軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

〈七千メートル〉

標高六千八百メートル。

空気が薄い。一歩ごとに、肺が悲鳴を上げる。VRの体感が容赦なく酸素の薄さを再現してくる。

だがそれ以上に、【闇】が濃い。

足元の岩に……黒い筋が走っている。深淵の根だ。山の表面に根が浮き出ている。まるで血管のように。

「根が、山全体に広がっている。頂上に向かって……収束していく」

「師匠。──頂上に、何がいると思いますか」

「わからないが、強い。それだけは確かだ」

標高六千九百メートル。

根が脈動し始めた。心臓のように。ドクン、ドクン。大聖堂の壁の脈動と、同じ音。

「大聖堂と同じだ。──【深淵】の根が、心臓のように動いている」

「セラフの時と、同じパターンか」ゼクスが顔をしかめた。

「セラフの時は……核の中に闇があった。今回も頂上の何かに、【闇】が食い込んでいるはず」

そして、頂上が見えた。

標高七千メートル。BCOの最高峰。──だが、想像していた景色とは違った。

頂上に巨大な結晶があった。星の欠片。北の峰にあったものの……十倍の大きさ。高さ五メートルの巨大な星の結晶。

しかし、晶の半分が黒く染まっていた。

深淵の根が、結晶に食い込んでいる。根が結晶を侵蝕し、星の光が闇に変わりかけている。

【星の欠片(東)──深淵の根による侵蝕を検知】

【侵蝕率:47%。──完全侵蝕まで推定残り時間:不明】

「星の欠片が、侵蝕されてる!?」

「まだ半分は残っている……だが、このまま放置すれば──」

「星の欠片が、完全に【闇】に染まる。そうなったら、星の祝福が完成しなくなる」

結晶の前に──何かがいた。

黒い獣。四足。──大型の獅子のような身体。【闇】のオーラを纏っている。だが──身体の一部に、星の光が残っている。

【深淵の守護者・闇星獅子 Lv??? HP:???】

「また、レベル不明か」

「ああ……だがこいつはセラフ級か、それ以上だ」ゼクスが短剣を握り直した。

闇星獅子が咆哮した。

山が震えた。標高七千メートルの山頂が振動する。空気が凍りつく。闇と氷の波動が全方位に放たれた。

【闇星獅子の攻撃:「深淵の咆哮」──全員にHP-35,000+全ステータスデバフ-10%】

「35,000──!? それにステータスデバフが──!」

「タマキ、回復を切らないように頼む!」

「はい、全員のHPを管理します!」

タマキが全力で回復を飛ばす。七人分。

薬とスキルを同時に使って、全員のHPを最大値で維持し続ける。

トワは獅子を見据えた。七千メートルの頂上。酸素が薄い。デバフがかかっている。見聞録は効かない。闇のボス。

だが、目がある。経験がある。仲間がいる。

「俺が……前に出る。ゼクスは横から。アストレアは祈りでセレスの月光を強化しろ。ハルは全体指揮。タマキは回復に専念。──ルーナ」

「……うん」

「お前が、一番大事な役だ。獅子の【闇】を払え。少しずつ、引き剥がせ」

「わかった。わたしが、いちばん大事な役」

「ああ、お前がいなければ、この戦いは勝てない」

ルーナの紫の瞳が、輝いた。

「行くぞ」

七千メートルの頂上で、深淵の守護者との戦いが始まった。

トワが走った。酸素が薄い。足が重い。デバフで全ステータスが下がっている。それでも、走った。

闇星獅子が爪を振り下ろした。黒い三日月。──トワが横に跳んで回避。着地。足が滑る。岩が凍っている。

「足場が悪いな──!」

「師匠! 左から来ます!」ハルの報告。

左からの突進を──槍に切り替えて受け止めた。獅子の突進力が槍の柄を通して──腕に伝わる。重い。カルディアの時以上の衝撃。

「こいつは、力押しで来る! パターンがない! 本能で戦っている!」

「パターンがないなら、こちらもパターンを捨てろ!」ゼクスが横から短剣を打ち込んだ。獅子の脇腹に──星と闇の境界面がある。浅い切り込み。【闇】が少し剥がれた。

「ルーナ!」

「うん……やってみる!」

ルーナが剥がれた【闇】に夜の力を注ぎ込んだ。

──獅子のHPバーが僅かに表示された。

【闇星獅子 HP:???/???──闇の侵蝕率低下:46%】

「侵蝕率が下がった──!」

「47%を、一回ずつ。全部剥がすには……四十七回」

「四十七回隙を作るのか!? この怪物相手に!?」

「やるしかない。──タマキ、薬は持つか」

「持たせます──!」

二回目。トワが剣で境界面を切り、ゼクスが反対側を突き、ルーナが闇を突く。三回目。四回目。──少しずつ、獅子の身体から【闇】が剥がれていく。黒い毛皮の下から、星の金色が覗き始める。

