作品タイトル不明
十一月
木曜日。現実世界。十月一日。
朝が冷えるようになった。窓を開けると息が白い。キャンパスの銀杏はほとんど散って、地面が金色の絨毯になっている。
スマホが鳴った。
宮瀬:「おはよう。今日から十一月だね」
冬夜:「ああ」
宮瀬:「付き合い始めて二ヶ月です。覚えてる?」
冬夜:「覚えている」
宮瀬:「覚えてるんだ。嬉しい」
冬夜:「忘れる理由がない」
宮瀬:「えへへ」
二ヶ月。図書館で「一緒に歩きたい」と言い合ってから、二ヶ月が経った。日常は変わったようで、あまり変わっていない。一緒に図書館で勉強する。一緒に食堂で食べる。一緒に帰る。一緒にログインする。変わったのは、帰り道に手が繋がっていることと、スマホの連絡が毎日あること。
それだけの日常に、トワは温かいものを感じた。
◇
大学。昼休み。食堂。三人で昼飯。
「大学祭が来週だ」蓮が言った。
「知っている」
「参加する気は」
「ない」
「宮瀬さんは?」
「薬学部のブースを手伝います。ハーブティーの無料配布。自分でブレンドしたやつ」
「ゲームの中でもポーション作ってて、現実でもお茶作ってるのか」
「調合は趣味です。BCOのおかげで、配合のセンス上がりました」
蓮が冬夜に向き直った。
「文学部はカフェをやる。俺が朗読をやることになった」
「お前が……朗読?」
「自作の短編。テーマは旅。タイトルは──『七千時間』」
冬夜の箸が止まった。
「冗談だろう」
「冗談じゃない。BCOの旅人の話を純文学にした。ゲームとは明言していないし、読者にはどちらでも読める構成だ」
「──行く」
宮瀬が目を丸くした。
「久坂くん、大学祭に行くの? リアルのイベントに自分から行くの、初めてじゃない?」
「蓮の朗読を聞きに行くだけだ」
「でも行くんだ。──じゃあ、薬学部のブースにも来てね」
「行く」
「約束だよ」
「約束だ」
蓮がうどんを啜りながら二人を見ている。
「お前ら、約束が多いな」
「約束は大事だ。帰る場所が増える」
「いいこと言うじゃないか。──短編に使っていいか」
「使うな」
「もう書いた」
◇
土曜日。大学祭。
キャンパスが人で溢れていた。模擬店の煙と声と音楽。冬夜は人混みが苦手だが、今日は来る理由がある。
まず薬学部のブース。宮瀬が白衣にエプロンで、紙コップにハーブティーを注いでいた。
「久坂くん! 来てくれた!」
「来ると言ったからな」
「待ってたよ。はい、久坂くん専用ブレンド。カモミールとミントとレモングラス! リラックス効果盛りだくさんだよ!」
「俺は、いつもリラックスしてるぞ」
「してないよ。人混みで肩が上がってるもん。飲めば下がるから」
飲んだ。確かに肩の力が抜ける。それに美味い。
「ゲームのキャラクター名で自分を呼ぶな」
「だって。調合してる時のわたしは、タマキなの。モードが切り替わるの」
ミコトからメッセージが来た。今から遊びに来たいと、配信なしで。
三十分後、ミコトが来た。私服。帽子。高校二年生の女の子。
「大きいですね、大学って」
「ミコトちゃん!」宮瀬が手を振った。「ミコトちゃん用のブレンドも作ってあるの。喉に優しいやつ」
「わたし専用!? 嬉しい!」
冬夜は二人のやり取りを見ながら、二杯目のハーブティーを飲んでいた。宮瀬がこっちを見て、いつもの笑い方をした。パッシブスキル【えへへ】が発動した。
◇
三時。文学部の教室。蓮の朗読。
──男は歩いていた。どこかの世界を。地図のない世界を。剣も魔法も持たず、目と耳と足だけで。七千時間。
作中に「ゲーム」という言葉は一度も出てこない。だがBCOを知っていれば、トワの物語だとわかる。知らなければ、旅人の文学として読める。蓮の筆力が確かだった。食堂でうどんを食べながら話していた男が、壇上でこれほどの言葉を紡ぐとは。
「どうだった」朗読が終わった後、蓮が聞いた。
「良かった」
「短いな、もう少し感想をくれ」
「お前がゲームの外から見ていた三年間が、言葉になっていた」
「──ありがとう。冬夜」
教室を出た後、蓮が肩を叩いた。
「冬夜。──出版社に持ち込む、卒業までに」
「本気か」
「本気だ。お前の旅を、もっと多くの人に届けたい」
「俺の旅ではない。お前の小説だ」
「お前の旅がなければ書けなかった。──認めろ」
「……認める」
「素直だな。成長したぞ、冬夜」
「うるさい」
帰り道。宮瀬と並んで歩いた。夕暮れ。枝だけの銀杏並木。
「来年も、一緒に来ようね」
「ああ、来年も」
「あと──来月から薬学部の病院実習が始まるの。二週間、朝八時から夕方五時まで。ログイン時間が減るけど、夜九時以降は空くから」
「無理をするな。タマキの薬の在庫は俺が管理しておく」
「薬の心配なの? わたしの心配じゃなくて?」
「お前の心配もしてるぞ」
「もう……またそういう言葉を、簡単に言っちゃうんだから」
宮瀬はぷいっと顔を逸らした。でも嫌じゃない。むしろ嬉しそうに、頬を膨らませていた。