軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第八十五話 まだボケとらんわ

「あ、父さん」

サニーボーイと当歳たちに囲まれていると、聞き慣れた声がして振り向く。

「皐月か」

息子であり、この牧場の後継者、桜井皐月。

俺が数年前に牧場の経営を譲った相手である。

今の牧場の中では「今一番偉いやつ」でもある。

…………いや、実情は微妙かもしれんが。

皐月は、俺と違って、パッと見が最初から牧場主っぽい。

落ち着いてるし、作業着も似合うし、スタッフに指示出してても妙に板についてる。

「どうしたの、今日は来るって聞いてなかったけど」

「なんとなく何かが起きる気がしてな」

そう答えると、皐月は「ふーん」とだけ返した。

あっさりしている。

もっとこう、「父さんまた?」みたいな反応をされるかと思ったのに。

「今日は皆既日食だから?」

「……」

……皆既日食?

……今日?

「……そういえばそうだったな」

言った瞬間、皐月の眉がピクリと動いた。

「えー、ボケるには早すぎるよ、父さん」

「うるさい。最近ニュースを見てなかったんだ」

「見なよ」

「競馬は見てる」

「偏りがすごいんだよなぁ」

息子のツッコミが地味に鋭い。

よくない傾向である。

だが、そこへ空気を読まずに当歳が一頭、ぐいっと俺の上着を引っ張った。

「じーちゃーん」

「なんだ」

「にっしょくっておいしいー?」

「食えない」

「じゃあ、いらなーい」

判断が早い。

皐月もそのやり取りを見て、苦笑いしている。

「父さんが馬と喋ってるの未だに不思議なんだけど」

「俺もだよ」

皐月は馬の声が聞こえない。

まあ、それが当たり前だし、それでも俺よりずっと上手く牧場主はやってる。

それでいいんだと思う。

「そういえば、今日一頭産気づいてるんだよね」

へえ、よりによって日食の日にか。

「ほう。どの馬だ?」

「うん、サクライスピリット」

その名前を聞いた瞬間、俺の頭の中で“血統表の紙”がばさっと開いた。

「……あ、曽祖父がゴールデンビールの馬か」

口に出した瞬間、皐月がちょっとだけ変な顔をした。

「えーと……うん、そうだね。普通そこ考えないけど」

「いや、考えるだろ。血統大事だし」

「大事だけど、第一声で『曽祖父がゴールデンビール』は、だいぶ競馬オタク寄りなんだよ」

それはたしかにそうだ。

でも、どうしても俺にとって、あの世代は特別に感じてしまう。

「種牡馬は何付けたんだったか?」

俺が聞くと、皐月は少し考えてから答えた。

「えっと、ゴールデンマスクかな」

「ははっ」

思わず笑ってしまった。

「何?」

「いや」

だって。

ゴールデンマスクの曽祖父は、サクライルドルフだ。

つまり、今日生まれるかもしれない子は。

ルドルフとビールの子孫同士の子だ。

数十年かけて、そういう血の交差が、今ここに来るのかよ。

「あの二頭が聞いたら、なんて言うだろうな」

思わず独り言みたいに呟く。

たぶん、ルドルフは「ビールのせいで性格悪くなりそう」とか言う。

ビールは「俺様の血が入ってるなら強くて当然だな!」ってうるさい。

しかも、たぶん二頭とも「どっちの血が強いか」で喧嘩を始める。

ああ、容易に想像できる。

そして、想像できてしまうのが、ちょっとだけ嬉しい。

皐月が俺を見た。

「また何か変なこと考えてる?」

「変ではない」

「だいたい父さんが“変ではない”って言う時、変なんだよな」

息子が辛辣である。

その時、皐月がふと空を見上げた。

「ほら、始まるよ」

「ん?」

つられて見上げる。

空は青い。

少し薄雲はあるが、春らしい、わりと穏やかな空だ。

そして、その端から、少しずつ。

「……ああ」

太陽が、欠け始めていた。

――日食の始まりだ。

なんだか、妙に静かな始まり方だった。

ドラマみたいに空が一気に暗くなるわけじゃない。

でも、見ていると確かに何かが削れていく。

いつもの太陽じゃなくなる。

「おおー」

「なんかへってるー」

「たいよう、たべられてるー?」

「だれにー?」

「おやつのかみさまー?」

当歳たちは案の定、適当なことしか言わない。

もちろん、まったく気にしてないやつもいる。

サニーなんかは、その代表格だ。

「なあなあ、これさ!太陽が隠れたら、夜ごはんってことにならない!?」

「ならん」

「えー、チャンスじゃん!」

「何のチャンスだよ」

「一日二回夜ごはん食べるチャンス!」

「発想がある意味天才だな」

その時だった。

「あ、皐月くん、朔くん」

小走りでやってきたのは梅さんだ。

「梅さん、どうかしましたか?」

皐月が聞くと、梅さんは短く答えた。

「スピリットが産気づきました、もうすぐ産まれます」

その一言で、空気がぴたりと変わった。

「日食の真っ只中に?わかった、行くよ」

即断。

さすが牧場主。

だが。

「俺も行こう」

胸の奥で何かが強く鳴った。

たぶん、今日“見るべきこと”はそっちだ。

皐月は、ほんの一瞬だけ目を丸くしてから、頷いた。

「そう?じゃあ、行こうか」

梅さんが先導し、俺と皐月が並んで歩き出す。

皐月が歩きながら言った。

「父さん、こういうの、まだ緊張する?」

「……毎回、声が聞こえてる人の気持ち考えてみろ」

「想像したくない」

皐月が笑う。

生まれる瞬間ってのは、何回見ても“当たり前”にはならない。

でも。

それを差し引いても

今日は、何か特別な予感がした。

……気のせいだったら、金持誘って飲みに行くか。