軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第六百一話 奇妙な光景

「あ……アース……ごめんなさい……私、うかれて――――」

精一杯の勇気と抑えきれなかった欲望に支配され、アースにぶつかったクロン。

だが、ここに来てアースからの拒絶に、クロンは目元に涙が浮かび上がりながらも、自分の愚かしさや恥ずかしさを感じながら謝罪をしようとした。

だが、

「ごめん、クロン。お前に恥をかかせて、本当に俺がどうしようもなかった」

「え?」

先に謝ったのはアースの方だった。

そこには、さきほどまで顔を真っ赤にしてパニックになっていたアースはいない。

どこか達観したような表情で落ち着いていた。

「本当は……このままお前とそういうこと……普通にいっぱいしたいと思った」

「え!? アース……で、でしたら、私は――――」

「だけど……そういうのって、本当はもっと……その……恋人になって交換日記やったり結婚して初めての夜に星空の下で互いに誓い合ってとか……いや、まあ、いずれにせよ……色々とすっ飛ばしすぎすぎて、俺もまったくこういう経験ないから、もうパニックになって流されそうになったんだけど……でも……今はちょっと落ち着いた……」

アースは落ち着いているようで途中からごにょごにょと何か言いにくそうなことをツラツラと並べて、クロンはそこはよく聞き取れなかった。

だが、一つ分かったのは、アースは決してクロンを拒絶して止めたわけではないということ。

なら、何が理由で?

それは……

「俺……間違いなく……クロンが俺を全力で好きって言ってくれてることをちゃんとわかってるし……そんなクロンに俺だって惹かれてるし、こういうことをしたいと……だけど、クロンと同じように俺のことを全力でぶつかってきてくれる奴らも居て……」

アースがクロンに惹かれているのは間違いなかった。

だが、アースには何の筋も通さずにこういうことをするわけにはいかないと思った。

「返事ものらりくらりにしたまま、なんやかんやでクロンと……それって、すごいダメだと思うんだ。そもそも俺はガキの頃からサディスのこと好きとか言ってたし、この数日はシノブと一緒にいたりで……ずっと、フィアンセイにも勘違いさせちまってたし……なんか、うん、まあ、もう、俺は帝国の外に出るまで、こんなに女の子にモテたことなくて……だからこそちゃんとしないと……ちゃんと……俺はこいつが好きなんだってハッキリさせてからじゃないと……」

「……それは、誰か一人を選ぶということですか?」

「いや、あ、お、俺が選ぶって言い方、すげー何様な感じなんだけど……でも、そ、そうなっちゃうけど……だから、クロン……俺がお前だけを好きだってハッキリさせたらちゃんと俺から……だから、もし待てなければ見捨ててくれても構わない……ただ、できればもうちょっと待っ―――――」

ちゃんと答えを出す。

そして、出してから改めて、今度は自分から申し入れる。

一度果てて冷静になったアースが今言えることはこれが限度。

だったのだが……

「あの、アース。たぶんそれ……私、終わらないと思うのです」

「え?」

ちょっと困った顔をしてクロンがそう口にした。

どういう意味かとアースが顔を上げると……

「いえ、実はですね……その……アースは私がアースを大好きなのは分かっていると言ってますけど、たぶんアースが分かっている以上に私はアースが好きで……その……私、仮にアースがシノブやサディスやフィアンセイが好きだから私と結婚できないと言われても……それならもっと好きになってもらうように努力するとか……諦めないというか……なんといいますか……ん~……」

アースはまだ微妙に見誤っていた。

それは、クロンだけでなく、実はシノブもそうだったりすること。

二人とも仮にアースに「フラれたとしても、好きになってもらえるようにもっと努力する。諦めない」という風に思っていて、アースにフラれた場合は諦めるという選択肢はそもそも考えたこともなかったのであり、アースはそこら辺を見誤っていたりした。

