作品タイトル不明
第九十八話 さすが日本、アニメみたいなことばっかり起こる
ジャパンカップ当日。
空は、きれいに晴れていた。
晴れていたのだが、俺の気持ちは別に爽やかではない。
なぜならここは東京競馬場。
しかもジャパンカップ。
国内の強い馬だけじゃなく、海外からもバケモノみたいな馬が来る、あのジャパンカップである。
芝二千四百メートル。
日本が誇る国際GⅠ。
昔、ゴールデンビールとルドルフとダンシングトニーが三頭横並びでやり合った、あの舞台でもある。
今さらながら、うちの牧場の馬が普通にその主役みたいな扱いでここにいるの、だいぶ意味がわからない。
エクリプス。
無敗の三冠馬。
しかも、この時点でGⅠ五勝。
もはや新聞もテレビもネットも、ちょっと言葉を選ばなくなっている。
『史上最強』
『規格外』
『世界を相手にしても負けるはずがない』
『日食の名を持つ黒き王』
そんな扱いを受けていると――
「フフフ、貴様がエクリプスか」
まあ、こうなる。
パドックが終わり、各馬にそれぞれ馬主や調教師さんが近づくこの時間。
海外から来た馬が三頭、エクリプスの前に陣取っていた。
どれも立派だ。
筋肉のつき方からして“お前、そこらのGⅠ馬より一段上だろ”って雰囲気をしている。
たぶん、強い。
そして、そのうちの一頭が、いかにも芝居がかった調子で言った。
「最強とか言う噂だが、所詮小さな島国の話」
別の一頭が、低く続ける。
「その自信、へし折ってやろう」
かっこいい。
普通にかっこいい。
これだよこれ。
こういうの、日本の競馬ファンが一番好きなやつだろ。
いかにも「欧州の刺客」とか「海外の強豪」って感じだ。
周りの国内馬たちも、少しだけ耳を向けている。
そして、その三頭に囲まれている当のエクリプスはというと。
「……」
黙っていた。
まあ、そうなるよな。
「……」
「……」
「……」
海外馬たちは、ちょっと待っていた。
返事を。
当然だ。
気まずい。
ものすごく気まずい。
せめて何か返せ。
海外からわざわざ海越えて来て、開口一番に「貴様がエクリプスか」とか言ってくれてるんだぞ。
これはもう接待だろ。
海外馬一号が、少しだけ耳を動かした。
「……聞こえているか?」
エクリプスは少しだけ瞬きをした。
「聞こえてる」
「なら何か言え!」
「何を?」
「何を、ではない!」
海外馬一号が早くも崩れた。
かわいそう。
エクリプスは、本当に困ったような顔をしている。
いや、困ったというより、面倒くさそうな顔だ。
「君たちは、誰?」
三頭の空気が死んだ。
周囲の国内馬たちが、ざわっとした。
「出たぞ」
「エクリプスの誰だっけ攻撃」
「海外相手にもやるのか」
「平等だな」
「平等ってそういうことか?」
俺は頭を抱えたくなった。
「エクリプス!」
その空気をぶった切ったのは、やっぱりサニーボーイだった。
「海外から来たお客さんたちが困ってるぞ!?」
「誰がお客さんだ!」
海外馬一号がキレた。
即ツッコミ。
いい馬だな。
サニーは悪びれない。
「だって遠くから来たんだろ!?ならお客さんじゃん!」
「我々は勝ちに来たのだ!」
「じゃあ、勝ちに来たお客さんだな!」
「変な分類をするな!」
そのやり取りで、周りの馬たちが少し笑う。
エクリプスは、その間に何か考えていたらしい。
少しだけ視線を下げて、呟いた。
「……最強って言いたかったら、海外も倒さなきゃなんだね」
「そういう問題じゃなくない!?」
サニーのツッコミが速い。
ほんとにそう。
問題の捉え方がいつも“記録の追加条件”みたいなんだよ、お前は。
海外馬二号が、明らかに困惑した顔でサニーを見る。
「……なあ、この馬いつもこんな感じなのか?」
サニーは胸を張った。
「ああ!ちょっとだけ愛想が悪いんだけど、仲良くしてやってくれな!!」
「ちょっと!?」
三号が思わず素で返した。
うん、気持ちはわかる。
周囲の国内馬たちも「うんうん」と頷いてる。
「ちょっとではない」
「だいぶ」
「かなり」
「愛想という概念を牧場に置いてきた」
「いや、生まれた時から持ってなかった説がある」
ひどい言われようである。
でも否定できない。
流石にそろそろ仲裁してやらないと海外馬たちがかわいそうなので俺も近づいた。
