軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第九十三話 ゴールデンウイスキ

東京優駿。

日本ダービー。

東京競馬場、芝二千四百メートル。

その最後の直線で、俺は、たしかに全力を出していた。

出していたんだ。

出していた、はずなんだ。

『これは強い!エクリプス圧勝です!!無敗の二冠達成!!』

実況が、やけに景気よく叫んでいた。

うるせぇ。

「……強すぎるだろ」

ゴール板を通過した直後、俺様――ゴールデンウイスキは、まずそう思った。

いや、思ってしまった。

だって、なんなんだよアレ。

俺様が坂を登り終わったと思った時にはゴールしてたぞ。

まるで、俺様たちとは別の競技をしているみたいだった。

ふざけるな。

ダービーだぞ。

世代の頂点を決める、日本で一番特別なレースの一つだぞ。

それを、あんな。

あんな、当然みたいに勝つんじゃない。

『二着はゴールデンウイスキ!しかし、勝ったエクリプスとは大きな差!この馬、底が知れません!!』

底が知れない?

違う。

あいつには底があるとかないとか、そういう問題じゃない。

俺様は、肩で大きく息をした。

肺が熱い。

脚が重い。

背中の騎手が「よく走った」と首筋を叩いてくる。

わかっている。

俺様は、よく走った。

騎手も、調教師も、厩務員も、爺さんも、みんな俺様を信じてここへ送り出した。

少なくとも、世代上位の一角として胸を張れる走りだったはずだ。

競馬って、もっとこう。

ぶつかって、睨み合って、意地張って、叫んで、最後に「俺様だあああ!!」って勝つもんじゃないのか。

ゴールドファームの馬はだいたいそういう教育を受けている。

勝ったら全力で誇れ。

負けても相手を称えろ。

それが黄金の流儀だ。

なのに、あいつは。

エクリプスは。

ゴール後、少し流して、息を整えて、何事もなかったみたいな顔をしていた。

ダービーを勝ったのに。

無敗で二冠を達成したのに。

まるで、予定表にチェックを入れただけみたいな顔をしていた。

「……くっ」

悔しい。

めちゃくちゃ悔しい。

ダービーで二着。

普通なら誇っていい。

でも、今はそんな話じゃない。

あれを見せられて、「二着でも頑張ったね」なんて顔をされたら、俺様はたぶんそいつを蹴る。

俺様は、ゴール後の余力を振り絞って、エクリプスの近くまで寄った。

騎手が何か声をかけているが、エクリプスはいつもの無表情で前を見ていた。

少しくらい嬉しそうにしろ。

世代の頂点を取ったんだぞ。

ダービーだぞ。

お前、ちゃんとわかってるのか。

「くっ、流石だな、エクリプス」

俺様は、あえて堂々と声をかけた。

負けた直後にこそこそするのは性に合わない。

真正面から言ってやる。

「だが、俺様もこのままでは終わらんからな!!」

エクリプスが、ようやくこちらを見た。

静かな目。

そこに、敵意も、怒りも、喜びも、興味も、見えない。

「……誰だっけ」

「今一緒に走ってただろ!」

思わず叫んだ。

お前、マジか。

皐月賞もダービーも俺が二着だったんだぞ!?

新聞にも載るぞ。

たぶん明日の見出しにも、

『エクリプス圧勝!二着ゴールデンウイスキも意地!』

くらいには載るぞ。

俺様の名前を覚えろ。

「……そう」

「そう、じゃねぇんだよ!」

エクリプスは少しだけ瞬きをした。

本当に、思い出したのかどうかも怪しい顔だった。

こいつ、もしかしてレース中、俺様のこと見てないのか?

いや。

見てないんだろうな。

あの直線。

あいつは誰も見ていなかった。

前の馬も、横の馬も、観客も、何も。

ただ、自分の走る線だけを見ていた。

それが余計に腹立つ。

俺様は息を整えながら、少し声を落とした。

「……お前、周りに怖いとか言われてるんだぞ。『一緒に走りたくない』ってやつもいる」

これは本当だ。

パドックでも、返し馬でも、ゲート裏でも、馬たちはエクリプスを意識していた。

だが、それはライバルを見る熱ではない。

怪物を見る距離感だった。

勝ちたい。

倒したい。

そう思っている馬も、もちろんいた。

俺様だってそうだ。

でも、中には違う顔をしているやつもいた。

怖い。

どうせ届かない。

あれと同じレースに出たくない。

そういう顔だ。

馬が、レース前からそんな顔をするのはよくない。

競馬がつまらなくなる。

勝つやつが強いのはいい。

強すぎるのも、まあそいつのせいじゃない。

だが、相手の心を折る勝ち方ばかりするのは、ちょっと違う。

少なくとも、俺様はそう思う。

エクリプスは、少しだけ首を傾げた。

「……それが?」

「それがってお前……」

馬の心とかないの?

