軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第68話 届いていたのは命令だけじゃない

夜の執務室には、まだ昼の会合の手垢が残っていた。

机の上に広げられた紙は三つの山になっている。

王都から届いた照会文。

イレーネが実費へ落とし直した帳簿。

それから、フィオナの紹介文案と会合記録。

セレフィーナは、その山を少しずつ寄せた。

上等な紙の下へ、荒い筆跡の帳簿を差し込む。

重ねた瞬間、ぞっとするほどよく似ていた。

片方には「親善」と書いてある。

もう片方には「実費」と書いてある。

けれどどちらも、同じ家を疲れさせ、同じ子を前へ押し出し、同じ子を後ろへ沈めるために並べられている。

ノアが一枚、紙をめくる。

乾いた音だけが、耳障りに残った。

「フィオナ様の筆跡、やっぱり震えています」

ミレイアが、紹介文案を灯りへかざした。

「ここの“よ”と“ろ”、滲んでいます。急いで書いたんじゃありません」

紙を少し伏せる。

「笑って返事をしながら、手を止められなかったんです」

それで十分だった。

“向いている”だの、“似合う”だの、綺麗な言葉を並べ直す必要はない。

この紙自体が、もう悲鳴の代わりをしていた。

ルシアンは、王都側の公印が押された照会文を見たまま黙っている。

まるで指が汚れるのを恐れるみたいに触れずにいたが、次の瞬間、紙の端がわずかに潰れた。握るつもりのなかった手に、勝手に力が入ったのだろう。

ノアが、その照会文を横へずらした。

下から現れたのは、会合用の予算案。

中央欄の一つに、綺麗な空白があった。

管理統括費

ノアは何も説明しなかった。

ただ、そこを指先でゆっくりなぞった。

それだけで十分だった。

ああ、そう。

ここを最初から空けておいたのね。

セレフィーナは心の中で笑った。

橋の上で毒が混ざるのではない。最初から、毒を混ぜてから送り出している。そのうえ包装紙には“親善”と書いてある。なんて丁寧な暴力だろう。

イレーネの帳簿。

フィオナの震えた文字。

会合で飛ばされた発言。

「親善向きではない」という所見。

「象徴役として期待」と書かれた別の家の名。

ばらばらに散っていた悪意の欠片が、一枚の机の上で、逃げ場のない包囲網として繋がっていく。

セレフィーナは、会合記録の上へ指を置いた。

「届いていたのは命令だけじゃない」

声は低かった。

「誰が従順で、誰が感じが悪くて、誰が前へ出るべきかまで、一緒に運ばれていたのね」

ミレイアが、ゆっくり顔を上げる。

ノアは頷かない。

その代わり、さっきの空欄へもう一度指を置いた。そこが急所だと、黙って告げるみたいに。

ルシアンはまだ何も言わない。

ただ、公印の押された紙と、空欄の予算案を交互に見た。王都では整って見えたものが、こちらでは人を黙らせる縄になる。その現実が、ようやく喉元まで来ている顔だった。

セレフィーナは赤のインク壺を引き寄せた。

「綺麗な顔で来るなら、綺麗なまま返す必要もないわね」

ペン先を沈める。

赤が、先端に重たく溜まった。

そして空欄の上へ、ためらいなく叩きつける。

中央指示に基づく追加照会、差戻し対応、王都式転記その他「確認」の名で新設された補助業務一式は、地方善意協力ではなく中央管理業務と見なす。よって当該確認人員、再照会対応人員、名簿整合作業人員を中央側で計上し、王都責任部署にて一括処理すること。

赤い字が、空欄をひどく醜く埋めた。

ノアが口元だけで笑う。

「それ、嫌がられますよ」

「ええ」

セレフィーナはペンを置かない。

「だってこれ、王都の帳場が自分で全部やるって意味だもの」

もう一行、末尾へ書き足す。

地方側へ未計上のまま負担配分しないこと。

ミレイアが小さく息を吸った。

ルシアンも、その赤字から目を離せない。

「透明性を保ちたいのでしょう?」

セレフィーナは淡々と言う。

「なら、自分たちの机で最後まで透かしてもらいましょうか。地方にだけ夜更かしさせるのは、もう終わりよ」

書き終えた紙を、インクが乾く前にノアへ放る。

赤は鮮やかだった。

宣戦布告にはちょうどいい色だ。

「……『改善』ですって?」

セレフィーナは薄く笑った。

「なら次は、王都の補佐役にでも聞いてみましょうか。これを、あなた方が自分で処理なさるんですよね、と」