作品タイトル不明
鋏と夕暮れ
中継地点に到達したので、進行はいったんここで終わることに。
次にログインする時に、またパーティーで進める手筈となった。
そして土曜日。現実世界。十月下旬。
冬夜と宮瀬が、商店街を歩いていた。
「久坂くん、美容院行こうよ」
「俺は行かない」
「久坂くん、髪伸びすぎだよ。前髪で目が隠れてる」
「十分見えているぞ」
「見えてないよ。わたしから見ると、久坂くんの目が半分しか見えないの。もったいないよ、いい目してるのに」
「いい目とは……何だ?」
「まっすぐな目。嘘がない目。わたしが好きな目」
「……」
「はい、ここ。予約してあるから」
「予約してあるのか」
「久坂くんは自分からは絶対行かないから、わたしが予約しました。強制イベントです」
「ゲームの用語をリアルに持ち込むな」
「持ち込みます。久坂くんの人生にイベント発生させるのは、わたしの仕事です」
美容院に入った。冬夜は美容院が苦手だ。鏡の前に座って、知らない人に頭を触られるのが。だが宮瀬が隣の椅子に座って、にこにこしているので、逃げられなかった。
「どのくらい切りますか?」美容師が聞いた。
「前髪を目にかからないくらいに。あと全体的に軽く。くせ毛なので、自然に流れるように──」宮瀬が答えた。
「俺に聞いてくれないのか」
「久坂くんに聞いたら『短く』としか言わないでしょ」
「短く」
「ほらね」
三十分後。鏡を見た。前髪が上がって、額が出ている。全体的にすっきりした。
「どう?」宮瀬が鏡越しに聞いた。
「……悪くない」
「悪くないじゃなくて。かっこいいでしょ」
「自分でかっこいいとは言わない」
「じゃあわたしが言う。かっこいい。久坂くん、かっこいい」
「……ありがとう」
「えへへ」
美容院を出た。秋の風が、短くなった髪を撫でた。いつもより涼しい。軽い。
「ねえ、久坂くん」
「なんだ」
「BCOの中のトワさんも、髪切れないかな」
「ゲームのアバターは固定だ。髪型は変えられない」
「残念。ゲームの中でも、今の久坂くんの髪型にしたいのに」
「なぜだ?」
「だって、目がちゃんと見えるから。トワさんの目。まっすぐで、きれいな目」
「ゲームのアバターの目は、全員同じモデルだぞ」
「そうだけど。トワさんの目は違うの。操作してる人が違うから。久坂くんが見てる目だから」
「それは画面の向こう側の話であって、アバターの目とは関係ない」
「理屈じゃないの。感覚の話」
「感覚の話か」
「うん、感覚。好きな人のアバターは、他の人のアバターとは違って見える。わたしだけの感覚」
商店街を抜けて、川沿いの遊歩道に出た。桜並木が紅葉している。桜の紅葉は地味だが、夕日に照らされると赤銅色に光る。
「久坂くん……新大陸の回廊、大丈夫だった?」
「昨日はだいぶ進んだな。これからどうなるかといったところだが……」
「闇が濃いんでしょ。怖くなかった?」
「怖くなかった。ルーナとセレスがいたからな」
「わたしは? タマキとして」
「宮瀬の薬がなければ、そもそも闇の中に入れなかった。闇耐性の薬は、宮瀬が作った」
「じゃあ、わたしもちょっとは役に立ってる?」
「ちょっとではない。宮瀬がいなければ、回廊の探索自体が不可能だった」
「……えへへ。久坂くんにそう言われると、嬉しい。ゲームの中でも、現実でも、ちゃんと隣にいるんだなって」
夕日が川面に映っている。オレンジの光がぷかぷか揺れる。
「ねえ久坂くん。髪を切った久坂くんを、セレスちゃんに見せたら何て言うかな」
「セレスには見えない。ゲームのアバターは変わらないからな」
「でもセレスちゃん、久坂くんの雰囲気の変化には気づくんじゃない? あの子、鋭いから」
「かもしれないな」
「『トワ、きょうなんかちがう』って言いそう」
「言いそうだ。そしてその後に『おやつちょうだい』と言う」
「セレスちゃんのオチは、毎回おやつだよね」
「毎回だ。一貫している」
「一貫してるのは強みだよ。ブレないのは大事」
「お前のえへへも、一貫しているな」
「えへへは止められないの。自動発動だから」
「自動発動か。パッシブスキルだな」
「パッシブスキル【えへへ】。発動条件:久坂くんが優しいことを言った時」
「俺は優しいことを言っていない。事実を述べただけだ」
「それが優しいの。久坂くんの場合はね」
夕暮れの遊歩道。二人で歩いた。短くなった髪に秋の風が当たる。星巡りの靴のように、足跡が光ったりはしない。だが、隣を歩く人がいる。
◇
翌日。日曜日。
冬夜が大学の食堂で蓮と昼飯を食べていた。宮瀬は日曜日は薬学部の実習がある。
「髪切ったな」蓮がうどんを啜りながら言った。
「宮瀬に連れて行かれた」
「似合ってるぞ。目が見えるようになった」
「見えていただろう。前から」
「半分しか見えなかった。宮瀬さんの言う通りだ」
「お前まで同じことを言うのか」
「客観的事実だからな。お前の目は、まっすぐでいい目だ。隠すのはもったいない」
「宮瀬と全く同じ台詞だな」
「言い寄られすぎだろ、お前」
蓮がうどんの箸を置いた。珍しく真面目な顔をしている。
「冬夜。回廊の話、フォーラムで読んだぞ。闇の中を一時間走ったって」
「ああ。中継拠点まで辿り着いた。これから禁域に挑む」
「お前、BCOを始めて三年になるな」
「三年と二ヶ月だ」
「三年間、お前を見てきた。ゲームの外から。食堂で一人でうどんを食ってた男が、今は七人のパーティを率いて闇の回廊を歩いている」
「俺はパーティを率いていない。一緒に歩いているだけだ」
「そういうところが、お前だよ。率いているくせに、率いていると言わない。命令しているくせに、仲間に選ばせる。不器用で、正直で、まっすぐで」
「褒めているのか」
「褒めている。たまには素直に受け取れ」
「……ありがとう」
「宮瀬さんのおかげだな。お前が素直にありがとうを言えるようになったのは」
「蓮のおかげでもある」
「おう。それは知ってる」
蓮がうどんの残りを飲み干した。
「冬夜。禁域、気をつけろよ。ゲームの中だけど、お前の体力は本物だ。VRは脳にフィードバックが来る。無理するな」
「無理はしない」
「嘘つけ。お前はいつも無理をする。だから俺が外から言っている。無理するなと」
「監督役か」
「ツッコミ役だ。お前専用の」
「ツッコミ役なら……仕方ないか」
「特別なツッコミ役だぞ。腐れ縁の特権だな」
食堂を出た。秋の空が高い。キャンパスの銀杏がもう金色だ。
「明日、回廊に戻る。禁域を突破する」
「行ってこい。フォーラムで見てるぞ」
「見てなくていい」
「見る。お前の旅の記録係は俺だからな、オーレンとして」
蓮が手を上げて、別方向に歩いていった。冬夜は蓮の背中を見送って、それから空を見上げた。
銀杏の金色。夕日の赤。混ざって、琥珀色になっている。宮瀬の目の色と同じだ、と思った。
明日、闇の中に戻る。禁域を超えて、回廊を開通させる。その先に何があるかはわからない。
だが、歩く。いつも通りに。