クロンもそこらへんはアースにちゃんと分かってもらおうとした……が……

「でも……はい、今夜に限っては……そもそもアースもお疲れのところを私は強引すぎましたから……今日はもうおしまいです。私ももう拗ねてアースを襲ったりしません♪」

とりあえず今日はもうアースの様子から、自分と「そういうこと」は無さそうであり、このままもっと強引に行ってこれ以上アースに迷惑をかけたり、嫌われたりすることだけはクロンも望まない。

だから、自分への戒めもこめて今日はここまでだということに、クロンも頷いた。

「そっか……じゃあ、ちょっと俺も今日はアレだ……寝る前に、色々と汚れていることに気づいたから風呂を借りるぞ? 洗えるものは洗っときたいし……」

「あっ、それなら私が洗います! 私、カリーだけでなく、洗濯だってもうへっちゃらなんですから! アースの服は私が――――」

「いやいやいやいやいやいや、いい、いいから! いい、自分の服ぐらいは自分で洗う! 自分の服ぐらい自分で洗うのは当然だ!」

「え、でも、そういう家事は妻として―――」

「ば、ばっか、なんだその価値観は! 妻が家事する役目とか、そんなの決まってないし、そういう男が外で働いて女は家で家事とかいうのは古い価値観であり、今のジェンダーがアレで、と、とにかく、いいから!」

「あっ、でしたらお風呂のお手伝いはどうでしょうか! 私、アースのお背中をゴシゴシします! カクレテールでも一緒に入ったではないですか!」

「もっとダメぇッ!」

アースの服の洗濯は、労働というより、クロンとしては「やりたい」のだが、アースは「ならん」と跳ねのけてそのまま洗面所に入った。

扉をガチャンと閉じてクロンが乱入してこないようにした。

「むう……にゃんにゃん……やっぱり拗ね拗ねです……」

あとに残された猫クロンは、軽く閉ざされたドアをひっかいて、そのままドアに背を預けるように座り込んだ。

中からはアースが水を使って衣服をゴシゴシしている音が聞こえる。激戦の汗や汚れを落としているのだ。

クロンとしてはそれに顔を埋めたいな~と思ったりもしていたが、これ以上アースに拒絶されて怒られるのだけは避けたく、諦めるしかなかった。

「アースはガードが硬いのです……」

「許してくれよ。ここで本当に誘惑に負けてお前と一線越えたら……たぶん、俺はスゲークソ野郎だと思っちゃう」

ドアの向こうのアースに聞こえるようにポツリと呟くクロン。

その向こうでその呟きを聞いたアースは……

「ガードと言えば……さっきも言ったように、ヤミディレだって俺よりももうちっとガードがあるよな……」

「え? お母さんですか……ん~……そうですね~もうちょっとだと思うのですが……今、アースと私を隔てているこの壁一枚ぐらい……だけど、これがもうちょっとなのですけど、なかなか開かないのです」

自分だけではない。天空世界で別れてから今日まで、ずっと常に一緒にいたヤミディレとクロン。

クロンはヤミディレを「お母さん」と呼び、ヤミディレも今はそれに対して耳を塞がないまでにはなっているが、未だにクロンを「様」とつけて敬語で話している。

アースのいうようにまだ二人に壁がある。

すると……

「なあ、それならよ……お母さん呼び以外でもう少し変えてみるか?」

「―――――え?」

まだ陽が完全に登り始める前の薄暗い早朝。

広々とした調理場で大量の野菜や肉を並べて切ったり下ごしらえをしながら、窓の外から見えるナンゴークの島をヤミディレは警戒して眺めているが、特に変化はない。

「……オツたちはどうやら本当に大人しく下がったようだな。まぁ、今後どのように動いてくるか分からぬ以上、警戒は必要だが……」

警戒心は解かぬまま、再び作業に取り掛かるヤミディレ。

慣れた手つきで材料以外にも鍋などの調理器具を並べて火の準備もする。

「それよりも、今はクロン様だ。アース・ラガンはちゃんとクロン様を抱いただろうか? 童貞であるだろうから失敗しないかだけが気がかりだが……クロン様はちゃんと大人の階段に――――ぬっ」

