属性を持たない者……?」
アルケイア:「虚空の中に属性を持って入れば、属性が剥がされて消滅する。生き残れるのは、属性に依存しない者。純粋な技術だけで戦う者」
名無しの盗賊:「属性なしで戦えるやつなんて──」
ハル:「います。旅人です」
ハルが七色列車で虚空のエリアに到着した。導師の杖を握っている。
ハル:「旅人のスキルは属性に依存しません。見聞録は情報スキル。道具通は道具強化。旅路の極意はステータス補正。全て、無属性です」
「だが、お前はステータスも、Lvも──」
ハル:「Lvは関係ありません。旅人として、行くだけです」
ハルが灰色の中に歩み入った。属性が剥がされる。だが旅人のスキルは無属性。消えない。
見聞録を起動した。──応答なし。虚空のエリアでは見聞録は機能しない。マップもスキャンも使えない。師匠が……トワが、虚空の祭壇で経験したのと同じ状態だ。
「見えました。中心の三百メートル先。──走ります」
灰色の中を走った。何もない空間。色がない。音がない。虚空の祭壇と同じ。
蝕印を見つけた。灰色の結晶。脈打っている。
浄化──ではなく。
「他のエリアなら……浄化で無力化できます。でも、ここでは属性自体が全部消えます。──なら、残る手段は一つです!」
ハルが導師の杖を蝕印に押し当てた。
「旅人のスキル『万象の構え』。全武器種を装備可能。武器の物理特性だけで砕く。──属性なんか要りません!」
杖で叩いた。物理攻撃。属性なし。純粋な打撃。
一撃。二撃。三撃。
蝕印にひびが入った。四撃。五撃。
砕けた。
【虚空のエリア:蝕印残滓を除去しました(7/7)】
【全蝕印残滓を除去しました】
【エルシオンの免疫暴走が収束します】
◇
【参加人数:153,891】
十五万人。
七つのエリアの異変が、ほぼ同時に収まった。
火山が沈黙した。津波が引いた。竜巻が消えた。山脈が安定した。氷が再凍結した。モンスターが消えた。灰色が後退した。
空が──晴れた。
七色のオーロラが、エルシオンの空に広がった。穏やかな光。大陸獣の鼓動が落ち着いていく。
◇
白い空間。
トワは心臓の前にいた。結晶を押さえ続けていた。
蝕印が消えた。七本の赤い亀裂が白い空間から消えた。
結晶が──沈んでいく。抵抗なく。心臓の中に。
「埋まった」
【臍の結晶が心臓に接続されました】
【心拍安定化プロセスを開始します】
【心拍:25秒→28秒→32秒→38秒→45秒→52秒→──60秒】
六十秒。正常な心拍。
エルシオンの声が聞こえた。
──ありがとう。ねむれる。
「ああ。眠れ。──もう少し、眠っていてくれ」
──ほかのあしおとも、すき。
「他の?」
──おまえのとなりにいる、ちいさいの。つきのひかりのこ。かたのうえにいる。あのこのあしおとはとてもかるい。はねのおとみたい。
「セレスか」
──それと、かげのこ。よるのこ。あのこのあしおとはしずか。きこえないくらいしずか。でもわかる。かぜがとまるから。
「ルーナだな」
──くすりのにおいのこ。あのこはあるくとき、びんがかちゃかちゃなる。それがおもしろい。
「タマキの薬瓶か。確かに、いつもカチャカチャ言っている」
──おもいあしおとのこ。がちゃがちゃする。
「アストレアだ。鎧で歩いているからな」
──あのこ、ぬがないの?
「脱がないらしい。矜持だそうだ」
──きょうじ?
「誇りだ」
──ほこりであしおとがおもくなるの。ふしぎ。
「俺もそう思う」
──おまえのあしおと、いちばんすき。でもみんなのあしおとも、すき。ぜんぶちがう。ぜんぶいい。
「お前は足音で個人を区別しているのか」
──あたりまえ。せなかのうえにいるいきもの、ぜんぶわかる。あしおとで。
大陸獣にとって、プレイヤーは背中の上を歩く小さな生き物。その一人一人の足音を聞き分けている。何十万人、全ての足音を。
「──結晶を埋め込む。いいな」
──うん。おねがい。ねむらせて。
「ああ。──もう少し眠っていてくれ」
──おまえのあしおと、またきかせて。
「聞かせる。明日も明後日も。歩き続ける」
──くすぐったいの、まってる。
「待っていろ。──明日も歩く」
臍の結晶を取り出した。白い空間の中で、七色に光る結晶。手の中で脈打っている。
足元の鼓動に合わせて、結晶を地面に押し込んだ。光が広がる。結晶が沈んでいく。
──きもちいい。はやいのが、ゆっくりになる。
「効いている。もう少しだ」
結晶が半分まで沈んだ。鼓動が四十秒まで落ちた。あと少しで──
振動が穏やかになった。六十秒の鼓動。安定した、深い眠り。
白い空間が溶けていった。水が見える。暗い湖底。七色に光る球体。
トワは深度七百メートルの水底に立っていた。心臓が穏やかに脈打っている。六十秒。
マリドゥスが横にいた。
「終わったか」
「ああ。終わった」
「仲間たちが、大陸の全域で戦っていた。お前は見えなかっただろうが」
「見えていた。エルシオンが見せてくれた」
「……お前は、大陸と会話していたのか」
「会話というか──寝言を聞いていた」
