作品タイトル不明
[対話]
白い空間にいた。
上も下も左も右もない。境界がない。白い光だけがどこまでも広がっている。
トワは立っていた。足元に地面の感覚はないが、立てている。重力はある。だが方向がない。
セレスがいない。ルーナがいない。仲間が誰もいない。
一人。
見聞録を起動した。
【接続エラー:外部データベースへのアクセスが遮断されています】
【現在地:不明】
【マップデータ:取得不可】
「見聞録が使えない。──虚空の祭壇と同じだ」
見聞録もスキルもアイテムも使えない。裸の状態。今までの蓄積が全て剥がされている。
だが、足はある。記憶もある。
「──誰か、いるのか」
白い空間に声が響いた。自分の声。反響しない。吸い込まれるように消える。
返事はなかった。
歩いた。白い空間を。方向もわからないまま。
一歩。二歩。三歩。
百歩。
何も変わらない。白い空間。
千歩。
足が止まらない。歩くことに迷いはない。もう今となっては習慣だ。歩けば、何かが見つかる。いつもそうだった。何もない場所を歩くのは初めてじゃない。旅人の最終試練も虚空の祭壇も、何もない場所だった。何もない場所で歩き続けること。それが……自分の本質かもしれない。
二千歩。足音だけが聞こえる。こつ、こつ、と。地面はないはずなのに、足音がする。
三千歩目。
足の裏の感触が変わった。
硬い。石。──いや、違う。鼓動がある。足の裏に、脈拍が伝わってきた。
「地面が──脈打っている」
どくん。どくん。どくん。どくん。二十九秒周期。心臓と同じリズム。
足の下に、 何(・) か(・) が(・) い(・) る(・) 。
「 お(・) 前(・) が(・) ── エ(・) ル(・) シ(・) オ(・) ン(・) か(・) 」
返事はなかったが、鼓動が一回だけ強くなった。
どくん。
「聞こえているのか」
どくん。
「俺の言葉は、理解できるのか?」
長い沈黙のあと、
──声が聞こえた。
いや、声ではなかった。音でもなかった。足の裏を通じて、振動が身体に伝わり、その振動が意味を持った。振動の意味は──『ながい』。
「長い……?」
トワはあるいた。ながく、歩き続ける。
「ほら、長く歩いたぞ、お前の身体の上を」
また振動が返ってきた。意味は──『くすぐったかった』。
「くすぐったい?」
──あしのうら。ちいさい。いっぱいあるく。くすぐったい。
トワは一瞬、言葉を失った。
【大陸獣エルシオン】……大地そのもので、山と海と森と砂漠を背中に載せた巨大な生き物。その生き物が──足の裏がくすぐったい、と言っている。
「いままで……ずっと、くすぐったかったのか」
──ずっと。でもいやじゃない。あしおとがすき。
「足音が、好き?」
──しずか。やさしい。おもくない。ほかのいきものはおもい。たてものをたてる。やまをけずる。おもい。でもおまえは、あるくだけ。かるい。
「俺は何も建てていないからな。歩くだけだ」
──あるくだけのいきもの。すき。
エルシオンの声──振動は、幼い。知性は高いのだろうが、言葉の言い方が子供のようだ。眠っている生き物。夢の中で寝言を言っているような。
「お前に聞きたいことがある」
──なに。
「心拍が速い。二十九秒周期。正常は六十秒だとルトヴィアに聞いた。速くなった原因は調律者の消滅だと理解しているが、お前自身はどう感じている?」
──くるしい。
「苦しいか」
──どきどきがとまらない。ねむりたいのに、からだがおきようとする。おきたくない。おきたらせなかのいきものがおちる。
「起きたら背中の生き物が落ちる。──それを防ぐために来た。臍の結晶で心拍を安定させる」
──しってる。へそのけっしょう。むかしつくった。ちょうりつしゃがこわれたときのよび。
「予備か。お前が自分で作ったのか」
──うん。むかし。おぼえてる。
「結晶を心臓に埋め込む。六十秒に戻す。それでいいか」
──いい。でも。
「でも?」
──おまえにきく。おまえはわたしのからだをぜんぶしっている?
「踏破率100%だ。お前の身体の全てを歩いた」
──じゃあきく。
振動が変わった。試験の始まり。
──みなみのうみのいちばんふかいところに、なにがある?
「深度四百五十メートルの洞窟群の奥に、古代の水中都市がある。調和の里の前身だ。壁に七属性の紋章が刻まれている」
──きたのやまのいちばんたかいところに、なにがさいている?
「星花。白い花。夜に光る。星鋼の原料になる。標高三千二百メートルの山頂にだけ咲く」
──はいいろのへいげんのまんなかに、なにがある?
「世界の臍。白い石の神殿。臍の結晶が安置されていた台座。虚空のエリアなのに属性がある唯一の構造物」
──ひのエリアのようがんのしたに、だれがすんでいる?
「灼炎のヴォルガ──ではなく、ヴォルガの一族の幼体が三体。溶岩の温度で孵化を待っている。ヴォルガが守っている」
──かぜのエリアのいちばんつよいかぜは、なんびょうふく?
「十二秒周期。ただし、秋分の日だけ七秒に加速する。セレイアの羽ばたきと同期している」
──つちのエリアのいちばんふるいいしは、なんねんまえのいし。
「四千七百年前。ガロンの身体と同じ岩盤層から採取される。ガロンはエルシオンの最初の住人の一人だ」
──ひかりのエリアのひょうがのしたに、なにがかくれている?