十回目で獅子の動きが変わった。闇が減って、本来の星の獅子の意識が戻り始めている。

攻撃が──鈍くなった。

「動きが鈍ってる……本来の意識が、【闇】に抵抗してるんだ!」

二十回目。獅子の身体が半分以上、星の金色に戻った。

【闇星獅子 HP:???/???──闇の侵蝕率低下:27%】

獅子が唸った。苦しんでいる。闇と自分の意識の間で、引き裂かれている。

「記憶干渉……使えるか」

「やってみる」

トワが獅子に近づいた。闇の獣の──額に、手を触れた。

記憶干渉・第三段階。──獅子の「元の記憶」を読む。

星の獅子。山の守護者。頂上の星の欠片を守ってきた。だが、下から闇が来た。根が山を登ってきた。獅子は戦った。戦い続けた。だが──闇が強すぎた。飲み込まれた。

「お前は……守護者だったのか。星の欠片を、守っていた」

獅子の目に、涙が浮かんだ。闇の赤い目ではなく──星の金色の目が。

「もう戦わなくていい。【闇】は俺たちが倒す。お前は──戻れ。元の、星の獅子に」

記憶干渉で、獅子の本来の記憶を全力で書き込んだ。守護者の記憶。星の欠片を守る誇り。山の上から見た景色。風。雲。星。

獅子の身体から──【闇】が、一気に剥がれ落ちた。

【闇星獅子──闇の浄化に成功しました】

【星の守護獅子に戻りました──非敵対状態】

黒い毛皮が、金色に変わった。闇のオーラが消えた。

星の守護獅子が、トワの前に跪いた。頭を垂れた。

「おつかれさま」セレスが獅子の鼻先を撫でた。「もう──やみは、いないよ」

獅子は高らかに吼えて、山を降りて行った。

頂上の星の欠片。闇の侵蝕が消えていた。獅子が浄化されたことで、根が力を失い──結晶から剥がれ落ちている。

【星の欠片(東)──侵蝕率:0%。取得可能です】

トワが結晶に手を触れた。温かい。北の欠片よりもずっと大きく、ずっと温かい。

【星の欠片(東)を入手しました。残り:南の星峰】

「二つ目──」

頂上に立った。七千メートル。BCOの最高峰。

見えた。世界が──見えた。

新大陸の全景。砂漠。森。海。街。山。そしてその全てに、黒い筋が走っている。地面の下を這うように。【深淵】の根。

「見えるか」トワが全員に言った。

「見えます」アストレアが息を呑んだ。「新大陸の地下に……根が走っている。至るところに」

「ソルシアも、ルミナリアも、表の世界も、同じだ。【深淵】の根は、世界中に伸びている」

「師匠。これが、七千メートルから見える景色ですか」

「ああ──一番高い場所から見たかったのは、これだ。世界の全体像。綺麗なものと、そうでないものの両方」

「両方……見えましたね」

「見えた。だからこそ、やるべきことがわかった」

トワは南の方角を見た。南の星峰。標高四千メートル。最後の星の欠片。

「残り一つ。南の星峰の欠片を取ったら、星の試練を受ける。それが終わったら──聖都に戻ってカレンから太陽の祝福を受ける。そして──」

「【深淵】に……行く」

「ああ。この根を、全部断つために」

下山。──登りより速い。だが全員の消耗は激しい。薬も体力もギリギリだった。

ベースキャンプに戻り、ナハルを経由してオルテリアに帰還したのは、翌日の昼だった。

リーリアがオルテリアの入口で待っていた。

「トワ! 無事だったの? 星の配列が乱れてたから、何かあったってすぐわかった」

「【闇】が山にいた。星の欠片が侵蝕されかけていた」

「侵蝕……東の欠片が!?」

「浄化した。──欠片は無事だ」

リーリアが胸を撫で下ろした。だが次の瞬間、目が釘付けになった。トワのブーツの上に座っている、小さな虫に。

「──え? ちょっと待って、それ」

「テンだ。──星花の里で闇を浄化した虫が、ついてきた」

「ついてきた、じゃなくて──! あなた──『浄化覚醒』した星甲虫を連れてるの!?」

「『浄化覚醒』? というものが、そんなに珍しいのか」

「珍しいなんてもんじゃないわ。古代星王朝の文献にしか出てこない、伝説の存在だよ?」

いつも冷静なリーリアが、興奮してまくしたてた。

「『浄化覚醒』した星甲虫は、古代の星読みたちが『予兆の虫』と呼んでいた。【闇】を察知するだけじゃない。この虫が旅人に懐くのは、その旅人が『星の試練』を受ける資格があるっていう証なの!」

「星の試練の──資格?」

「星の試練は、誰でも受けられるわけじゃない。星が認めた者だけが挑戦できる。その条件が、予兆の虫が旅人に懐くこと。古代の壁画にも描いてあるの。旅人の足元に、虫がいる絵が──」

「壁画に描いてあった旅人の足元。あれは精霊じゃなくて……虫だったのか」

「そう! 肩に精霊、足元に予兆の虫! あなた、壁画の旅人そのものじゃない──!」

リーリアは驚きを隠せず、慌てて空を仰いだ。

「ちょっと、ちょっと待って……星に聞いてみるから」

昼間だが──オルテリアでは双子星が見える。星読みの目で、星の配列を読んでいる。

「……やっぱりそうだ。星の配列が、あなたを指してる。しかも前より──ずっと強く。テンが懐いたことで、配列が確定した」

「確定──?」

「あなたが、星の試練を受ける人。間違いない。もう、間違いないわ」

そう断言するリーリアの目は、潤んでいた。

「わたし……十四年間も待ってた。壁画の旅人が来るのを。──来たんだ、本当に」

「まだ試練は受けていないし、南の欠片も取っていない」

「取りに行くんでしょ」

「行く」

「でしょ。──あなたは行く人だもん」

テンがブーツの上で、一回だけ光った。

闇の警告ではない。ただの一回。セレスの角がぽわっと光るのと、同じような。

嬉しい時の、光だった。