作品タイトル不明
第百八話 ちょっと世界最強になってくる
初夏。
「じーちゃーん! あつーい!」
「おれ、でもげんきー!」
「ぼくもー!」
「ごはんまだー!?」
「おやつー!!」
「ねむいー!!」
「でもあそぶー!!」
放牧地の端っこで、今年の当歳たちが今日も元気いっぱいに騒いでいた。
うん、平和だな。
うるさいけど。
昔と比べて数が増えているので、なおうるさい。
そして、その向こうで、種牡馬になってなお元気の権化みたいな馬が、やっぱり声を張っていた。
「はっはっはっ!!ほら見ろチビども!これがGⅠ馬にして桜井牧場が誇る伝説の太陽系種牡馬サニーボーイ様の風格だ!!」
「誇ってるの誰?」
「サニーにーちゃんだけでしょ」
「なんか日陰が減る感じする」
「太陽系って言い方もよくわかんない」
「でもサニーにーちゃん、きょうも元気ー」
「うるさーい」
好き放題言われている。
だが、サニーは全然気にしていなかった。
むしろ「そうだろう!」みたいな顔で胸を張っている。
こいつ、本当に引退してからも何ひとつ静かにならないな。
そして、俺の目の前にいる人間の声量と熱量は当歳やサニーに負けていなかった。
「本日は!ありがとうございます!!」
有馬記念前にもお会いした『月刊最北競馬』編集部所属の若い記者さんである。
「いえ、こちらこそ、暑い中ありがとうございます」
「暑いですが!暑さに負けないくらい今の競馬界が熱いので問題ありません!!」
「そうですか……」
そう言われると、なんかもう返しづらいな。
記者さんは、きらきらした目で俺の背後を見ている。
「ああ……エクリプス!!」
声が弾む。
「まず!エクリプスによるルドルフ以来の春古馬三冠達成おめでとうございます!!」
うん。
やってくれちゃいました、エクリプス。
世間は大騒ぎだった。
新聞も騒いだ。
テレビも騒いだ。
ネットも騒いだ。
競馬場も騒いだ。
サニーも騒いだ。
――サニーはいつもか。
「あ、ありがとうございます。よく頑張ってくれました」
「特に天皇賞春の熱戦は!!今思い返しても!ああ!素晴らしいレースでした」
「そ、そうですね……」
熱い。
ちょっと離れてほしいくらい熱い。
でも、気持ちはわかる。
春の天皇賞は、すごかったからなぁ。
「そこで!エクリプスは夏休み後、海外挑戦というお話で間違いないでしょうか!?」
お、これが本題だろうな。
「そうですね……エクリプス?」
エクリプスは、ごく自然に答えた。
「うん、どうせなら世界最強になってくる」
怖いことを、そんなコンビニ行くみたいなテンションで言うな。
俺は時々、「こいつゲームの隠しボスかな?」と思うことがある。
「『世界最強になりたい』とのことなので、その予定です」
記者さんの目が、わかりやすく光った。
「おおお!!であれば!凱旋門賞を目指すということでよろしいでしょうか!?」
凱旋門賞。
フランス。
ロンシャン競馬場。
昔、ゴールデンビールが二着だったレース。
そして、数十年後の今も、未だ日本競馬にとって特別な響きを持つレース。
「一応、その予定で調教師さんとは打合せ済です……」
そう答えた瞬間、記者さんが本気で拳を握った。
なんというか。
この人、本当に競馬が好きなんだな。
「桜井朔さんも現地には行かれるのでしょうか!?」
「いえ、私はお留守番です」
「なにゆえ!?」
いや、そんな顔されても俺引退済だし。
海外行きはさすがにしんどい。
「うちからは現牧場主の皐月が付いていきますし、金持……ゴールドファームの先代も付いて行ってバックアップしてくれるそうです」
「おおおおおお!!!」
記者さんの声が、さっきよりさらに一段上がった。
まあ、俺も聞いた時は、こっちも「何その豪華サポート体制」って思った。
いや、ありがたいんだけど。
あいつはあいつで、昔からうるさいし偉そうだし面倒くさい。
だが、いざという時の頼りになる度合いも昔から変わらない。