「星鋼の大鉱脈。セレスが十五日間月光を出し続けて溶かした氷河の下にある。ソレイスが千年前に隠した」
──やみのエリアのもりのおくで、よるのせいれいがなにをした?
「ルーナが闇のモンスターの群れを一人で殲滅した。影を通路にして、一晩で森の奥を踏破した。闇のエリアの踏破調査を一日で8%分こなした」
──さいご。わたしのなまえは?
「エルシオン」
長い沈黙。鼓動が二回。
──ぜんぶあってる。
「全問正解か」
──うそついたらわかる。あしのうらでうそはつけない。おまえのあしおとはいつもまっすぐだった。まがったことがない。
「歩き方が真っ直ぐなだけだ。性格の話じゃないだろ」
──おなじ。あるきかたはせいかく。
エルシオンが笑った──ような振動があった。大陸が笑うと、地面が微かに跳ねる。体内にいるから、振動が全身を包み込んだ。
「笑ったのか」
──わらった。ひさしぶりにわらった。ねてるあいだ、わらうことなかった。
「いつから、眠っているんだ?」
──ずっと。せかいができたときから。おきたことない。おきたくない。ねてるのがすき。
「ずっと眠っていて、退屈ではないのか」
──たいくつじゃない。ゆめをみてる。せなかのうえのいきもののゆめ。おまえたちのゆめ。あしおとのゆめ。
「俺たちが歩く足音が、お前の夢になっているのか」
──うん。いいゆめ。
そして──振動が、温かくなった。
──ぜんぶしってる。ぜんぶあるいた。ぜんぶおぼえてる。
「ああ……全部、覚えている」
──おまえのあしおとが、いちばんすき。
「光栄なことだな、それは」
──けっしょうをうめて。ねむらせて。もうすこし、ねむりたい。
「ああ。──もう少し、眠っていてくれ」
臍の結晶を取り出した。白い空間の中で、七色に光る結晶。手の中で脈打っている。
足元の鼓動に合わせて、結晶を地面に押し当てた。
結晶が沈んでいく。白い地面の中に。七色の光が地面に広がる──
──その瞬間。
赤い亀裂が走った。
白い空間に。七本の赤い線が。放射状に。
「これは──何だ!? おい、エルシオン。いったい、何が起きている!」
──いたい。
「痛い?」
──いたい! いたい! からだのなかに──のこってる! あの──ちょうりつしゃの──!
振動が激しくなった。白い空間が揺れる。赤い亀裂が広がる。
【警告:蝕印残滓を検出しました】
【調律者の蝕印が七箇所で同時に暴走しています】
【大陸獣エルシオンの免疫反応が過剰発動します】
「【蝕印】──調律者を倒した時の残骸か。身体の中に残っていたのか……!」
──おきたくない! おきたくないのに──からだが、かってに──!
エルシオンの声が悲鳴に変わった。【大陸獣】が目覚めようとしている。【蝕印】の残滓が免疫反応を誘発し、心拍がさらに加速している。
【心拍:29秒→27秒→25秒→──】
25秒。半覚醒ライン。
白い空間が崩れ始めた。トワの足元がひび割れる。
「結晶は──!」
結晶は、まだ半分しか埋められていない。完全に埋め込むには、蝕印を先に除去しなければならない。だが蝕印は、エルシオンの身体の中──大陸の七つのエリアに散らばっている。
ここにいるトワ一人では、七箇所同時に対処できない。
「──外の仲間に繋げるか」
【通信:遮断中】
「見聞録もチャットも使えない。──クソ!」
白い空間の外で、何かが起きていた。
トワには見えないが、エルシオンの振動を通じて、大陸の表面で何が起きているかが伝わってきた。
火のエリアで火山が噴火した。
水のエリアで津波が発生した。
風のエリアで竜巻が複数発生した。
土のエリアで山脈が崩壊し始めた。
光のエリアで氷原が溶解した。
闇のエリアで森が暴走し、闇のモンスターが大量にスポーンした。
虚空のエリアで属性が消失し、灰色が拡大し始めた。
七つのエリアで同時に異変。大陸獣の免疫が過剰反応している。身体を守ろうとして、逆に身体を壊している。
「エルシオン、聞こえるか!」
──いたい。こわい。おきたくない。
「起きなくていい。起きなくていいから──外で起きていることを俺に見せろ。お前の身体の状態を、俺に伝えろ」
──みせる?
「お前の目で見ているものを、俺に伝えろ。俺がお前の身体なら、俺が感じていることをお前に伝えるだろう。その逆を、やってくれ」
──わかった。
白い空間に、七つの映像が浮かんだ。
七つのエリア。七つの異変。リアルタイム。
トワはそれを見て──理解した。七つの蝕印の場所。七つの暴走の原因。七つの対処法。
だが、自分は動けない。心臓の前から離れれば、結晶が弾き出される。ここに留まって、結晶を押さえ続けなければならない。
「俺は動けない。だが──」
その時、白い空間の外から──声が聞こえた。
チャットではない。システムメッセージでもない。
セレスの声だ。
「トワ! きこえる!? エルシオンが、さけんでる! みんな、きこえてるよ!」
エルシオンの悲鳴が、大陸全体に響いていた。BCOにログインしている全プレイヤーの耳に。
そして──
【緊急システムメッセージ】
【緊急レイドイベント「大陸の鼓動」が発生しました】
【エルシオンにいる全プレイヤーが自動的に参加します】
【参加人数:87,294……87,312……87,389……】