作品タイトル不明
第八十四話 そこは遺伝しなくていいんだよ
「やっぱり、天山さんってすごかったんだな」
なんやかんやで静内には無事着いた。
昔より移動がしんどい。
そして、いいスーツを着て牧場に来ると違和感がある。
違和感を存在感で打ち消していた天山さんは未だ遠い。
「……おや」
車を止めて、とりあえず放牧地行くかと思ったところで梅さんとエンカウントした。
この人も今となってはこの牧場一番の古株である。
「朔くん、今日は来るって話だったっけ?」
俺は、ちょっとだけ照れくさくて、雑に笑った。
「いえ、なんかルドルフに呼ばれた気がして」
梅さんは間を置かず、真顔で頷いた。
「なるほど。ルドルフならあり得るね」
「でしょう?」
そこで二人して自然に会話が成立してるの、よく考えるとだいぶおかしいんだけどな。
でも、桜井牧場で長く働いている人たちは、このへんの“おかしさ”に対して順応が早い。
「……梅さんが今でも働いてくれてるの、本当に助かってます」
素直にそう言うと、梅さんは、少しだけ笑った。
「ははは、私以外は松さんも竹さんも辞めちゃいましたしね」
「だって身体キツいんですって」
この歳になって、ほんとにしみじみ思った。
「今にして思えば、俺の爺さんがチートだっただけです」
梅さんも、あっさり言う。
「それはそう」
即答すぎる。
爺さんはやっぱり異常だったんだろう。
朝は早いし。
夜も平気で厩舎見に行くし。
黙ってるくせに一番仕事してるし。
今にして思うと、あれは完全に“牧場主という職業に全ステータスを振った人間”だった。
「梅さんは……いつまで?」
何気なく聞いてみると、梅さんは空を見上げるみたいに少しだけ目を細めた。
「そうですねぇ……」
「うん」
「昔、弥生ちゃんに『一生働いてください』って言われて、『給与と相談で』って返したんですよ」
「ははは」
懐かしすぎて、普通に笑った。
俺は、軽く頷く。
「それなら、給料もっと上げるように言っておきますね」
「死ぬまで働かせるつもりですか?」
思わず二人で吹き出した。
こういう雑な笑い方、久しぶりだ。
そして、そういう雑な笑い方ができるくらいに、うちの牧場の経営は安定している。
ありがたい話だ。
笑い声が少し落ち着いたところで、放牧地の方からものすごく元気な声が飛んできた。
「おーい、爺さーん!!」
うるさい。
声で誰かわかる。
「サニー、元気してたか」
サニーボーイ。
現在、一歳の牡馬。
俺が馬主をしてる一頭であり、そして――なんとびっくりクラウンの系譜である。
いや、なんとびっくりって言い方はあいつに悪いか。
ただ、クラウン自身も周囲も、まさか種牡馬としてそこまで当たるとは思ってなかった。
けど、数頭だけ試しに付けた中から、なんとGⅠ馬が出た。
金持の采配が良かったとも言えるが。
そうすると、種付け料が安くて、成績が出て、健康面は文句なし。
結果として、「コスパよくない?」みたいな評価になって、最終的に結構な数の依頼があった。
クラウン本人はあの時、三日くらいずっと得意げだった。
……本当に、競馬界は何が起きるか分からない。
「ふっ、俺の顔が見たかったのか?」
サニーがそう言いながら、柵の上からぐいぐい鼻先を出してくる。
距離感が近い。そして無駄に得意げ。
ああ、クラウンの血だなってこういうところでよくわかる。
「ん、今日はなんとなく何かある気がしてな」
俺がそう言うと、サニーは一瞬だけ首を傾げた。
「んー?」
だが、次の瞬間には切り替えていた。
「ま、いっか!爺さん!来たなら!ブラッシングしてよ!!」
「ははは、ああ、いいぞ」
そう返した瞬間だった。
「あ、じーちゃーん」
「あー、ほんとだー」
「ぼくもぶらっしんぐー」
当歳たちまで一斉に反応した。
「はいはい、順番な」
俺がそう言いながら放牧地の方へ入っていくと、当歳たちが当然みたいな顔でわらわら寄ってくる。
「じーちゃん、おやつー!」
「じーちゃん、あそぼー!」
「じーちゃん、だっこー!」
「最後のは無理だ」
「えー!」
この「えー!」の声の揃い方、毎年ちょっと面白いんだよな。
その横で、一歳馬たちは少し離れた場所から醒めた顔でこっちを見ていた。
「今年の当歳、やっぱバカだな」
「じーちゃんって呼ぶの、ちょっとずるいよな」
「わかる。なんか得してる」
「でも俺らも昔言ってた気がする」
「言ってたよ」
俺が即座にそう言うと、一歳馬たちが露骨に目を逸らした。
お前ら、ほんとに一歳になると急に“わかってる側”に回ろうとするよな。
でも、その一歳たちの輪の外で、やけに楽しそうな声が混ざっていた。
「サニーにーちゃん、また調子乗ってるー!」
「サニーにーちゃん、うるさーい!」
「サニーにーちゃん、はしってー!」
「よーし、見てろよ!今日の俺は無敗の三冠馬より速い!!」
あ、ダメだ。
完全にクラウン系だわ。
サニーが放牧地の端から端まで意味もなく全力で走り出す。
それを見た当歳たちが「わー!!」とつられて走る。
梅さんが柵の外からその光景を見て、苦笑いを浮かべている。
「相変わらず朔くんは人気だねぇ」
「遊ばれてるだけですよ」
俺もつられて笑う。
こういう時、牧場ってやっぱりいいなと思う。
手間はかかる。
金もかかる。
気苦労は減らない。
でも、この光景は、他のどこにもない。
さて、ルドルフ。
お前は何を見せたくて俺を呼んだ?
……俺の気のせいだったら今頃、あいつが天国で爆笑してそうだな。