「寝言か。似合いの会話だな」
浮上した。
◇
湖面に出た。
朝の光。
湖畔に──人がいた。大量に。
十五万人のうち、大湖の近くにいたプレイヤーが湖畔に集まっていた。数万人。
トワが水面から顔を出した瞬間。
歓声が上がった。
数万人の歓声。
レイドチャットが爆発した。
名無しの剣士:「トワが浮上したぞ!!」
名無しの魔法使い:「心拍が60秒に戻った! 安定してる!」
名無しの弓使い:「やった──やったぞ!」
【緊急レイドイベント「大陸の鼓動」──クリア】
【参加人数:153,891人】
【エルシオンの心拍が正常値に安定しました】
【全参加プレイヤーに報酬が配布されます】
【称号「大陸の鼓動に応えた者」を獲得しました】
エルシオンの全域で、同時に歓声が上がった。十五万人の声。
レイドチャットの総合チャンネルが再び湧いた。
名無しの剣士:「勝った──!!」
名無しの魔法使い:「七エリア同時攻略とか、BCO史上初じゃないか?」
名無しの弓使い:「前回の龍は十万人。今回は十五万人。規模がインフレしすぎだろ!」
名無しの釣り師:「俺の釣り竿で世界を救った。正確には、竜巻の中に釣り糸を投げて蝕印に引っ掛けた。釣り師としてのキャリアのピークだ」
名無しの剣士:「釣り竿で蝕印を釣ったのか」
名無しの釣り師:「人生最大の大物だった」
名無しの料理人:「こっちは土のエリアで炊き出しやってた。二千人分のカレーを即興で作った」
名無しの鍛冶師:「水のエリアで壊れた装備を現場修理してた。百二十本直した。腕がもげそう」
名無しの商人:「各エリアに回復薬を輸送した。露店の在庫全部吐き出した。利益ゼロ。でもいい」
名無しの旅人Lv3:「始めて三日目で世界を救う側に回った。このゲーム、テンポが速すぎる」
名無しの聖職者Lv54:「わ、わたし、深度三十メートルの湖底で蝕印を浄化しました……! 人生で一番怖かったです……!」
名無しの弓使い:「お前が水のエリアの浄化役か! ナイスだ!」
名無しの聖職者Lv54:「ダリオさんに『来い! 今すぐ潜れ!』って言われて、気づいたら潜ってました……」
名無しの盗賊:「闇のエリアのあいつ、マジでヤバかった。モンスターが一発も当てられてなかった」
名無しの戦士:「元〈翠蛇の牙〉のマスターだろ? PK時代の動きそのまんまだった」
名無しの盗賊:「あいつに昔PKされたことあるんだが……今日は感謝するわ」
名無しの魔法使い:「虚空の蝕印を壊したのは誰だ?」
名無しの弓使い:「トワの弟子だ。旅人の集いの導師」
名無しの魔法使い:「旅人が虚空の蝕印をソロ破壊? 旅人……こわ」
名無しの剣士:「アストレアの矜持が伝染してた。火のエリアで『聖騎士じゃないけど矜持にかけて!』って叫んでたやつがいた」
名無しの僧侶:「わたしも言いました。矜持にかけて」
名無しの弓使い:「矜持パンデミック」
セレスが空から飛んできた。覚醒形態のままで。
「トワ!」
トワの肩に着地した。通常形態に戻った。小さなセレスが肩の上で、トワの頬に頭をすりつけた。
「おかえり」
「ただいま」
「エルシオン、ねむれた?」
「眠れた。くすぐったいのが好きだそうだ」
「くすぐったい?」
「俺たちの足音が、くすぐったいらしい」
セレスが笑った。
「あしおとがくすぐったいの。──あしたもあるこうね」
「ああ。明日も歩く」
ルーナが影の中から現れた。ゼクスが溶岩の匂いをさせて戻ってきた。アストレアが鎧をきしませて歩いてきた。ダリオがマリドゥスの背中で手を振っている。タマキが七色列車から降りてきた。ハルが導師の杖を握ったまま走ってきた。
「師匠!」
「ハル。虚空の蝕印を砕いたのはお前か」
「はい。旅人の杖で。属性なしの物理です」
「合格だ」
「──! ありがとうございます!」
「泣くな」
「泣いてません。風が目にしみただけです」
「虚空に風はない」
「今は吹いてます。──嬉しい風が」
全チームが湖畔に集結した。
エルシオンの空にオーロラが揺れている。六十秒の鼓動で。穏やかに。大陸が安心して眠っている。
テンがブーツの上で光った。一回。穏やかな光。安心の光。
レイドチャットにメッセージが流れた。
ハル:「全チーム、お疲れ様でした」
ゼクス:「ああ」
アストレア:「聖騎士の鎧は──」
ゼクス:「脱がないのはわかっている」
ダリオ:「宴会だ! 全員で飯を食うぞ!」
ルーナ:「わたしも食べる」
セレス:「おやつ!」
タマキ:「薬が全部なくなりました。作り直さないと」
トワは湖畔に座った。セレスが肩の上にいる。オーロラが空に広がっている。
足元に、微かな振動。六十秒周期。安定した鼓動。
大陸が、穏やかに眠っている。
その背中の上で、十五万人のプレイヤーが歩いている。走っている。笑っている。戦っている。
足音が、くすぐったいらしい。
「──いい足音だ」
トワは呟いて、空を見上げた。
七色のオーロラ。六十秒の鼓動。大陸獣エルシオンの、安らかな寝息。
明日もこの大地を歩く。くすぐったいと言われても。