作品タイトル不明
〈西の海岸〉
海底都市の再探索の準備を進めながら、新大陸の踏破を続けた。
西の海岸線。まだ誰も歩いていないエリア。
【西の断崖海岸に到達しました】
【アストラム踏破率:41.3%】
断崖。海面から五十メートルの高さの崖が、海岸線に沿って延々と続いている。崖の表面に星の鉱石が露出していて、太陽の光がそれを虹色に輝かせている。
「きれいだけど……道がないですね」タマキが崖の端を覗き込んだ。「下に降りるのも、崖沿いに進むのも難しそうです」
「普通のルートがない。だから、誰も来ていないんだろう」
「師匠ならどうしますか」ハルが聞いた。
「崖を歩く」
「崖を……歩く?」
トワが崖の表面を見聞録で解析した。鉱石の出っ張り。岩の隙間。風で削れた溝。足を置ける場所を全てマッピングする。
「足場がある。鉱石の出っ張りと岩の溝を使えば、崖の表面をトラバースできる」
「トラバースって──崖の横移動ですか。ロッククライミングじゃないですか、それ!」
「ロッククライミングだ。BCOのVR体感でどこまで再現されるかは、やってみないとわからない」
「また出た……やってみないとわからない」
トワが崖に取りついた。鉱石の出っ張りに手をかけ、足を溝に入れる。体重を移動し、次の手がかりに手を伸ばす。
VRの体感がリアルだった。指先に岩の感触がある。風が顔に当たる。下を見ると、五十メートルの断崖の下に海が見える。白い波が岩にぶつかって砕けている。
テンがブーツの上で、必死にしがみついている。虫にも高所は怖いらしい。甲殻の脚が革に食い込んでいる。
「テン。落ちるなよ」
テンが一回光った。必死の返事。
「師匠! 気をつけてください!」ハルが崖の上から叫んだ。
「大丈夫だ。見聞録で足場が全部見えている。落ちる心配はない」
「見聞録で崖を登る旅人、BCOで師匠だけだと思います」
「登ってるんじゃない。横に移動している。トラバースだ」
「横でも縦でも、五十メートルの崖にしがみついてる時点で同じです!」
崖の表面は、近くで見ると驚くほど多彩だった。星の鉱石が層状に露出していて、色が違う。青、緑、金、紫。地層の歴史が色で見える。見聞録で鉱石の組成を分析すると、新大陸の地質の変遷がわかる。千年前の層。五百年前の層。百年前の層。
「この崖は天然の地質図鑑だな。蓮が見たら喜ぶだろう」
「蓮さんはここまで来れないと思います。崖、登れないでしょう」
「最近、やけに歴史にうるさいからな。きっと地層の写真を撮って、持ち帰るはずだ」
崖を二十メートルほど横移動すると、洞窟の入口があった。崖の途中にぽっかりと開いた穴。地上からは見えない位置。海からも角度的に見えない。本当に隠れた場所だ。
「洞窟がある。崖の中に」
「行くんですか」
「行く」
洞窟に入った。中は想像より広い。天井が高い。奥行きもある。入口から海風が吹き込んで、涼しい。壁が星の鉱石でできていて、自ら光っている。照明がなくても明るい。
そして、壁に絵が描かれていた。
壁画ではない。落書きだ。星の光を帯びた塗料で、誰かが壁に絵を描いている。子供の絵のように稚拙だが、温かい絵。旅人が歩いている絵。星が輝いている絵。動物が遊んでいる絵。海を泳ぐ魚の絵。山の上に立つ人の絵。
絵の一枚一枚に、小さな文字が添えてある。見聞録で読む。
「旅人の絵の横に──『ラシードが砂漠で蠍と戦った話。すごくかっこよかった』」
「山の絵には──『リーリアが東の星峰から双子星を見た話。いつか、わたしも見たい』」
「魚の絵には──『海の向こうにも世界があるって、ラシードが言ってた。行ってみたいな』」
絵たちが、誰かの話を聞いて、その場面を想像して描いたもの。行けない場所の風景を、言葉だけで想像して。
洞窟の奥に石板があった。見聞録で読む。
【「ここは、わたしの秘密基地。旅人のラシードと、星読みのリーリアと、わたしだけの場所。──サーラ」】
「ラシード。星巡りの塔を建てた最後の旅人」
「リーリア。今のリーリアの先祖かもしれない名前」
「サーラは、誰だろう」
石板の横にもう一枚あった。
【「サーラは冒険者になりたかった。でも身体が弱くて、遠くに行けなかった。だからラシードが外の話を聞かせてくれた。リーリアが星の話を教えてくれた。サーラは絵を描いた。行けない場所を、絵に描いた」】
さらにもう一枚。
【「ラシード。リーリア。わたしがいなくなっても、この絵は残るよね。この洞窟に来た人が、わたしの絵を見てくれるよね。わたしが行けなかった場所の絵を。──そしたら、その人が、代わりに行ってくれるかな」】
「……」
トワは壁の落書きをもう一度見た。旅人の絵。星の絵。動物の絵。海の絵。山の絵。行けない場所を、全部、絵に描いた少女。
「サーラは外に出られなかった。でも旅人と星読みの友達がいて、二人から話を聞いて、絵を描いた」
「師匠。これ、泣きそうです」ハルが鼻をすすった。
「泣くな。サーラは幸せだったんだ。行けなくても。友達がいて、絵を描ける場所があって。そして、いつか誰かが来ることを信じていた」
「でも、行きたかったですよね。外に」
「行きたかっただろう。だから絵を描いた。行けない代わりに」
洞窟の一番奥に宝箱があった。
【サーラの絵の具(特殊アイテム)を発見しました】
【効果:装備やアイテムに星の模様を描くことができる。模様を描いた装備は、星属性耐性+5%のボーナスを得る】
「装備に模様を描けるアイテム。カスタマイズ系の素材だ」
「星の模様を描くと耐性ボーナス。サーラの絵の具で、サーラが行けなかった場所に、俺たちの装備を持っていく」
「師匠」
「サーラの秘密基地を見つけたのは、俺たちが最初だろう。この絵の具は、サーラが残した最後の贈り物だ」
洞窟を出た。崖の途中から海が見える。広い海。水平線。夕日が海に沈みかけていて、空がオレンジと紫のグラデーションに染まっている。サーラが海の絵を描いた時、この景色を想像していたのだろうか。
「サーラ。お前の絵の具は、もらっていく。代わりに、お前が見たかった景色を、俺が歩いてくる」
誰に言うでもなく。独り言のように。
ハルが崖の上で泣いていた。声は出さなかったが、目が赤かった。
「師匠。帰ったらリーリアちゃんに教えましょう。サーラのこと。リーリアちゃんの先祖が、サーラの友達だったこと」
「ああ。教える。リーリアなら、喜ぶだろう」
「サーラの絵の具で、みんなの装備に模様を描きましょう。サーラの絵の具が、世界中を旅するんです。サーラの代わりに」
「いい考えだ。そうしよう」
テンがブーツの上で、一回光った。