軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第九十六話 まさか西のトレセンが滋賀県にあるだなんて……

「……年を取ると、ゲームの移動システムがますます羨ましくなるな」

誰に言うでもなく呟いた。

今俺は、滋賀県にある西のトレセンを歩いている。

「おお、桜井さん!遠いとこ、よう来てくれはりましたなあ!」

「土御門さん。ご無沙汰してます」

土御門調教師。

ここ十年くらい、うちの馬を何頭も預かってくれている調教師さんだ。

よく笑う。

よく喋る。

そういう意味でもサニーを預けるのに良いかなーと思ったのは内緒。

「急に呼び出してすみませんなあ」

「いえ。サニーのことですよね?」

俺がそう言うと、土御門さんは面白がるような表情をした。

「ほんま、ええ馬ですわ。明るいし、よう食うし、よう寝るし、よう走る」

「うるさいでしょう」

「それもまあ、個性ですわ」

土御門さんは大きな声で笑ってくれる。

うん、この人に預けて良かった。

「それで、サニーのことなんですけどな」

「はい」

「秋に向けて、このままこっちで鍛えるか、一回牧場へ帰すか。そこを相談したくて」

「ああ……」

予想していなかったわけではない。

「土御門さんとしては?」

俺が聞くと、土御門さんは少し考えた。

「正直に言うと、残して鍛えるのもありかなーと」

土御門さんは、少しだけ困ったように笑った。

「サニー、元気なんですわ」

「でしょうね」

反射で返してしまった。

「やから、秋に向けてこっちでじっくり作ってもええんちゃうか、ちゅう気持ちはあるんです」

「なるほど」

「けど、牧場に帰して、気持ちを緩めるのも大事かな、とも思うんですわ」

土御門さんが、少しだけ困ったように頭をかいた。

「せやから、決めかねてて……馬主さんの意向も聞きたいなと」

そうなるよなぁ。

こういうのを決めるのは今でも悩む。

馬の声が聞こえるくせに、答えがわからなくなる。

「……サニーと相談してみますね」

そう返すと、土御門さんはふっと笑った。

「そう言うと思ってましたわ」

「すみません」

「いえ。それが桜井さんですしな」

ありがたい。

そういうふうに受け取ってくれるのは、うちの牧場のみんながずっと積み上げてくれたからだ。

厩舎に入ると、馬の声が一気に増えた。

「お、サクライの爺さんや」

「ほんまや」

「サニーのとこの爺さんやろ?」

「あの人、馬の声聞こえるんやろ?」

「マジ?」

「マジらしいで」

「じゃあ聞いて。今日のごはん、ちょっとだけ少なかった」

「それはお前が食いすぎや」

関西の馬って、馬も関西弁になるのだろうか。

まあ、海外の馬の声がわかる時点で今更か。

苦笑しながら馬房の並びを進む。

すると、奥の方から聞き慣れた声が響いてきた。

「だから!俺はな!宝塚では負けたけど!あれは負けたんじゃない!」

「いや、負けただろ」

「着順見ろよ」

「エクリプスが一着で、お前はその後ろだろ」

「うるさい!話を最後まで聞け!」

サニーである。

他の馬とワイワイ話している。

ワイワイというか、サニーが一方的に喋っている気もする。

「俺は、あの日、すごいことに気づいたんだ!」

「何に?」

「エクリプスはすごく強い!」

「みんな知ってる」

「むしろおせぇよ」

「新聞にも書いてた」

……元気だな。

というかどこでも扱い一緒だな、お前?

