作品タイトル不明
〈開通〉
闇が晴れた回廊を、トワは一人で歩いていた。
金色の光に満ちた通路。壁の星の紋章が輝き、天井の苔が光り、床が温かい。千年ぶりに本来の姿を取り戻した回廊。
テンがブーツの上で光っていない。闇の気配がゼロ。完全に浄化されている。
「テン。お前の仕事は終わりだ。もう光らなくていい」
テンが一回だけ光った。闇の警告ではない。「お疲れさま」の光。
歩を進めた。浄化された回廊は、闇に覆われていた頃とは別の場所だった。
壁に彫刻があった。闇の中では見えなかった。行列する人々の姿。馬車。荷を背負った旅人。商人。子どもたち。古代星王朝の時代、この回廊を通った人々の日常が、壁一面に刻まれている。
天井を見上げた。星の苔ではない。苔の奥に、天井そのものが発光している。星の紋章が等間隔に並び、紋章同士が金色の線で繋がっている。星座の図だ。新大陸の夜空をそのまま地下に写し取った設計。回廊を歩く人間が、地下にいても星を見失わないように。
「──すごいな」
思わず声が出た。独り言。七千時間で何度も圧倒されてきたが、これは格別だった。千年間闇に閉ざされていた美が、光と共に一気に現れた。
壁の彫刻の中に、旅人が繰り返し描かれていた。杖を持ち、荷を背負い、先頭を歩く姿。後ろに続く大勢の人々。旅人が道を切り拓き、人々がそこを歩く。
古代の旅人も──同じだったのだ。最初に歩く者がいて、後から道になる。
「セレス。見ろ。壁の旅人」
「……みた。トワとおなじ」
「同じか」
「おなじ。さきにあるく。みんなが、あとからくる。──ずっとむかしから、そう」
セレスの声は疲労で弱いが、角がかすかに光った。壁画の旅人を見て、嬉しかったのだろう。
柱の一本一本に、行き先の地名が刻まれている。ナハル。オルテリア。星花の里。星巡りの塔。海底都市。そして──まだ知らない名前がいくつもある。東側の都市。回廊を使って、大陸全域に行けたのだ。
二十分ほど歩いた。禁域を抜けた先は、結晶体の光が隅々まで行き渡っていて、闇の痕跡がまるでない。空気が温かい。地下水脈の湿った冷気とは違う、乾いた、清潔な温もり。星のエネルギーが循環している証拠だ。
回廊の東口が見えた。扉が開いている。その向こうに、光が差し込んでいる。太陽の光。地上の光。
扉を出た。
風が吹いた。地下の温もりとは違う、冷たい山の風。標高が高い。耳が痛くなるほどの静寂の後に、鳥の声が聞こえた。虫の羽音。草が揺れる音。世界の音だ。
山の斜面だった。東側の山脈。眼下に平原が広がっている。新大陸の東半分。まだ踏破していないエリア。地平線まで続く草原が、夕日を受けて金色に染まっている。遥か遠くに湖が見える。光を反射して、星のように瞬いている。
見聞録が復帰した。UIが画面に戻ってくる。HPバー。MPバー。ミニマップ。禁域で消えていた全てが復活した。HPは残り87。360のうち87。かなり削られていた。闇の冷気が身体を蝕んでいたのだ。自覚がなかっただけで。
「HP87か。結構ギリギリだったな」
「トワ、きづいてなかったの」
「闇の中ではHPが見えなかったし、痛みも感じなかったからな」
「きおくが、いたみもふせいでたんだ。──すごいけど、こわい」
「ああ。次はもう少し慎重にやる」
「うそ。トワはしんちょうにやらない」
「……否定できないな」
【星の回廊・東口に到達しました】
【星の回廊──全区間開通】
【アストラム踏破率:58.3%(回廊エリア含む)】
踏破率が一気に跳ね上がった。41%から58%。回廊自体が巨大なエリアだったため、開通するだけで大幅に増えた。
振り返ると、回廊の東口の扉の上に文字が浮かんでいた。
【「この回廊を歩いた旅人に、星が祝福を送る。──古代星王朝の記録より」】
システムメッセージが続いた。
【称号「回廊を拓きし者」を獲得しました】
【星の回廊が全プレイヤーに開放されました】
【星の回廊の全中継拠点が転送ポイントとして使用可能になりました】
「全プレイヤーに開放された。転送ポイントもついた。これで回廊が大陸の交通網として機能する」
スマホが鳴った。チャットの通知。大量に。ハルから。タマキから。ゼクスから。ダリオから。蓮から。
ハル:「師匠!!! 回廊開通のシステムメッセージが全プレイヤーに出ました!!! フォーラムが爆発してます!!!」
タマキ:「トワさん無事ですか!? HP見えなくなって、心配でした!」
ゼクス:「拠点から回廊の闇が消えた。本当に、お前が全部やったのか」
ダリオ:「回廊開通!? これ、陸路で東まで行けるってことか!? すげえ!」