……ちなみに本人は「やっぱり君には僕の助けが必要なようだねぇ!!」とか言ってた。
あと、「エクリプスが行くなら、僕も行かねばならないだろう!なにせビールの血も入っているのだからね!」とも言ってた。
記者さんは、今にも燃え上がりそうな勢いで、何度も頷いている。
「素晴らしいです……!桜井牧場とゴールドファームの協力体制……!競馬界の夢と歴史が……!」
怖い怖い。
熱量が怖い。
「爺さん」
「ん?」
「さっきからその人、うるさいね」
一方、取材を受けるエクリプス自身のリアクションはこれである。
やめろ。
正しいけどやめろ。
「エクリプス、そういうことは思っても言うな」
「思ったこと言っただけ」
「それがダメなんだよ」
記者さんにはもちろん馬の声は聞こえていない。
「おお、今の鳴き声……!落ち着きと風格を感じます!ああ、やはり王者……!」
いや、今のはただの「うるさい」なんだよなぁ……。
俺は表情には出さないようにしつつ、内心でちょっと引いていた。
すると、その横でサニーが大きな声を張った。
「気を付けて行ってこいよ、エクリプス!!」
エクリプスは、少しだけサニーを見た。
「世界最強になって帰ってきたら、サニーもう一回勝負ね」
「俺引退済なんだけど!?」
「知らない」
「ワガママァ!?」
そのやり取りに、記者さんがぱっと顔を上げる。
うわ、今の絶対拾う顔だ。
「今のやり取りは!?今のやり取りはどういう!?」
「えーと……」
どう説明すればいいんだこれ。
だが、記者さんはもう前のめりだったので諦めて説明する。
「『海外から帰ったらまたサニーと勝負したい』そうです」
「おおおおお!!」
何がそんなに刺さったんだ。
記者さんは完全に興奮していた。
「熱い……!引退した太陽と、世界最強となった蝕の再戦……!!うわ、見たい……!」
「いや、まだ凱旋門賞前なんですけど」
「それはそれ、これはこれです!!」
強い。
本当に強い。
月刊最北競馬の記者さんは、たぶん馬のレースだけじゃなく“物語の匂い”で生きている。
放牧地の向こうで一歳馬たちがひそひそやっていた。
「あの人、サニーにーちゃんと同じくらいうるさいね」
「エクリプスにーちゃん、相変わらず引退って概念に厳しい」
「世界最強になったらまた勝負って、だいぶ変だよね」
「でもエクリプスにーちゃんだし」
「それで許されるの、だいぶズルい」
たしかに、ちょっとズルい。
というかうちの馬たちは大体ズルい。
取材は続く。
春古馬三冠の話。
海外遠征の検疫や輸送。
現地での前哨戦の予定。
騎手の滝さんのコメント。
俺は答えられる範囲で答える。
エクリプスは時々こちらに口を挟む。
サニーはだいたいずっと口を挟む。
記者さんは少しだけ息を整えてから、最後の質問に入った。
「では最後に!エクリプスの海外挑戦を待つファンの皆さまへ、一言お願いできますか!」
おお、締めに来た。
「エクリプス?」
エクリプスは、少しだけ考えるように空を見た。
初夏の空は明るい。
風はぬるくて、青草の匂いがする。
放牧地では当歳たちがまだ騒いでいる。
サニーは横でなんかそわそわしてる。
そんな中で、エクリプスはぽつりと言った。
「僕に勝てるのは、サニーだけ」
短い。
でも、十分だった。
「『僕に勝てるのはサニーだけ』とのことです」
記者さんの目から涙があふれだした。
「ありがとうございます!ありがとうございます!!」
いや、そんなに頭下げなくても。
取材が終わる頃には、俺は少し疲れていた。
記者さんは逆に元気になっていた。
どういう仕組みなんだ。
最後に記者さんはもう一度エクリプスを見て、それから少しだけ真面目な顔になった。
「エクリプス、行ってらっしゃい。日本中が、応援してます」
記者さんは小さくそう言った。
エクリプスは、少しだけ耳を動かして、それから短く鳴いた。
「ブルル」
「……はい!」
何が「はい!」なのかはわからないが、記者さんは満足そうだった。
今の通訳は……まあ、いいか。