作品タイトル不明
春の約束
現実世界。三月中旬。
桜が咲き始めていた。まだ三分咲き。冬の枝だけだった景色が、ほんのり春色に染まっている。
冬夜と宮瀬がキャンパスを歩いている。春休み中だが、図書館に用事があった。
「久坂くん。桜、咲いたね」
「三分咲きだ。満開は来週くらいだろう」
「花見しよう。みんなで」
「みんなとは、誰のことだ?」
「蓮くんとミコトちゃんと。──あと、ゲームの仲間も誘えたらいいけど」
「ゲームの仲間を、リアルの花見に呼ぶのか」
「オフ会と花見を兼ねて。──蓮くんが前に言ってたでしょ」
「言っていた。──いいかもしれないな」
「久坂くんが『いいかもしれない』って言うの、結構珍しい。──嬉しい」
蓮からメッセージ。
蓮:「短編、五千部刷って三千部売れた。増刷がかかったぞ」
冬夜:「すごいじゃないか」
蓮:「すごくない。五千部のアンソロジーで三千部は普通だ。──だが、レビューが良い。特に『七千時間の旅路』の評価が高い」
冬夜:「お前の文章力だろ」
蓮:「お前の旅の力だ。──ところで、来月花見をやらないか。リアルでゲーム仲間と」
冬夜:「宮瀬が同じことを言っていた。──やろう」
蓮:「二人とも同時に同じ提案。……お似合いだな」
冬夜:「余計なお世話だ」
ミコトからも。
ミコト:「久坂さん! 春から三年生です、受験生になります!」
冬夜:「いよいよだな」
ミコト:「はい。志望校はメディアコミュニケーション学部です。配信の経験を活かせる学部を見つけたので、やっぱりここに行きたいかなって」
冬夜:「いい選択だな、頑張れ」
ミコト:「配信もやめません。勉強と両立します。久坂さんがBCOと大学を両立してるのを見てきたので」
冬夜:「両立は大変だぞ」
ミコト:「大変でもやります。全部やります。……あの、花見の話、聞きました。わたしも行っていいですか」
冬夜:「来い」
ミコト:「やった──!」
「ミコトちゃん、受験生かあ」宮瀬が微笑んだ。
「志望校も決まってるし、しっかりしてるな」
「ミコトちゃんは大丈夫だよ。配信で鍛えた集中力は本物だから」
キャンパスの桜の下を歩いている。三分咲きの桜。来週には満開になる。
「久坂くん」
「なんだ」
「一年前の春、わたしたちまだ付き合ってなかったよね」
「付き合っていなかった。──お前は図書館でレポートを書いていて、俺はその隣にいた」
「隣にはいたんだ」
「いた。──同じ講義を取っていたから」
「同じ講義を取っていたから、隣にいたの? それとも、隣にいたかったから同じ講義を取ったの?」
「……どちらだったか、覚えていない」
「嘘。久坂くんは全部覚えてるって、前に言ったでしょ」
「……後者だ」
「──! 久坂くん、それ──」
「何だ」
「告白より前に、もう隣にいたかったってこと?」
「まあ……事実を述べただけだ」
宮瀬が立ち止まって、両手で顔を覆った。
「久坂くん……お花見の前に、わたしを倒すのやめてくれない?」
「倒していない。あくまでも俺は、事実を……」
「事実禁止! 今日は事実禁止なの!」
「事実を禁止されたら、何を言えばいいんだ」
「嘘でも言って!」
「嘘はつけない」
「そこは嘘でもいいのに──!」
タマキが冬夜の肩をぽかぽか叩いて、冬夜はやりづらそうに目をそらしている」。
蓮なら「ごちそうさまでした」と言うところだった。
桜の下を歩く。三分咲き。来週満開。来月花見。
ゲームでも現実でも、春が来ている。
◇
夜。ログイン。
エルシオンの調和の里。ルトヴィアが広場にいた。
「旅人。──朗報がある」
「何だ」