「……」

「……」

気まずい。

ダービー後の流しで、こんな気まずい沈黙ある?

お前が強いのはわかった。

めちゃくちゃ強い。

それは認める。

でも、世代最強を名乗るなら、もう少しこう。

相手を認めるとか。

勝ったら高笑いするとか。

そういう、強いやつとしての責任みたいなものがあるだろう。

うちの血統は全員そう教わっている。

昔うちにいたカスタードっていうすごい強い馬は言っていたらしい。

――強い馬ってのはな、強いだけじゃ足りねぇんだよ。周りを燃やしてこそだ。

かっけぇ。

古すぎて会ったことないけど、たぶん超カッコいい馬だったんだと思う。

なのに、エクリプスは。

「……行くから」

「おい、待て」

「ウイニングラン」

「それは行け」

止められない。

勝った馬の仕事だ。

そしてエクリプスは、そのまま何事もなかったみたいにウイニングランへ向かった。

観客席から、すさまじい歓声が飛ぶ。

エクリプス!

エクリプス!

エクリプス!!

その名が、東京競馬場の空に何度も響く。

あいつは、それを聞いているのかどうかもわからない顔で走っていた。

俺様は、しばらくその背中を見ていた。

「……なんなんだよ、あいつ」

悔しい。

そりゃ悔しい。

だが、それ以上に落ち着かない。

なんというか、強すぎるやつって普通、もっとムカつくはずなんだよ。

エクリプスは、なんか違う。

あいつをそのまま放っておいていいのか?みたいな妙な気持ちになる。

勝ってるくせに、なんであんなに空っぽみたいな顔してんだ。

横にいた別の馬が、疲れ切った声で言う。

「あれ、勝って楽しいのか?」

誰も答えなかった。

とぼとぼと検量室へ向かう。

とぼとぼ、なんて俺様らしくない。

だが、今はそういう歩き方になってしまう。

「くそ……」

俺様が小さく鼻を鳴らした時だった。

検量室の近くに、見覚えのある爺さんがいた。

……ああ、思い出した。

時折、うちの牧場にも来るサクライの爺さんだ。

うちの牧場の古い馬と爺さんたちがみんな言ってる。

『サクライの爺さんは馬の声がわかるらしいぞ!!』

『だからあの牧場はちょっとズルいのだよ!!』

『だが、そこが面白い!!』

ホントか?と思いつつ、俺様は少しだけ進路を変えた。

「おい、爺さん」

俺が声をかけると、その人間は「ん?」という顔で振り向いた。

「ん?俺か?」

反応した。

ちゃんと反応した。

おお。

本当に聞こえるのか。

いや、そのつもりで話しかけたが、実際に反応されると、なんか変な感じがする。

でも、今はそれどころじゃない。

「あんた、エクリプスの馬主だろ?」

「ああ、そうだが」

その返答を聞いて、俺は思い切って言った。

「……あいつ、ヤバいぞ」

俺様は、少しだけ言葉を選びながら続けるつもりだった。

エクリプスは強い。

でも、なんか危ないぞ。

そういうことを言うつもりだった。

だが、サクライの爺さんは一瞬だけ静かに俺様を見て、それから小さく笑った。

「……心配してくれてありがとな。いい馬だな、お前」

「バッ!オマ!ちげぇよ!!」

なんでそうなる!?

違う!

違うんだよ!

こっちは別に心配してるわけじゃない!

いや、心配か?

違う!

これは心配じゃない!

もっとこう、敵としての要求だ!

「世代最強を名乗るからにはしっかりしててもらわねぇと困るんだよ!!」

「うん」

「俺らの声聞こえるんだろ!? どうにかしろよ!!」

すると、サクライの爺さんは、困ったように少し笑った。

「……どうしたらいいかなぁ?」

「知らねぇよ!?」

思わず即答した。

俺様はまだ二着になったばかりで、心の整理もついていないんだぞ。

強いやつをどうにかしろ、は競馬界の全員が永遠に抱えてる問題だが、

“強い上になんか馬付き合いが壊滅してるやつをどうにかしろ”はさすがに守備範囲外である。

俺様が頭を抱えかけた、その時だった。

「ウイスキィィィィィィィィ!!!!」

来た。

うるさいのが来た。

声だけでわかる。

うちの爺さんだ。

「とにかく!!」

俺様は意地で言った。

「あいつに言っておけ!」

「何を?」

「ゴールデンウイスキだ」

俺様は胸を張った。

「次、お前を負かす馬の名前だってな!!」

サクライの爺さんは、少しだけ笑った。

「わかった。伝えておく」

「絶対だぞ」

「ああ」

今日のダービーは、たしかにエクリプスの圧勝だった。

だが。

この世代の物語を、あいつ一頭のものにしてたまるか。

俺様は、ゴールデンウイスキ。

ゴールドファームの馬だ。

負けて黙るような育ち方はしていない。