軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

最終話 桜井牧場

『さあ発走しました!凱旋門賞!日本の夢を乗せて、エクリプスがロンシャンの芝へ飛び出していきます!!』

実況は熱い。

そして、厩舎の中はもっと騒がしい。

「おおおおおおお!!」

「えくりぷすにーちゃん!」

「がんばれー!」

「おみやげー!」

「おみやげはレース終わってからだよ、ちびども」

「勝てー!」

「うちの牧場の力見せてやれー!」

「アンタならやれるさ」

「世界最強ー!」

当歳も、一歳も、繁殖牝馬も、引退馬も、現役馬も、みんなテレビを見ている。

厩舎に設置したテレビは昔より更に大きくなり、数も増えていた。

人間のスタッフたちも、手が空いている者は母屋か事務所のテレビの前に集まっていた。

俺は、そんな馬たちの歓声を背に厩舎の入口から離れて、放牧地に向かって歩く。

昔は、この時期になると、冬支度のことばかり考えていた気がする。

今は、違う。

今の桜井牧場は、俺が継いだ頃とは比べものにならないくらい整っている。

厩舎は新しくなった。

放牧地も広くなった。

人もいる。

設備もある。

何より、皐月は俺よりずっとちゃんとした牧場主だ。

あいつは馬の声こそ聞こえないが、馬を見る目は俺よりずっと真っ直ぐだと思う。

たぶん、爺さんが見ても文句は言わない。

いや。

爺さんだから、文句は言うか。

その上で、きっとこう言う。

「悪くない」

それで十分だ。

それに、馬の声が聞こえることは、便利なことばかりではなかった。

聞こえてしまうから、苦しいこともあった。

聞こえるのに、どうにもできないこともあった。

勝たせてやれなかったこともある。

助けきれなかったこともある。

もっと早く気づけたんじゃないかと、今でも思う夜もある。

それでも。

聞こえてよかった。

そう思う。

俺は、馬たちにたくさんのことを教えてもらった。

そんなことを想っていると、放牧地の柵のそばに、見慣れた影があった。

「サニー」

珍しくぼんやりと空を見ていた影が、こちらを向く。

「馬たちも皆、テレビ見てるけど、お前は凱旋門賞見ないのか?」

俺が聞くと、サニーは少しだけ不思議そうな顔をした。

「爺さんこそ」

「だって、なあ?」

「うん」

サニーは、当たり前みたいに頷いた。

俺とサニーの声が、自然と重なる。

「「あいつ、勝つもん」」

言ってから、二人で少しだけ笑った。

もちろん、競馬に絶対はない。

そんなことは何十年も見ていれば嫌というほどわかる。

無敗だろうが、三冠馬だろうが、世界最強だろうが、レースが始まれば何が起きるかはわからない。

しかも、凱旋門賞だ。

世界の強い馬たちが集まる舞台。

日本競馬がずっと夢見てきたレース。

何頭もの名馬が挑んできた場所。

勝つのが当たり前なんて、そんな簡単な話ではない。

それでも。

今日の俺とサニーは、同じことを思っていた。

あいつは勝つ。

遠くで、厩舎の方から実況の叫び声が小さく響いてきた。

『さあ偽りの直線へ向かいます!エクリプスはまだ後ろ!!凱旋門賞の勝負はここからだ!!』

俺は、柵に軽く手を置いた。

この柵も、昔はもっとボロボロだった。

何度も直した。

爺さんがいたころから。

俺が継いだころから。

「……なあ、サニー」

頭に浮かぶのは、色んな馬の顔だった。

ストーンブレイク。

うちの牧場を、大きく動かしてくれた馬。

気位が高くて、面倒見が良くて、ルドルフを産んだ強い牝馬。

俺の発言力なんてものを最初に気にしたのもアイツだった。

あの馬がいなければ、何も始まらなかった。

「ん?」

サニーが静かに話を聞いてくれる。

「俺さ」

ミスタークラウン。

壊れず、走って、稼いで、明るく騒いで、うちの牧場を支えてくれた馬。

あいつがいたから、俺は笑えた。

あいつがいなければ、人を増やすなんてことも出来なかった。

それに、あいつの血が、サニーを連れてきた。

「うん」

今の俺は、傍から見たら馬に話しかけてる怪しい爺さんだ。

「最初は牧場を継ぐつもりなんてなかったんだよ」

サクライルドルフ。

流星の夜に生まれた、わがままで甘えん坊の皇帝。

ルドルフがいなければ、今の桜井牧場はない。

あいつが勝つたびに、人が増えて、門がついて、厩舎が直って、飯が良くなって、未来が一つずつ増えていった。

「そうだったのか!?」

サニーは良いリアクションするなぁ。

「ああ、しかも継いだ当初は馬のことなんて、何もわからなかった」

テンザンサクラを含め、数え切れない馬がいた。

本当に、たくさん。

勝った馬もいる。

負けた馬もいる。

売った馬もいる。

大きな舞台へ行った馬もいる。

そこまで届かなかった馬もいる。

怪我をした馬もいる。

長く生きた馬もいる。

早くにいなくなった馬もいる。

全部が、ここにある。

全部が、今の桜井牧場に繋がっている。

「じゃあ、ここまで牧場でかくした爺さんすげぇな!?」

サニーが本当に驚いたような声を出している。

あの頃の馬たちがこのリアクション見たらどう思うかな。

『エクリプス!エクリプスが並ぶ!世界の強豪たちに並んだ!日本のエクリプス、ここで先頭に立つのか!?』

実況の人の喉が心配になる声が微かに聞こえる。

「たくさんの馬や人に助けられたんだよ」

最初は何もできなかった。

朝は早いし。

金はないし。

知らないことばかりで。

でも、爺さんに基礎を叩き込まれ。

馬たちに教えられ。

弥生ちゃんに助けられ。

松さん、竹さん、梅さんや皆が加わってくれた。

岡部さんがいた。

クロエさんがいた。

天山さんがいた。

金持がいた。

その全部が繋がって、今、小さな牧場から始まった馬が凱旋門賞まで行っている。

都合のいい物語みたいだ。

いや、競馬の神様は時々、物語よりやりすぎる。

「えー、じゃあ、そもそも爺さんはなんで牧場続けようとしたんだよ?」

サニーが心底不思議そうに聞いてきたので、思わず笑ってしまう。

「ああ、それはな」

だって、しょうがないじゃないか。

なんとなくで決めたけど、その先が続いた理由なんて決まってる。

『――エクリプスだあああああああああああああああああああ!!!!』

実況の絶叫が、馬房から、母屋から、開け放たれた窓から、空気を震わせて放牧地まで届いた。

直後。

桜井牧場が、爆発した。

馬たちの歓声。

人間たちの叫び声。

拍手。

泣き声。

笑い声。

全部が混ざって、静内の空へ広がっていく。

「“就職先が倒産したので牧場を継いだら、俺だけ馬の声が聞こえるようになったから”だよ」