「七体の獣王が集まって会議を開いた。お前たちへの感謝と、今後の大陸の管理について。──その結果、獣王たちがお前に一つの権利を認めた」
【七体の獣王の総意により、旅人トワに「自由通行権」が付与されました】
【効果:エルシオンの全エリア(獣王の領域を含む)に制限なく立ち入ることができます】
【さらに:七体の獣王をいつでも呼び出して協力を要請できます(一日一回制限)】
「獣王を、呼び出せる──!?」
「一日一回だがな。困った時に七体の獣王のうち一体を呼べる。……強い味方だ」
「強いどころじゃない。第三位階の獣王を、戦闘に参加させられるのか」
「戦闘だけではない。移動の補助、情報収集、地形の変更──獣王にできることなら何でもだ」
セレスが目を輝かせた。
「トワ。オルグレン、よべる?」
「呼べる。一日一回だが」
「オルグレンにのりたい」
「乗るのか。闇の獣王の背中に」
「のる。──おおきいいぬ。のりたい」
「犬ではない。狼だ。第三位階の獣王だ」
「トワ。おおきいおおかみ、のりたい」
「……オルグレンに聞け。俺が判断することじゃない」
試しにオルグレンを呼んでみた。
【獣王召喚──冥牙のオルグレンを呼び出します】
地面から闇のオーラが立ち上り──巨大な黒い狼が現れた。十五メートル。調和の里がオルグレンの影で暗くなった。
里のNPCたちが腰を抜かした。ルトヴィアだけが平然としていた。
「オルグレン。──セレスがお前の背中に乗りたいと言っている」
「……何?」
セレスがオルグレンの鼻先に飛んでいった。
「オルグレン。せなか、のせて」
「俺は獣王だぞ。乗り物ではない」
「おねがい」
セレスがオルグレンの鼻先に着地して、大きな金色の瞳を見上げた。手のひらサイズの精霊が、十五メートルの狼の鼻の上に立っている。
オルグレンが目を逸らした。
「……一度だけだぞ」
「やった──!」
セレスがオルグレンの背中に飛び乗った。黒い毛並みの上に銀色の精霊。
「たかい──! すごい、トワみて! セレス、おおかみにのってる!」
「見えている。……ガロンに続いて、オルグレンまで精霊に弱いのか」
オルグレンが低い声で唸った。
「弱くない。──断じて弱くない」
「弱いですね」ハルがメモを取った。
「導師。記録するな」
「記録は、導師の仕事です!」
オルグレンの背中でセレスがはしゃいでいる。ルーナが影の中から手を出して、オルグレンの尻尾を触った。
「ふわふわ。──オルグレンの尻尾、ふわふわ」
「尻尾を触るな」
「ふわふわ」
「聞いているのか、夜の精霊」
「きいてる。──ふわふわ」
第三位階の闇の獣王が、第二位階の精霊二人にいじられている。世界の序列とは何だったのか。
トワは見ていた。腕を組んで、里の広場で繰り広げられる異種族交流を。
エルシオンの踏破率は8%。まだ九十二パーセントの未知が残っている。深淵の気配もある。黒幕の紋章の謎も完全には解けていない。
だが今は、セレスがオルグレンの背中ではしゃいでいて、ルーナが尻尾をもふもふしていて、ガロンが遠くから羨ましそうに見ていて、タマキが石餅のレシピを試作していて、ハルがメモを取っていて、ゼクスが壁に寄りかかって鼻で笑っていて、アストレアが聖剣を磨いていて、テンがブーツの上で穏やかに光っている。
──悪くない日だ。
「トワ。あしたはどこいく?」セレスがオルグレンの背中から言った。
「明日は……虚空のエリアの続きだ。【深淵】の気配を調べる」
「しんえん。こわくない?」
「怖くない。お前がいるから」
「えへへ。じゃあ、あしたもがんばる」
「ああ。──明日も歩く」
エルシオンの空に、虹がかかっていた。