作品タイトル不明
[深淵の気配]
光のエリアの探索を終え、虚空のエリアに移動した。
虚空のエリアは大陸の東端。アルケイアが棲んでいた場所。──だが獣王が不在だった半年間に、エリアの環境が大きく変わっていた。
「何も……ない」
文字通り、何もなかった。アストラムの虚空の高原と似ている。草がない。岩がない。地面はあるが属性がない。灰色の平原。
「アルケイアが戻ったのに──回復していないのか?」
「虚空は他の属性と違います」ハルが見聞録のデータを読んでいた。「他の六属性は獣王が戻れば自然回復しますけど、虚空だけは──元から『何もない』が正常なんです」
「何もないのが正常。──虚空のエリアは、最初からこうだったのか」
「たぶんですが、虚空は全てがある場所にして何もない場所。──この灰色の平原が、虚空の正しい姿」
テンがブーツの上で不規則に光った。五回のパターンではない。もっと複雑な明滅。
「テン──今のは何だ」
テンが止まった。光が消えた。──そして、一回だけ、非常に弱い光を出した。
「弱い光。──これまで見たことのないパターンだ」
「テンちゃん、何か感じてるんですか」タマキがトワのブーツを覗き込んだ。
テンが震えていた。光ではなく、身体が。小さな甲虫の身体が、微かに震えている。
「怯えている──? テンが」
テンは闇感知の甲虫だ。闇を感知する。怯えるのは──感知した闇が、テンの許容を超えた時。
アストラムでは虚空の門の亀裂で五回の警告を出していた。
「テンが怯えるレベルの闇が──この大陸の地下にある」
「闇──? ここは虚空のエリアですよ。闇のエリアじゃなくて」
「虚空は全てを含む。闇も──含んでいる。虚空のエリアの地下に、闇が──いや、深淵が」
見聞録の全属性解析を地面に向けて起動した。地表ではなく地下を読む。
データが──返ってこなかった。
「スキャン不可。──全属性解析でも、地下の深い場所は読めない」
「アストラムの虚空の高原と同じですか? スキャンが……通らない」
「似ているが、あの時は『データがない』だった。今回は──『データが拒否されている』。何かが、スキャンを弾いている」
ルーナが影の中から声を出した。小さな声。
「トワ。──わたし、聞こえる。地面の下から──声が」
「声──?」
「声というか──呼吸。何かが眠っている。すごく大きい。すごく深い。──わたしが千年間、闇の中で聞いていた音と、似ている」
「ルーナが『よるこ』だった頃に聞いていた音か」
「うん。深淵の──底の音。世界の一番下で、何かが息をしている音」
セレスの角がぴくっと反応した。
「セレスにもきこえる。──ちいさい。とおい。でも──ある。なにか、いる」
「精霊二人が感知している。全属性解析では読めない深い場所に、何かがいる」
「【深淵】か──」ゼクスが地面を見た。
「わからない。──だが、エルシオンの地下にも、【深淵】に繋がる何かがある可能性がある。アストラムの虚空の門の下にあったように」
「どうする」
「今は──記録だけする。見聞録に位置情報を残す。【深淵】は今の俺たちの手に負える範囲を超えているからな」
「手に負えないと認めるのか。──珍しいな」
「認める時は認める。【深淵】はグランが番人をしている。入場条件がある。三つの祝福と、最後の鍵。まだ揃っていない……準備ができるまで、手を出すべきじゃない」
「慎重だな、お前にしては」
「勝てない相手には、勝てるようになってから挑む。──旅人は死んだら終わりだ」
虚空のエリアを後にした。地下の気配を見聞録に記録して。
調和の里に戻る道すがら、ハルが聞いた。
「師匠……【深淵】って──エルシオンにもあるんですか。始まりの町の直下にあるものだと思ってましたけど」
「【深淵】は世界の底だ。世界のどこにでも──底はある。始まりの町の下にも、アストラムの下にも、エルシオンの下にも──全部、繋がっているのかもしれない」
「全部繋がっている……怖いですね」
「怖くない。底があるから地面がある。底がなければ、俺たちは立てない」
「師匠。たまに哲学的なこと言いますよね」
「哲学じゃない。見聞録のデータから導いた推論だ」
「データから哲学が出てくるの、師匠だけですよ」