……が、そこでピタッとヤミディレの手が止まり、少し胸を抑える。

「……なんだ? クロン様がアース・ラガンと交わって御子様を授かることは私にとっても大願……なのに……なんだ? この切ないような複雑な心境は……ええい、『家臣』たる私が何をバカなことを……」

それは、ヤミディレ自身が必死に否定しようとも、「娘が幸せになることを望んでいても、その娘が自分の手元から離れていって、後から現れた男に搔っ攫われてしまうような感傷」であった。

するとその時……

「……朝から早いねぇ……手伝おっか?」

「ッ!?」

「ってか、警戒していた割には無防備だよ?」

思いもよらぬ声と気配に慌てて振り返るヤミディレ。

そこには、目をバッチリと開けたエスピが立っていた。

「……エスピか……貴様こそ早いではないか」

「うん。何か昨日、横になったら一瞬で寝ちゃって、そのままグッスリね……もう十分。元々、戦争の時から早起きがクセみたいになってたしね……」

「………………」

調理場に足を踏み入れるエスピ。

そのままヤミディレの隣に立って包丁を取り、

「野菜、切ればいいでしょ?」

「おい、何を勝手に……それに素人が――――」

「は? 素人? 言っておくけど、私もスレイヤ君も、カリーづくりに関してだけは自信あるからね。十数年間、お兄ちゃんカリーを再現するために、いっぱい頑張ったし……」

「ぬ、むう…………」

ヤミディレが了承する前に、エスピもまた慣れた手つきで野菜の皮を剥き、切り、作業を始める。

その手際は本物であり、厳しいヤミディレも門前払いにするようなものではなく、仕方なくそのままにした。

「………………」

「………………」

それは、奇妙な光景だった。

かつて、歴史の教科書にも載り、伝説にすらなっている魔王軍の六覇のヤミディレと、七勇者のエスピ。

かつては多くの命を率い、懸け、凄惨な殺し合いをしてきたはずの両者が、同じ調理場でカリーづくりをしているのである。

その奇妙さは、当然本人たちも気づいており……

「この光景をヒイロたちが見たらひっくり返るだろうけど……」

「…………」

「トレイナが見たら……笑うのかな?」

「…………」

エスピが苦笑しながらそう呟くと、ヤミディレも重い口をようやく開いた。

「恥を知れと……失望されないだろうか? かつての戦で失った何千何万の命に申し訳ないと思わないのかと……力を封じられた状態で生き恥を晒し、この反吐が出るほど平穏で……温かい日々を享受し……宿敵だったはずの貴様の接近にも気づかぬほど腑抜けている私を見て――――」

ヤミディレが人生の大半を懸けて慕い、そして狂うほど信奉し続けた絶対的な存在。

「私のあの方への想いは決して軽くなってはいない! クロン様が傍に居ても、あの方への想いとて薄れてはいない! あの方に僅かでも失望されたのなら、死んだ方がマシだと――――」

しかし……

「もし……万が一さ、『今』トレイナに失望されたとしたら、本当に死にたいの?」

「………」

エスピがヤミディレに問う。

すると、ヤミディレの野菜を切る手が止まり、唇を噛みしめながら……

「クロン様を……アース・ラガンに……ちゃんと任せられるまで……それを見届けるまでは死ねぬ……」

「じゃあさ、仮にお兄ちゃんとクロンちゃんが結ばれたら、もう後はいいの? 二人の子供がもし生まれたら抱っこしたいとかそういうことはないの?」

「ッ!? つっ、う……う……」

そう、ヤミディレはトレイナへの想いが薄れているわけではない。

トレイナのためなら死ねた。

トレイナが死ねと言えば死ねた。

トレイナに失望されたなら、生き恥を晒し続けるぐらいなら死んだ方がマシだとすら思っただろう。

だが、今は……

「死にたく……ない」

生きたいと思うようになっていた。

「だよね♪」

そんなヤミディレに、エスピは微笑んだ。