作品タイトル不明
ヴィクトリアの過去
「いつまでも、隠し通せるとは思いませんでした」
ヴィクトリアはめくり上げた服を下ろし、静かに座り込む。
警戒を解いた様子に、ジャネットも緊張から開放された。
「バート帝国では、王国と違うことばかり。そのうちの一つが、これです」
「剣闘奴隷、と言ったか。あまり言いたくなければ――」
「いえ、言わせて下さい。ここまで来たら、お互いの知識のすり合わせという意味でも私が話すべきだと思うから。王国と比べると、『人間が住んでいる』ぐらいしか共通点がないかもしれないわね」
こんな状況だが、ヴィクトリアは冗談めかしたことを言う。
ただ表情は真剣そのものだ。
「帝国には、奴隷制度があります。私は父の借金の肩代わりとして売られました。十歳の頃です」
「……印も、その時なのか」
「そうね。痛かったけど、それは一瞬のこと。どちらかというと、自分の身体についたこの焼き印が取れないことの方が辛くて、見る度に落ち込んでいた……いいえ、それは今もね」
十歳という幼い年齢で受けるには、あまりに想像を絶する仕打ちだ。
俺達孤児院組も『親なし』として喧嘩したりと決して恵まれた環境とは言い難いものだったが、それでもこんな非道を受けることはなかった。
「でも、悲しんでばかりもいられませんでした。借金奴隷は、利益にならなければ価値がありませんから」
壮絶な話を、何でもないことのように淡々と話すヴィクトリアに戦慄する。
「家事の全ては当然として、それ以外の『売り』になるものを求められました。覚えたのは、簡易的な芸ですね」
そう言って、テーブルの上にあるナイフを二本取り、突然上側に投げた。
空中でくるくると回転するナイフ。
片方が落ちる前にもう片方も投げ、落下してきたナイフの刃をなんと指で摘まんだ。
それを何度も交互に繰り返し、何でもないように両方の柄を同時に掴むことで止める。
ナイフを使ったジャグリングだ。
「わあ、すごい……!」
こういった芸が好きなエミーは声を弾ませ、ヴィクトリアも楽しそうに笑う。
「ふふ、ありがと。これを覚えることで前座の見世物として価値が出ました」
「……なあ、待ってくれ。あんたはこれを十歳で覚えたのか?」
「ええ」
「怪我しなかったのか?」
「したわよ~。指を切っても芸を失敗したことを怒るばかりで、全く治療してくれなかったもの」
楽しそうに反応していたエミーも、あまりの扱いに息を吞む。
「それでも、良い方。芸が覚えられなかったらもっとひどい選択肢もありました。私と同じ同業の子は一人戻って来なかったから、才能に恵まれた方ですね」
何の気なしに喋る内容の全ての価値観が違いすぎて、どう反応すればいいのか迷ってしまう。
生まれた国が違うだけで、こうも変わるものなのか。
「とはいえ、こちらの芸は成人するまでの繋ぎ。主にとっての本命は」
「闘技会というわけか」
ヴィクトリアは頷く。
「剣闘士は、暴力と暴力のぶつかり合い。さすがに 職業(ジョブ) 持ちでなければ参加できないものの、『賭け』が成立する文化では大金が動きます」
ヴィクトリアは、十五で【剣士】となってからダンジョンに潜り、試合に参加し始めた。
試合がない日はダンジョンに、試合がある日は闘技会に。
「レベルは、その時に上がりました。とはいえ、帝国は 回復術士(ヒーラー) 自体が少なくて。主も商売道具である私が怪我するのを避けるため、教義に従って長い間上層でしたし」
ああ、教義の『命大事に』がそういう理由になるのか。
王国と比べると、女神教の教義を守ること自体は同じでも、それに至る理由が異なると。
それからダンジョンと闘技会を行き来する毎日を、ヴィクトリアは長い間続けてきた。
「国民性とでも言うのかしら。帝国民はこういった勝負の観戦が何よりも好きで、私は何度も相手を倒し、人気が上がれば上がるほど主の手元には莫大な報酬が転がり込んできました」
帝国の剣闘士改め剣闘奴隷は、殺害禁止以外はルールが弱く、互いの武器で大怪我を負うこともある。
「当時の私って人気だったんですよ、『大紫の剣士』なんてあだ名までついちゃって」
「へえ、格好良いじゃないか」
二つ名付きの剣闘士となると、本当に強かったんだな。
大空を舞う姿、確かに蝶の如しだ。
「沢山の歓声を浴びた。それでも、客席の壁に囲まれた先へは行けなかった。闘技場から空を見上げて、いつも自由に憧れたわ」
「……」
「そんな日々を過ごしていたのだけれど。突然ある日、主が襲われてね。死んじゃったの。恨みを買うことも多かった人なので」
ヴィクトリアはこの流れで突然の殺人事件を、何でもないことのように話し出した。
衝撃を受ける俺達に比べ、彼女は淡々と話を続けた。
「再び縛られることだけは嫌だったから、私はその場から走って逃げたの。不思議なもので……いざ自由になると、自分が何をしたいのか分からなくなっちゃったの。あんなに自由に、広い空に憧れていたのに……」
当時を思い出してか、家の中で天井を仰ぎ見る。
まるでそこに、闘技場から見た空があるように。
「ある日マリウスという、茶髪の男性と出会いました。一人でふらふら夜の街を歩いていた私の相談に乗ってくれて。最終的に彼から『帝国を出てみないか』と誘ってくれて」
「そのマリウスという男は、もしかして……」
「ええ。ブレンダの父よ」
ここで、初めてブレンダの父親の話が出てきたか。
こう考えるとブレンダは両親共にバート帝国の人間ということになるんだな。
「二人で身軽なうちに、帝国から出ることにしました。最初はセイリスの方を目指していて」
「身軽ということは、ブレンダを産む前か」
「ええ」
なるほど、ヴィクトリアが帝国から王国に来たのは、そういう流れがあったんだな。
普通の少女として帝国に生まれ、借金の肩代わりとして売られ、剣闘奴隷として生きる。
普通の母親だと思っていた女性には、全く知らない側面があったのだ。