「サニー」

声をかけると、サニーがぱっと顔をこちらへ向けた。

「爺さん!!」

声がでかい。

近くの馬が「うるさ」と言った。

わかる。

サニーは当然みたいに撫でられる。

それから、自慢げに胸を張った。

「みんな!紹介しよう!俺の爺さんだ!」

「知ってる」

「さっき聞いた」

「何回も聞いた」

「サニー、爺さん自慢多いねん」

「いいだろ!俺の爺さんだぞ!」

おい。

照れるからやめろ。

隣の馬が呆れたように鼻を鳴らした。

「サニー、さっきまで熱弁してたのに爺さん来たらただの甘え馬じゃねぇか」

「うるさい!」

俺は少し笑いながら、サニーの鼻先を撫でた。

「今日はちょっと相談があってな」

「相談?」

サニーが首を傾げる。

周囲の馬たちも「なんやなんや」と少し耳を向けてきた。

「土御門さんからな。夏をトレセンで過ごして鍛えるか、一回牧場に帰るか、どうするかって」

「おお!」

サニーは少しだけ胸を張った。

「大事な相談だな!」

「大事だぞ」

「つまり俺が今後どうやって伝説になるかの分岐点ってことだな!」

「まあ、うん、言い方はともかくそうだな」

周囲の馬たちも笑った。

「で、どっちがいい?」

サニーは「んー」と唸った。

いつものように即答するかと思ったが、珍しく少し考えた。

それから、意外なことを聞いてきた。

「エクリプスはどうしてる?」

「牧場に帰って来てるよ」

「一人か?」

「……まあ、いつもどおりだな」

いつもどおり。

そう言うしかなかった。

周りの馬たちが話しかければ最低限は答えるが、深く混ざろうとはしない。

皐月も、スタッフのみんなも、もちろん大事にはしている。

でも、独りで自分の身体と向き合っている時間がほとんどだ。

サニーは、俺の返事を聞いて、少しだけ目を細めた。

「そっか」

短い声だった。

「会いたいなら、帰るか?」

「うーん」

珍しく悩んでいる。

周りの馬たちも、茶化さなかった。

少し間をおいて、サニーが静かな声で言った。

「こっちに残っててもいいか?」

……やっぱりか。

「エクリプスが気になるんじゃないのか」

「気になるぞ」

サニーは胸を張った。

「めちゃくちゃ気になる!」

「なら帰ってもいいんだぞ」

「でも、今帰っても、俺はたぶんまた『なあなあ』って話しかけるだけだ」

「……」

「それも大事だと思うけどさ」

サニーは、少しだけ鼻を鳴らした。

「でも、それって今じゃなくていい気がする」

周りの馬たちが静かに耳を動かす。

俺も黙って聞いていた。

「宝塚記念の時、あいつ、俺たちを見なかった」

「ああ」

「だから、俺が今やるべきなのは、牧場に帰って話しかけることじゃない」

サニーの声が、少しだけ強くなる。

「強くなることだ」

「……サニー」

「エクリプスに見せたいんだ。お前の隣にも、前にも、後ろにも、ちゃんと誰かがいるんだぞって」

サニーは、笑った。

明るく。

眩しいくらいに、明るく。

俺は、少しだけ目を閉じてから、ゆっくり頷いた。

「無理はするなよ。それだけは約束してくれ」

これだけは譲れない。

サニーは、そんな俺の心配を真正面から受け止めて、にかっと笑ってくれた。

「任せとけ!俺は丈夫さには自信あるんだぜ!」

周囲の馬たちが笑う。

「サニーやなあ」

「でも、ええこと言うやん」

「うるさいけどな」

「こいつが二冠馬なのおかしいだろ」

「それはそう」

「お前らひどくない!?」

馬房の中が少しだけ明るくなる。

「寂しくなったら帰って来てもいいからな」

俺が言うと、サニーは目を丸くした。

それから、胸を張るように首を上げた。

「むしろ牧場のみんなに『俺がいなくて寂しい思いさせてごめんな!』って言っておいてくれ!!」

「ははは、わかったよ」

「それから、銅像の話も忘れるなよ!」

「はいはい」

「エクリプスに『楽しい』って言わせたら金の銅像だぞ!!」

「金とは言ってない」

「金にしよう!」

「しない」

「えー!」

その「えー!」が、牧場の当歳みたいで、思わず笑ってしまった。

周りの馬が、くくっと笑って茶化す。

「お前、愛されてるんやなあ」

「当たり前だろ!」

そこは即答するんだな。

まあ、別に間違ってないからいいけど。