軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第百四話 変わったと言われても、自分ではよくわからない。

中山競馬場に、随分と気合の入ったファンファーレが響く。

歓声と拍手もすごく大きい。

有馬記念。

年末のグランプリ。

ファン投票で選ばれた馬たちが集まる、らしい。

……そういえば、自分が選ばれない可能性考えてなかったな。

以前の僕なら、こういう空気はどうでもよかった。

歓声も。

相手も。

誰が何を背負っているかも。

どうでもよかった。

でも、今は少し違う。

違う、と思う。

「サニー」

僕が呼ぶと、少し前にいたサニーボーイがぱっと耳をこちらへ向けた。

「おう、エクリプス!」

サニーは、いつものようにでかい声で返してきた。

うるさい。

「今日は……僕が勝つ。勝ち逃げなんてさせない」

ジャパンカップのあとから、ずっとそう決めていた。

サニーに負けた。

それは悔しい。

ものすごく悔しい。

だから――勝ち逃げで引退なんて許さない。

「おう!俺も負けねぇぜ!」

軽い。

なんでそんなに嬉しそうなんだろう。

「おい!」

横から、聞き慣れたうるさい声が割り込んできた。

「お前ら二頭だけで世界回すな!今日勝つのは俺様だからな!」

ゴールデンウイスキだ。

今日も、すごく元気そう。

うるさい。

ゴールドファームの馬は、どうしてこう声が大きいのだろう。

いや、サニーも大きい。

ということは、強い馬は声が大きくなるのだろうか。

僕は別に大きくない。

じゃあ違うか。

「ゴールデンウイスキ……」

僕が名前を呼ぶと、ウイスキはぴたりと固まった。

それから、ものすごく嬉しそうに胸を張った。

「おお、本当に名前覚えやがったな!」

「覚えたよ」

周りの馬たちが少し笑った。

「よかったなウイスキ」

「ついに認識されたか」

「ダービー二着と皐月賞二着の甲斐があったじゃん」

「ジャパンカップ四着も効いたな」

「煽りに行ったのが効いたんだろ」

「うるせぇ!」

ウイスキが吠える。

「ようやく名前を覚えさせただけでも大進歩だ!」

「進歩ってお前……」

サニーがちょっと引いたような声を出している。

「なんだよ」

「いや、お前も苦労してんなと思って」

「お前にだけは言われたくねぇ!」

そのやり取りに、また少し笑いが広がった。

元気だ。

こういう馬を見ると、少し不思議になる。

勝っても負けても、ちゃんと前を向く。

僕に負けても、あいつは僕のところに来た。

ゴールドファームの馬は、声が大きくて、偉そうで、面倒くさい。

でも、悪い馬ではない。

たぶん。

「ウイスキ」

「なんだ」

「今日もよろしく」

「……お、おう」

ウイスキが変な顔をしている。

驚いているような、照れているような、怒りたいような顔。

「な、なんだよ急に!調子狂うだろうが!」

「よろしくって言っただけ」

「それが調子狂うんだよ!お前はもっとこう、『あなた程度では僕に届きません』とか言ってろ!」

「まあ、届かないとは思う」

「それはそれでムカつく!」

周りがまた笑う。

人間たちは、こっちの会話なんてわからない。

でも、何かは感じているのだろう。

騎手たちが少しだけ笑ったり、首筋を叩いたりしている。

僕の背中の騎手も、軽く手を動かした。

「エクリプス、今日はいい顔だな」

この人の名前も覚えた。

滝さん。

ずっと乗ってくれている。

爺さんが言うにはすごく上手な人らしい。

そういえば、乗られて嫌な感じがしたことがないから、そうなのかもしれない。

僕は耳だけ少し動かした。

いい顔。

最近、よく言われる。

自分の顔がどう変わったのかは、僕にはわからない。

でも、前よりも周りがよく見えるようになった気はする。

あ、あの馬は。

「菊花賞ぶり。今日もよろしく」

僕は、少し離れたところにいる一頭へ声をかけた。

菊花賞で一緒に走った馬だ。

爺さんに「次は俺のこと覚えろ」と伝言していたらしい。

