作品タイトル不明
ヴィクトリアの過去
ヴィクトリアという少女は、十で親に売られた。
お腹に付けられた焼き印の痛みと、それを上回る心の痛み。
肉体的な痛みを、自分の腹部についた印を見る度に思い出した。
売られた先で周りにいたのは、自分と同じような目をした子だった。
主の男は厳しかった。
「ルールってのがあってなあ。お前らみたいないい商品も表じゃ売れねえ。俺も裏の人間になりゃ稼げるが、そこまで世渡り上手くもねえしな」
何が言いたいのか分からなかったが、すぐに捨てられることはなさそうだった。
ナイフを渡されて、近所のジャグリングを見せられた。
あれができるようになるかと言われ、何とか再現しようと挑戦する。
怪我をしても『ほっとけば治る』と言われ、怪我を恐れて練習しないと『もっと痛い目見るか?』と凄まれる。
覚えのいい子、悪い子。
器用な子、不器用な子。
みんな必死で練習した。
帝都の中央広場での発表の日。
サーカスの前座として、いかにも仲の良い養父と娘の 体(てい) で、横一列に並んでジャグリングをした。
表面だけの薄っぺらな、サーカス家族だった。
可愛いけどいつも動きの遅かった子は、最後まで失敗した。
広場では、男は笑って済ませた。
夕食には、みんなに果物が出た。
妙に寛容だなと思った。
翌日、その子は家からいなくなった。
行き先は『向いている場所』としか答えなかった。
私は、前にも増して芸に集中するようになった。
十六歳。運命の『 職業(ジョブ) 選定』の日。
私は幸運にも【剣士】を授かることができた。
帝国にとっては、一番無個性かつ、一番つぶしが利く。
ダンジョンに潜って、レベルを稼ぐ。
技術を磨いて、剣闘奴隷として戦う。
負ける、負ける、負ける。
容赦なく負ける。
打撲の数は増え、時には目が腫れる。
力では、 ま(・) だ(・) 勝てない。
屋敷にあった技術書を読み、戦い方を覚える。
勝ち筋が見えてくるようになり、初勝利ももぎ取れるようになった。
その間も、ダンジョン探索では手を抜かない。
力さえあれば、そう何度思ったことだろう。
中層が危険なことは分かっていた。
死にそうになることも多かったし、実際死にかけた。
それでも悪運だけは強いのか、最後まで私は生き残ったのだ。
レベルが二桁に上がる頃、私は本格的に勝ち星を多く得るようになり、名前の挙がるとなっていた。
二年が経過した辺りで、『大紫の剣士』と実況席に呼ばれた。
闘技会から見える、狭い空を見上げる。
自由はない、鳥籠の鷹にもなれない鳶。
いい生活か、悪い生活か。
そんなことすら考えることのない日々だった。
転機が訪れたのは、二十の手前。
屋敷に火の手が上がった。
いつの間にか床には油が撒かれており、入口側を取り囲むような形で燃え盛っていた。
主の寝室と反対だな、と直感的に思った私が部屋に向かうと、そこには既に血の池に沈んだ肥満の男だったものがあった。
嫌な気配に剣を抜くと、窓の近くに犯人が見えた。
片眼を潰され、顔中に傷があったけど……それが、以前いなくなった子だとすぐに分かった。
「最初に見つかるのが『大紫』だなんて……」
「昔のように名前で呼んでよ、レティ」
「……ヴィッキー」
久々にその名を呼ばれて満足すると、私は剣を鞘に収めて背を向けた。
「見逃してくれるの?」
「なんとなく、ね。レティがどんな目に遭ったか、分かっちゃったから」
もう私も子供ではない。
見た目のいい少女が売られた理由も、その容姿が崩れた後にどうなるかも、分からないわけではない。
奴隷紋のある彼女には、居場所なんて限られている。
気配から先に察知したのは、彼女が【アサシン】だからだろう。
女神の 職業(ジョブ) には、その人の特性が入る。
可愛くて不器用だったあのレティシアが、彼女が心の奥底から望んだ『 暗殺者(アサシン) 』となったのだ。
その過去は知らずとも、察するに余り有る。
「そろそろ消火に向かっていた人達が戻ると思う」
「分かった。その……元気で」
「ええ、あなたもね」
去って行く背中を見送り、私も玄関へと向かって皆に話を伝えた。
最初は私の仕業とも疑われたが、切り傷が鋸状の粗製ナイフであることと、毒を使っていたことですぐに疑いは晴れた。
上位剣闘奴隷である私が主の命を奪うのなら、わざわざそんなものを使う必要はないからだ。
何より、警邏に突き出したところでお互いに得がない。
「ねえ。みんな、逃げない?」
何をやっても、もう怒られることはない。
印を隠せば、表面上は奴隷ではない。
私の提案に、周りの皆は主の部屋から金品をごっそり袋に詰めると、散り散りに離れて行った。
金品を追い求めた肥満の主の、あっけない最期だった。
育てて貰った恩があるかと言われれば、難しい。
少なくとも、レティシアの姿を見た上でそんなことを言えるような甘さは、私にはない。
親ではなかった。主でしかなかった。
背中に、自分の全試合の取り分から十倍近い金貨の重みがのしかかる。
そんな袋も、自分の人生の価値の残り滓と思うと、妙に軽く感じられた。
翌朝、私は何一つ遮るもののない空を見上げた。
自由。
初めて手に入れたもの。
何をやってもいい。
何にだってなれる。
「何をすればいいのかな……」
長年染みついた奴隷の生活は、自分の選択肢を大きく狭めていた。