「ほら、サニー。海外の馬たちにまで迷惑かけるんじゃない」
サニーが、いかにも無実ですみたいな顔でこっちを向いた。
「かけてないぜ!仲良くしてただけだ!」
「ならいいけど」
俺が普通に返した、その瞬間だった。
「……え?」
海外馬一号が固まった。
二号も、耳をぴくっと立てる。
「今、そこの人間普通に会話しなかったか?」
あ、そこだよな。
初見の反応としては正しい。
サニーは、待ってましたとばかりに胸を張った。
「お!そうだぜ!うちの爺さんは馬の言葉がわかるんだぜ!!」
やめろ、その紹介の仕方。
外国人観光客に「うちのじーちゃん忍者なんだぜ!」って言う孫と同じテンションなんだよ。
「まあ、気のせいかもしれんがな」
俺は一応そう濁した。
すると三号が、ちょっと引きながら、それでも妙に感心した声で言った。
「さすが日本。アニメみたいなことばっかり起こるぜ!」
お前らの中の日本観どうなってるんだ。
だが、その言葉に一号が深く頷いた。
「たしかに……富士山、忍者、サムライ、そして馬の声が聞こえる老人……」
「いや、最後だけ急にファンタジー度が高い」
二号が、俺をじっと見ながら言う。
「つまり、お前は我らの言葉も理解しているのか?」
「まあ、たぶん」
「今、俺の言葉にも返したな!?」
「まあ、聞こえたからな」
「なんだそれは!」
「俺が一番知りたい」
本当に。
何十年経っても、わからんものはわからん。
「海外馬、やっぱり驚くんだな」
「そりゃそうだろ」
「俺たちはもう慣れすぎた」
「サクライの爺さんが馬と喋ってるの、普通だもんな」
「慣れって怖いよな」
「海外勢がびっくりしてるの、ちょっと面白い」
「いや普通びっくりするだろ」
「それはそう」
好き放題である。
そこへ、さらに空気をぶち壊すような声が飛んできた。
「やあやあやあ!!世界の名馬諸君!!調子はどうかね!!」
金持である。
今日も今日とてうるさい。
そしてその後ろには、ゴールドファームの関係者たちと、ゴールデンウイスキがいた。
ウイスキは、エクリプスを見るなり鼻を鳴らした。
「ふん、海外勢にサニーにエクリプス。今日は賑やかだな」
「……誰だっけ」
「皐月とダービーで一緒に走ったろ!?ゴールデンウイスキだよ!!」
「ということは、僕より後ろにいたんでしょ」
「いい加減にしろよ、お前!?」
ウイスキが吠えた。
元気がある。
良い。
ゴールドファームの馬はこうでなくてはいけない。
金持が俺の横に並び、にやにやしている。
「ウイスキはやる気満々のようだね」
「まあ、そうだな」
「今の顔は『勝ってエクリプスを煽る』と決めている顔だ!」
「大体あってる」
「そのくらいの気概がなくては!」
その時、騎手たちが近づいてくる気配がした。
場の空気が、少しだけ締まる。
サニーが、ふっと笑ってエクリプスに言う。
「よし!エクリプス!」
「……何」
「今日は俺が勝つ!」
「無理」
「おい!」
「僕が勝つ」
「うわ、ムカつく!」
ウイスキも負けじと前に出る。
「言っとくが、俺様もいるからな!!」
一号が鼻を鳴らした。
「エクリプス。覚えておけ。今日、貴様は世界を知る」
二号も続く。
「泣く準備はできているか、日本の名馬たちよ」
三号は、妙に楽しそうだった。
「オラ、わくわくしてきたぞ」
そして。
その全部を前にして。
エクリプスは、本当にいつもどおりの顔でぽつりと言った。
「……いつもどおり僕が勝つだけ」
聞いていた周りの馬も全員獰猛な笑みを浮かべる。
ああ。
これだ。
これが競馬だ。
うるさくて。
熱くて。
全員が自分が主役だと思っている。
騎手が跨り、通路を抜けてレース場へ向かっていく。
それを見送りながら、俺は一度だけ深く息を吐いた。
「……行ってこい」
誰に向けた言葉だったのか、自分でも少しだけわからなかった。
でも、たぶん、全員にだ。
その直後、サニーの声が通路の先から飛んできた。
「うおおおおおお!!今日の主役は俺だあああああ!!」
うるさい。
海外馬の声も続いた。
「日本馬、声がでかいぞ!」
「それはサニーだけだ!」
「いや、ゴールドファームもでかい!」
「何を言う!俺様は華があるだけだ!」
最後までうるさい。
俺は少し笑ってから、馬主席へ向かって歩き出した。
さあ。
ジャパンカップが始まる。