だから覚えてきた。

ちゃんと。

その馬が、少し目を細めた。

「自分から話しかけてくるとか、だいぶ変わったじゃないか」

僕は少しだけ頷いた。

「色々あってね。今日はよろしくね、マンハ――」

「おっと、そこまでだ」

遮られた。

「?」

なんで止めるんだろう。

せっかく名前覚えたのに。

その馬は、少しだけ口元を上げるように鼻を鳴らした。

「レースが終わった後に、『負けました』って俺の名前を呼ばせてやる」

周りの馬たちが「おお」とざわつく。

なるほど。

勝つつもりなのだ。

僕に。

この馬は。

「んー」

でも、それは、たぶん無理だ。

だって、勝つのは僕だし。

だから、正直に言った。

「それは無理だと思うよ、マンハッタンティー」

「結局言うのかよ!」

マンハッタンティーが叫んだ。

周りの馬たちが吹き出す。

「イイ性格してんな、お前!?」

イイ性格。

褒めてくれたのか。

この馬は、ちゃんと良いところを見つけて口にしてくれるタイプらしい。

「ありがとう」

だから、そう返すと、マンハッタンティーは驚いた顔をした。

「ありがとう!?褒めたんじゃねぇよ!?」

「違うの?」

「……よし、ぜってぇ今日は俺が勝つ」

マンハッタンティーの声は、さっきより少し強かった。

なんでだろう。

お礼を言ったのに、勝つ気が増えたらしい。

馬は難しい。

そこへ、すかさずサニーが首を突っ込んできた。

「エクリプス!友達か!?」

友達。

性格を褒めてくれたし。

名前を呼んでほしいと言ってきたし。

……友達なのかも。

「うん、そう」

そう答えると、サニーの顔がぱっと明るくなった。

「それは本当に良かったな!」

なんでそんなに嬉しそうなのか。

僕に友達ができたことが、そんなに嬉しいのだろうか。

サニーはそのままマンハッタンティーの方へ顔を向けた。

「こいつのことよろしくな!?」

マンハッタンティーが全力で首を振った。

「友達じゃねぇよ!?桜井牧場って変な馬しかいねぇの!?」

「今さら何言ってんだ」

ウイスキが呆れた声を出す。

「そこはもう諦めろ」

「まあ、サクライだしな……」

近くの馬が妙に納得した声を出した。

「桜井牧場の馬って、昔からなんか濃いよな」

「ゴールドファームも人のこと言えないけどな」

「それはそう」

「というか今日、濃い馬しかいなくない?」

「有馬記念だぞ」

「納得」

いろんな馬たちが混ざってくる。

みんなワイワイしている。

有馬記念の直前だというのに。

全員勝つ気でいるくせに。

その時、なんか偉そうな古馬が低い声で言った。

「まあ、いいさ。どうせゲートに入ったら全部黙る」

それはそうだ。

ゲートに入ってしまえば、そこからはただ走るだけだ。

ただ、勝つためだけの時間になる。

……。

いや。

少しだけ違うかもしれない。

今、サニーがいて。

ウイスキがいて。

マンハッタンティーがいて。

他の馬たちがいて。

それだけで、世界は前より少しだけ広い。

サニーが、ふとこちらを見た。

「エクリプス」

「何」

「今日は、楽しく勝負しようぜ」

楽しく。

その言葉を、前より少しだけわかる気がする。

「うん」

僕は頷いた。

「でも勝つのは僕」

人間に導かれて、一頭ずつゲートへ向かっていく。

狭い通路。

この先に、二千五百メートルの戦場が待っている。

遠くの歓声。

白い冬の光。

人間たちのざわめき。

その全部の向こうに、たぶん爺さんがいる。

見てるよね。

今日は、前みたいに独りでは走らない。

勝つのは、もちろん僕だけど。

でも、ちゃんと横に他の馬がいる。

上にも騎手が乗っている。

後ろには送り出してくれたみんながいる。

それがレースだ。

ゲートに入る順番が近づく。

僕は静かに息を吸った。

有馬記念。

年末のグランプリ。

そして、サニーボーイの最後のレース。

だからこそ。

――絶対に勝つ。

レースは楽しい。

勝ったら、きっと、もっと楽しい。