蓮:「見てたぞ。フォーラムの実況が止まってる。みんな言葉を失ってる」
フォーラムを開いた。
【速報】星の回廊──全区間開通!!!【トワが単独で禁域を突破】
──「開通した!!!!」
──「回廊が全プレイヤーに開放された!!」
──「転送ポイントきたあああ!! ナハルからオルテリアまで一瞬で行けるぞ!!」
──「東口が開いた! 東半分のエリアに行けるぞ!」
──「踏破率が一気に跳ねた。回廊だけで17%増加って、どういうこと?」
──「禁域をトワが単独突破したらしい」
──「単独で!? あの闇の中を一人で!?」
──「HP360で禁域を歩くの、正気じゃない」
──「正気じゃないのはいつものことだろ」
──「結晶体を記憶干渉で浄化したってよ。殺さずに元に戻した、とんでもない人だよほんと」
──「トワが通った後に、闇が全部消えてる。回廊がきれいに光ってる」
──「旅人が歩いた道が、光の道になる。比喩じゃなくて物理的に」
──「BCO三年目、いまだに更新し続けるLv1旅人」
──「最高だ。この旅人を見てきてよかった」
フォーラムを閉じた。
東口の扉から回廊の中を覗き込むと、金色の光の通路がまっすぐに伸びている。壁画の旅人たちが光に照らされている。その通路の奥から──足音が聞こえた。
一人ではない。複数。走っている。
「師匠ーーーー!!!」
ハルの声だ。回廊の中を、全力で走ってくる。杖を振り回しながら。その後ろにタマキ。ゼクス。アストレア。四人が全力で回廊を駆け抜けてきた。
第三拠点から東口まで、十五キロ以上ある。闇が消えた瞬間に走り出したのだろう。全員息を切らしている。
ハルが最初に東口に飛び出してきた。トワを見た。立っている。無事だ。
「師匠……! よかった……!」
ハルの目が赤い。走りながら泣いていたのだ。
「泣くな。帰ってきただろう」
「泣いてません。走ったら、目に風が入っただけです」
「致命的に嘘が下手だな……」
「師匠にだけは言われたくないです!」
タマキが駆け寄って、即座にトワのHPを確認した。
「HP87!? ちょっと、危ないじゃないですか!」
「大丈夫だ。死んでいない」
「死んでないのは、結果論です!」
タマキが回復薬を押し付けた。有無を言わさず飲ませた。HPが全回復した。
「トワさんは自分のHPを軽く見すぎです。禁域が終わった後で、回復薬を飲まなかったんでしょう。パンは食べたのに」
「パンは、セレスが差し出したからな……」
「薬も差し出します。これからは」
ゼクスが短剣を鞘に収めながら、回廊の壁を見回していた。金色の光。星座の天井。壁画の行列。
「見事なものだな。闇に隠れていた美が、これか」
「ああ。歩く価値がある道だった」
「お前はいつも、歩いた後にそう言うな」
「歩く前には言えない。歩いてみないとわからないから」
ゼクスが笑った。今度は呆れた笑いじゃなくて、素直に彼を褒め称える笑みだった。
「お疲れさま、トワさん」
「ああ……アストレアも、よくここまで来てくれた」
アストレアが聖剣を掲げて、東口から見える夕日の平原に向かって一礼した。
「新しい大地に──聖騎士の祈りを。この地が平和であることを」
「アストレアさん。きれいです」ハルがまだ鼻声で言った。
「聖騎士の矜持です」
「矜持の使い方、だんだん正しくなってきましたね」
トワは東口の前に座った。疲れていた。七千時間の中でも、これほど消耗したことはあまりない。だが隣に仲間がいる。禁域を一人で歩いたが、帰ってきた場所には人がいた。
セレスが肩の上で、ぐったりしていた。月光の全てをルーナに渡して、自分の力がほとんど残っていない。
「セレス。お疲れ」
「つかれた……。おやつ……」
「エリーのパン、まだあるか」
「ある。さいごのいっこ」
「食べろ」
「トワも、たべて」
「俺はいい。お前が食べろ」
「はんぶんこ」
セレスがパンを半分に割って、片方をトワに差し出した。手のひらサイズの精霊が、手のひらサイズのパンの半分を。
「……ありがとう」
「えへへ」
二人でパンを食べた。回廊の東口で。金色の光に照らされながら。
ルーナが影の中から声を出した。
「わたしも……食べたい……」
「ルーナのぶん、とっておいたよ」
セレスが影の縁にパンの欠片を置いた。ルーナが手を伸ばして、もそもそと食べた。
「……おいしい」
「エリーのパンは、いつもおいしい」
「うん。いつもおいしい」
三人と一匹で、パンを分け合った。世界で最も深い闇を越えた後の、世界で最もささやかな食事だった。