同じことしかできなくても、最低限の生活ができたのは、冒険者としてダンジョンに潜るだけで報酬が貰えたからだろう。
事件は大きく報じられたが、犯人は見つからず、また私も意外と見つかることはなかった。
剣闘奴隷は多い。元主の管轄グループがいなくなっても、それほど気に留める人はいなかった。
そもそも、私なのだ。
自分が有名人などとは思っていなかったけど、それでも自分が思ったよりも、自分は無名な一個人だった。
ドレスで戦う剣闘奴隷や、筋肉にものを言わせた男戦士のようなインパクトもない。
ちょっと強かった、普通の女。
注目する方がおかしい。
そんなおかしい人が、現れた。
「大丈夫ですか? ふらふらじゃないですか」
「節約しているの。働き口を選べないから」
「でしたら……」
マリウスという男は、中性的な金髪の優男。
あまり帝国の人間らしくない雰囲気で、 職業(ジョブ) は【魔道士】とのことだ。
ただし、レベルは5止まり。
マリウスは剣闘奴隷時代の私を知っており、ずっと注目していたと言っていた。
印のことも当然理解していて、それでも私を雇いたいと頭を下げられた。
男性に頭を下げられたのは初めてだったので、思わず頷いてしまった。
話を進めるうちに、どうやら私のことを遠目に見て、ずっと気になっていたとのこと。
何度も声をかけたくて、闘技会からいなくなった時は街中捜していたらしい。
……変な人。
とりあえず、働き口ができたのは良かった。
どのみち住む場所もその日暮らし。
遠慮なく彼の元で働くこととなった。
ただ、それがいつも遠目に見ていたカジノとは思わなかった。
「奥の部屋を私室として使っているから、君の部屋はそちらに」
そう通されたのは、以前四人で住んでいた私室の数倍はある部屋。
家具は最低限揃えてあり、生活には困らない。
ただ広すぎて、何をすればいいか分からないぐらい。
あんなに自由に憧れていたのに、いざ自分が自由になると何もできないものだと呆れてしまう。
憧れなんて、手に入るとそういうものなのかもしれない。
自分の気持ちがどう動くかすら分からない。
ヴィクトリアという女性には、何もかも経験が、知識が足りなかった。
ただ、マリウスとの関係はそうではなかった。
自分に優しくしてくれる相手、というものが初めてだった。
今まで出会ってきた男を思い出す。
仕事の付き合いで手続きする相手や、下心だけで近づいて来た者。後は女を都合の良い装飾品か給仕ぐらいにしか思っていない男。
私はあなたのママではない。それとも自分の母親らしく、奴隷商にでも売ってしまおうか。
「――まーた眉間にしわ寄せてる。癖になるよ? 笑って笑って」
「あら、ごめんなさい。悪い癖ね」
マリウスは、今まで出会ったどの男とも違う存在だった。
いや、もしかしたらこういう相手は他にもいるのだと思う。
ただ、それを元剣闘奴隷の私に対して言うのが分からない。
分からないから、その疑問をそのままぶつけてみた。
マリウスは、気まずそうに視線を彷徨わせて言った。
「それは……その……。一目惚れ、と、言いますか……」
そう言った彼の顔を見た私は、どんな顔をしていただろう。
……変な人。
だけど、その変な人を自分も気に入りだしていることは、さすがに自分でも理解できた。
仕事は、フロアのバウンサー。
男性も女性も、専用のスーツで見回りをする。
トラブルがあれば、軽くお灸を据える。見た目で油断する厄介男性客は、みるみる取り締まられていった。
それが元剣闘奴隷であるヴィクトリアの役目であった。
かつての主の元で家事をしていた関係で、主婦として一通りのことはできる。
プライベートでは、夫婦同然の生活をしていた。
主の部屋はシンプルで、飾りっ気もなく広い部屋に最低限の、しかし高価な家具が置いているのみだった。
豪華絢爛は好まないが、質には手を抜かない。
落ち着いた色合いのテーブルとソファーに並ぶのは、真新しい木のテーブルに似つかわしくない、盛り付けの半端なケバブ。
そんな料理でも、自分が作ると必ず褒めてくれる。
……たったそれだけのことが、こんなにも嬉しい。
いつからか、眉間に皺が寄ることもなくなった。
それどころか、簡単なことですぐに喜んでしまう。
いつでも笑うちょろい女だから、いつからか自分の顔は笑顔で固定されてしまったぐらいだ。
順風満帆を絵に描いたような生活。
こんな日が、いつまでも続きますようにと願った。
それでも、剣闘奴隷である過去は消えない。
時々顔を覚えている客も現れるし、何だったら無理矢理にでも連れ出そうとする乱暴な客もいる。
もちろん店のスタッフとして正式に働いている私は、他のバウンサーが助けに来てくれる。
私はそこまで気にしなかったけど……私よりも、今の状況を重く考えている人がいた。
マリウスは、既に店の引き継ぎを行っていた。
副支配人のうちの一人で、手練れの女性だ。
彼女を後任にして、自分にまとまった金額を定期的に送るよう手続きをしていたのだ。
「もう、持ち物なんて殆どないんだ。君さえよければ……そうだな。もっと自然の多い場所で、自然を愛して生きてみたい」
「それは魅力的ね。帝都は便利だけど……海とか、森とか、憧れるわ」
「海は見てみたいね」
そんな言葉を交わして、セントゴダートの生活を夢想した。
――自分達の馬車が、襲撃に遭うなんてことも知らずに。